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田原総一朗:「8月15日」は私の原点

nikkei BPnet 8月20日(水)8時2分配信

 69回目の8月15日が過ぎた。この「終戦の日」は私の原点である。そして、その原点を守り続けなければならないと考えている。

■玉音放送を聴いて意見が二つに分かれる

 69年前の8月15日、「正午から重大発表あり」と知らされ、玉音放送を聞くため家族がラジオの前に集まった。私は小学5年生、11歳だった。ラジオのない近所の人たちも集まってきた。

 玉音放送はノイズが多くて聞き取りにくく、皆、懸命に耳を傾けた。ラジオから「敵は新に残虐なる爆弾を使用して」といった言葉が聞こえたが、それは広島、長崎に投下された原爆のことだと見当がついた。その原爆投下が、日本が降伏する直接の原因となった。

 「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」という言葉があった。玉音放送が終わって、近所の人たちの意見は二つに割れた。

 一つは戦争が続くのではないかという意見である。軍部の幹部たちが本土決戦をとなえていたからだろう。もう一つは、戦争は終わったというものだった。

 このように二つに分かれたが、しばらく経ってから市役所の人がメガホンで戦争の終結を知らせてくれたのである。

■2学期になると一転して「あの戦争は間違いだった」

 戦争終結を聞いて、私は目の前が真っ暗になった。絶望的になり、家の2階へ上がって泣いた。

 私は中学を卒業したら海軍兵学校に進もうと思っていた。海軍兵学校に入った従兄の姿がとても格好よく、憧れていたのだ。

 しかし戦争が終わっては、それもかなわない。絶望的になり、2階で泣きに泣いた。そして、泣いているうちに眠ってしまった。

 目が覚めると夜になっていた。2階から外を眺めると街が明るい。それまでは灯火管制で辺りは真っ暗だったが、戦争が終わったので灯りをつけたのだろう。それを見たときは、何とも複雑な開放感があった。

 問題は2学期になってからだ。学校に行くと、全員が講堂に集められ、校長先生が「あの戦争は間違いだった。してはいけない戦争だった」と話したのである。

 私が小学校1年生の12月に大東亜戦争が始まったが、それから5年生の1学期までは「これはアジアの国々を独立させるための聖戦である。君たちも早く大人になって、戦争に参加し、天皇陛下のために死ね」と教えられていた。

 ところが戦争が終わって2学期が始まると、「あの戦争は間違いだった」と言われ、1学期までは英雄だった東条英機や広田弘毅は犯罪者扱いされるようになったのだ。

■事実かどうか自分の目で確かめる

 そして、「戦争は悪いことだ。しかし、戦争が起きそうになったら、君たちはからだを張ってでも闘いなさい」と言われた。

 そのとき、私は素直には受け取れなかった。「大人たちは何を言っているのだ」と懐疑心を抱いた。大人なんて信用できないということを、このとき初めて知ったのだ。

 それまでは大人の言うことを信用するもしないも、すべては事実だと思っていた。ところが、校長はじめ先生たちは「そう言わざるを得ないのだな」と薄々思うようになった。5年生の1学期まで「聖戦」と言っていたのも、そう言わざるを得なかったのではないか、と小学校5年生の私は疑問を感じたのである。

 2学期が始まると、教科書の墨塗りが始まった。国家主義や戦意高揚にかかわる文章を墨で消す作業を繰り返した。

 こうした体験が、私がジャーナリストになる原点になったのかもしれない。自分の目で確かめなければ事実かどうかわからない。疑って疑って、そして自分で確かめる、という作業が大切だと考えるようになった。

■高校時代に朝鮮戦争が勃発、レッドパージが行われる

 高校へ進むと、今度は朝鮮戦争が始まった。

 「戦争は悪だ」と思っていたので朝鮮戦争に反対したら、先生から「どうした。お前らは共産党か」と言われた。

 昭和20年(1945年)の段階で、戦争に最後まで反対したのは共産党だった。宮本顕治氏をはじめ収監されていた共産党員はアメリカ占領軍によって釈放された。だから共産党員はアメリカ占領軍を「解放軍」と呼んでいた。

 小学校、中学校の頃、私たちは共産党が一番正しい政党なのだろうと思っていた。ところが、朝鮮戦争が始まって戦争に反対すると「お前らは共産党か」と言われ、1950年にマッカーサーの指令により、共産党員はレッドパージされて公職を追放、共産党は非合法化された。

 高校生というのは多感な時期である。私はその後、「嫌な高校生」になった。先生たちに突っかかってばかりいた。「なぜ天皇は裁かれないのか」「言うことが正反対に変わりながら、なぜ先生たちは先生でいられるのか」と手当たり次第、議論を吹っかけた。

 さらに、私は宗教とは何かに関心を抱き、夏休みなどを利用してさまざまな宗教団体の合宿や修行に参加したりした。

■戦争は絶対反対

 このように社会が右から左、左から右へと180度変わると、物事を基本から考えなければならない、と強く思うようになった。そのきっかけが8月15日の終戦だったのである。

 今年の8月15日は69回目となり、「戦時中の日本」からずいぶん遠く離れたところに来たものだと思う。しかし、今の日本を見ていると、戦前の日本に近づきつつあるのではないかと感じる。

 たとえば集団的自衛権行使容認の問題。朝日新聞と毎日新聞が反対、読売新聞と産経新聞が賛成する。あるいは原発再稼動についても、朝日と毎日が反対、読売と産経は賛成だ。

 新聞が自由に意見を書くのはいいことだと思う。だが、二つに割れた意見をどう考えればよいのか。朝日や毎日が主張しているのはリベラルの理念である。読売や産経は現実を重視する。理念と現実の間で、自分の考えをどこに置いたらいいか、とても難しい時代になっている。

 しかし、私たちはつねに考え続けなければいけない。そうしなければ、再びとんでもない間違いを起こしてしまうかもしれない。

 8月15日を原点とする私のような戦争を知る世代は、「戦争は反対」である。外交上、抑止力としての軍備が必要ということは百も承知していながら、戦争は絶対反対なのである。これからもこのことをきちんと主張していかなければならない。

最終更新:8月20日(水)8時2分

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