(2014年8月19日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
1989年8月23日のワルシャワの夜は、心地よい暖かさだった。この快適な夜は8月24日にとって良い兆候だった。ポーランドが束縛から逃れ、カトリック系新聞の編集長で愛国的な「連帯」運動の活動家のタデウシ・マゾビエツキ氏がワルシャワ条約機構加盟国で初めて非共産主義者の首相に指名された日である。
あれから25年経った今、丸一世代のポーランド人が共産主義を個人的に経験せずに育った。ポーランドは民主的な主権国家であり、豊かさを増す市場経済であり、北大西洋条約機構(NATO)および欧州連合(EU)の誇りある加盟国だ。この国は一党支配と悲惨な生活水準、そしてモスクワへの従属の恐ろしい時代から変身を遂げたのだ。ポーランドは今ほど恵まれていたことはないと言えるだろう。
確かに、自己満足に陥るのは賢明ではない。ポーランドと国境を接しているウクライナとベラルーシでの共産主義終焉後の事態の展開はこの点を裏付けている。ロシアによるクリミア併合やウクライナ東部の分離主義者に対する軍事的支援、ベラルーシにおける政治的自由の欠如は、ポーランドの東方の隣国ですべてがうまくいっているわけではないことを浮き彫りにしている。
それでも、連帯が主導する政府がワルシャワで権力の座に就いた日を祝い、その経験が今日の欧州に与え得る教訓は何かと問うことには価値がある。
1989年の「諸国民の春」の突破口を開いた日
1989年8月24日は、この年の「諸国民の春」の突破口を開いた日だった。考えられないことが現実となり、欧州共産主義の氷河がとめどなく溶け始めた。ポーランドに続き、自由の洪水がハンガリー、東ドイツ、チェコスロバキアに流れ込んだ。
鉄のカーテンは押し流され、「東欧」は中央ヨーロッパという正当な名前を取り戻した。ルーマニアを除くと、血はほとんど一滴たりとも流されなかった。
米国務省のアーカイブには、ワルシャワ駐在のジョン・デービス米国大使と、ワシントンのローレンス・イーグルバーガー国務副長官が1989年8月24日に交わした興味深い外交公電が残されている。デービス大使はこの公電で、マゾビエツキ氏の首相指名で「私に現在与えられている指令文書の政治的任務が完了し、(私は)次の指示を待ちます」と報告した。
これに対してイーグルバーガー副長官はこう返信した。「貴兄の次の任務はポーランドにおける経済的繁栄の実現を推進し、安定成長と完全雇用、低インフレ、高い生産性、すべての車庫にメルセデス(ないし、メルセデス相当)を確保することだ」