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思いつきのメモ帳

2014-08-20

[][][]79年前の「親日と排日」

暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)

暗黒日記―1942‐1945 (岩波文庫)

で良く知られる清沢洌だが、戦前、戦中にジャーナリスト、評論家として活躍し、外交問題、特に日米関係に関する評論を多数著している。その中の一つに昭和十年(1935年)に発行された『現代日本論』がある。保護期間が満了していることもあり、全文がWebで公開されている。Google booksでも読めるが、近代デジタルライブラリーでも公開されており、下記URLにアクセスすれば読める。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1268740

清沢は本書で「排日と親日」という項目を設け、その冒頭で次のように述べている。

一、親日・排日の色分け
 親日家、排日家−私は人間を、こんな風に区別することは嫌いである。
 一体、排日家というのは何なのだ。普通の解釈では日本の悪口をいうものが排日家で反対に日本の事を褒める者が親日家であるようにいわれている。だが、それなら聞くが、子供を叱る親は『排児家』で、子供の事を誰の前でも自慢する親は『親児家』であるか。この答えが明瞭にならなければ、排日家、親日家の定義もそう簡単に下せるものではない。
 非常時下の現在では、大国の日本を子供に比喩したことに対して、直ちに抗議があるかも知れない。いかにも日本は子供ではない。それどころか日本はとても偉い国だ。しかしこの偉い国は、妙に人間を親日家と排日家の二通りに別けることによって、自ら慰めるような子供らしいところはある。日本の悪口をいうのを聞くと、あれは排日家だといって一口に蹴飛ばしてしまうし、日本を褒めようものなら『正論』とか『理解するもの』とかいって、新聞で特別号の大活字になるのは保障つきだ。
(後略)
p.349-350
※引用にあたって漢字・仮名表記は現代風に改めた。


 この文章の背景には、1924年の排日移民法、1931年満州事変1934年の日本によるワシントン海軍軍縮条約の破棄通告等、米国における対日本の言論が次第に厳しくなっていった時代状況がある。そして、この先を読み進めると清沢自身も当時の米国の日本に批判的な言論人を「排日家」という言葉を用いて評してはいる。このような考えを持つ清沢でも「排日家」と呼ばざるを得ない米国人がいたのも事実なのだろう。
 
 とはいえ、79年前の清沢の指摘を現代日本に対する指摘と読み替えてみても、違和感はあまり感じられない。

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