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「美しさ」を求めることの葛藤~雨宮まみ『女の子よ銃を取れ』を読んで~

少し前ですが、雨宮まみさんの『女の子よ銃を取れ』を読みました。

女の子よ銃を取れ

女の子よ銃を取れ

 

 「美しくなりたい」と思う気持ちは、私の中では「自由になりたい」と、同義です。社会の圧力から、常識から、偏見から、自分の劣等感から、思い込みから、自由になりたい。いつでもどこでも、これが自分自身だと、全身でそう言いたい。「美しくなりたい」とは、私にとってはそういう気持ちです。

 
最初の数章を読み、「あ、これ、私とは違うやつや…!」と思いつつも、読了。

雨宮まみさんの、持って生まれた「容姿」へのコンプレックスと、たとえそれを美容整形(≒お金)で変えたとしてもすぐには身につけることの出来ない「ファッションセンス」へのコンプレックスが強烈すぎて、「うわああああ!私、そこまで美意識高くないよ!!」と圧倒されたのが正直なところです。

どちらかというと、フェミニストっぽい内容の「“男の世界”の女の子」「綺麗になりたくない女の子」の章の方が共感出来ました。自分自身が、男社会の中でどのように振る舞えば良いのか悩んできたからです。意外にも「普通の顔になりたい」と美容整形を訪れる女性が多いことを挙げ、「人から容姿のことで注目されたくない」女性についてや、「女であるだけで美意識の高さを求められるつらさ」についても書かれています。

私は街を歩けば沢山の男性が振りかえるほどの美人ではないけれど、仕事で「美人だからいいじゃない」と人前に出されたことや、先輩に「お前は美人だから採用された」と言われたことがあります。恋愛でも、「第一印象(≒容姿)と違った」と、一方的に惚れられ、一方的に振られることもありました。あの時のもやもやは「人から容姿のことで注目されたくない」だったのだと思います。(とはいえ、ちゃんと中身を見て!私はこんなに性格が良いのよ!!とは思わないのですが…)

また、「勉強」や「仕事」が第一だった頃、コスメカウンターや美容院で、美容に無頓着な私を見下すかのようなプロフェッショナルの視線が息苦しく感じた経験もあります。「ヘアワックスは何を使っていますか?え?使っていないの?」「ちゃんとスキンケアしてくださいね。商品の力を最大限引き出すのはあなた次第なんですから」嘲笑やため息まじりに、美意識の低さを責められるのです。
一方で、知人から「どうして美容に悪い生活習慣なのに、私より肌が荒れていないの?」「食べても太らなくてずるい」と、怒りをにじませながら言われたこともあります。
女性だからと言って、みんながみんな美を求めて、常に美しさを基準に生きているわけではないのに…と落胆し続けた20代でした。


この本を読み終えて、「そういえば、私はどうしてこんなに美しさを拒否し続けてきたのだろう?」と改めて思い返しました。

ちなみに、私の顔は、(私の地元である)日本の南の方によくいそうな顔、です。地元には、二重瞼で目が大きな人ばかりで、現代日本で「可愛い」「美しい」とされる点を持って生まれたのはラッキーだったと思います(鼻は低いけど)。その代わり、紫外線が強いので、気を抜くとすぐ“ポッキー焼け”してしまう、肌へのダメージが大きい環境でした。なので、私は顔の造りよりも、ニキビ等の肌荒れにコンプレックスが強かったです。また、学校一の美人は、東北地方にいそうな、肌が雪のように白く、切れ長で涼しげな目の女の子でした。


◆◆◇ 私のファッション遍歴 ◇◆◆

備忘録としてまとめます。

中学時代は、『CUTiE』『Zipper』等いわゆる“青文字雑誌”が好きで、「高校生になったら、思いっきりお洒落したいね」と友人と夢見ていました。

その夢が打ち砕かれたのは、校則の厳しい進学校に入ってから。
茶髪にする→生徒指導室に呼び出されて直す→パーマをかける→生徒指導室に呼び出されて直す→ピアスホールを空ける→生徒指導室に呼び出されて直す→学生鞄をペタンコに改造する→生徒指導室に呼び出されて直す→ルーズソックスを履く→生徒指導室に呼び出されて直す…これを2周半くらいして、私は気付きました。「時間とお金と労力のムダだ!!!」と。
成績も悪かったので「お前は何をしにうちの学校に来たんだ」「男に媚を売ることしか能がないのか」と叱られていました。ちょうど女子高生ブームだったので、東京の、放課後に渋谷でブイブイ言わせている女子高生みたいになりたくて(鞄なら置きっぱなしてきた高校に~♪ by DragonAsh)、めげずに校則をやぶってお洒落をしていたのですが、さすがに面倒になりました。痛んだ髪を短く切り、余った時間で勉強もすることにしました。(ここから私の三十路独女へのレールが……)

校則をやぶってまでお洒落をするのが面倒になったのはもちろんですが、「男に媚を売ることしか能がないのか」という言葉がとても突き刺さった記憶があります。進学校でお洒落をすることは、「悪いこと」「本来やるべきことをなおざりにしていること」に加え、「男に媚を売ること」になるようでした。

「母親である前に女だ」という言葉がありますが、私はいつからか「女である前に、人間である」そして「女として生きるか、男として生きるかは自分で決める」という意識になったように思います。生物学的(セックス)には女であるけれど、社会的(ジェンダー)には男として生きていくしかない、と。田舎で女が進学校に通い、大学を目指すということは、男と同じレールを生きるということなのです。とはいえ、生物学的にはやっぱり女なので、「あいつはブスだから、男に相手にされないから、勉強や仕事を頑張るんだ」とだけは思われたくなくて、最低限、化粧やファッションにも手を抜かないようにしよう、と思っていました(化粧だけはなぜかバレなかった)。

さて、意外にも大学時代は、『JJ』『Ray』等のいわゆる“赤文字雑誌”を読んで、「女子大生ファッション」をしていました。ただ、パンツスタイルが多かったです。年頃の娘を心配したのか、親元を離れても肌の露出が多い服は父から禁止されていたし(高校時代に帰りが遅くて玄関前で仁王立ちされたこともあった)、自分自身もすっかり抵抗があったからです。
また、やっと高校や親から解放されて、自由にお洒落が楽しめるようになったのに、私には新たな障壁がありました。手頃な価格帯のブランド(女子大生御用達「LOWRYS FARM」等)だと、自分の細身な体型に合わないのです。こんなことをオフラインで言おうものなら、いわゆる“マウンティング”になりそうですが、「素敵!これ絶対に着たい!!!」と思った服をいざ試着して、ぶかぶかでみっともなかった時の落胆。「XSはありますか?」と訊ねた時の、「ありません」と不機嫌そうな店員さんの表情。太りたくてもすぐに太れないし、美しく太ることはもっと難しい。そういう悩みを分かち合える人がいないまま、小さめに作られているものが多いギャル系ブランドに救いを求め、“本当はふんわりしたワンピースが着てみたい”“ストリート系ファッションも気になる”と思いながら、かつて憧れていたはずのSHIBUYA109にしぶしぶ通うのです。(余談ですが、当時は、安物でも、ヒールの靴ばかり履いていました。上京したばかりで、強がりたい気持ちの表れだったのだと思います。時折スニーカーで街を歩くと、いたたまれない気持ちになりました。)

社会人になってからは、いよいよ男社会です。
服装自由な会社だったのですが、総合職で、男性と同じスケールで評価される立場になると、女子大生の頃のファッションが恥ずかしくなり、ストリート系ファッションをするようになりました。パンツもなるべく脚のラインがわかりにくいものに変え、アヴリル・ラヴィーンのようなモノトーン系。X-girlSILASを着るようになったり…。
また、つけまつげやまつげエクステ、アイプチ、黒目を大きく見せるカラコンを使うのが一般的になり、すっぴんと別人のような整形メイクが流行し始め、もともとの顔がはっきりしている私に、「化粧をしてもあまり変わらないコンプレックス」が芽生え始めたのもこの頃。
ただ、恋人があまり化粧やお洒落をすることを好まず、また、容姿よりもこのクセのある性格を好いてくれたので、だんだんとヒールの靴からスニーカーに変わり、男っぽい服装で一緒にひたすら散歩したりサイクリングしたり、ラーメンを食べに行ったりして、あの頃が一番、「美」からほどよく解放されていたように思います。

20代後半、諸事情により「“女”を使ってでもお金を稼がねば…」という状況になり、化粧や女性らしい立ち居振る舞いに抵抗が無くなりました。キャリアウーマンとされる女性の中には「“女”や“若さ”を使って仕事をするのはずるい」という考えの方がいて、美意識を抑圧されたり失敗を繰り返した以前の私も、どちらかと言えばそのような考えでした。しかし今では、つまらないポリシーのために生活が困窮し自殺するよりは、“女”を使ってでも、自分でお金を稼ぎ生きていくことは美しいと思っています。“女”を使う職業の真骨頂として、私は「水商売」を思い浮かべます。若い頃は、ためらいなく「水商売」に足を踏み入れることの出来るような女になりたくてなれなかった。いい歳して、女らしさを武器に面接に臨んだり、仕事で活かしていくようになった自分を、時々、水商売と変わらない、と思う。良い意味でも悪い意味でも。美容にかけたお金や時間の分だけお洒落を素直に楽しむことが出来るようになったけれど、セックスもジェンダーも“女”として生きていくことについて、まだまだ、葛藤は続きそうです。


◆◆◇ 最後に ◇◆◆

幼い頃から、周囲に「可愛い、可愛い」と褒められ、女の子らしい服装が似合い、それに抵抗のない女の子であれば、さぞかし無駄な時間を費やさずに済むのだろうなあと、しみじみ思いました。

どんな事情にせよ、お洒落することに対して、何かしらの不自由さや葛藤を感じている方はぜひ読んでみてください。

 

親戚に小学生の女の子がいて、幼い頃から「可愛い、可愛い」と育ててきたので、「このお洋服じゃなきゃ嫌だ!」「髪の毛を可愛く結って!」「私もネイルしたんだよー!」と、思いっきり女の子であることを楽しんでいます。そのうち性犯罪に巻き込まれやしないか、女の子集団の中でいじめられやしないかとヒヤヒヤしつつ、いつまでも屈託ない笑顔で、女の子を謳歌して欲しいと切に思う。