『細谷四方洋 回想録 #7』
細谷さんの回想録 その7です。
今回はトヨタ2000GT1号車に起きたアクシデントと、スピードトライアルに挑戦することになった経緯に関するお話です。
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※全ての画像は、クリックすると別ウインドウで拡大表示します。
トヨタ2000GTの第1号車をヤマハ発動機から引き取ってきた8月14日の撮影時に、ナンバーの文字の検討もし、
すべての角度で写真におさまっています。
みなさまの感想は、どちらの書体が良いでしょうか?
(丸みのある書体) (角張った書体)
その1号車も展示会などに使用した後には第3回日本GPの練習車になり、下掲の写真の直ぐあと、
福澤君のドライブで富士スピードウェイ本コースにコースインし、私も続いてアルミボディのGP本番車
(311S/その後赤色に変更 NO15)で続けてコースインしました。
すると、直ぐ前を走っている福澤車からガソリンが漏れているではないですか。
富士の悪名高い30度バンク内で福澤君を強引に抜き、前で合図をすると福澤君も了解をしてくれ
ピット入り口まで誘導し、私は福澤君と等速で本コースを走行して福澤君がピットに停止後フル加速で
テスト走行に戻るつもりでした。
横目で約30メート前方を走行しているピットロードの福澤車の停止を確認。
福澤君がエンジンスイッチ切ったと同時に発生したアフターファイヤーよる引火で、トヨタ2000GT
1号車は炎上し福澤君も中度の火傷して車は全焼。
特にマグホイールが燃焼した時のすさまじい火の勢いには驚愕した。
残骸は鉄板のボディのみで、我々が精魂込めて完成させた1号車は、私の停止しているコースと
ピットロードを挟んで数メートルの所でスクラップとなった。
数日後アルミの福澤号が完成したが、彼は火傷のためグランプリ出場を諦めなければならなく、
非常に残念な思いをした。
この事故が起きた期日は不確定だが、3月の終わり頃の記憶がある。
(左奥がアルミボディの細谷車 (アルミボディのGP本番車と細谷氏)
手前が火災事故を起こす直前の1号車)
(マグネシウムホイールは火災事故の際、激しく燃焼した)
弟3回日本GPには田村三夫さんと私がトヨタ2000GTで参加したが、結果は私が3位でした。
ニッサンのレーシングカーR380に遅れをとり、やっと3位になったが、冷静に考えれば第2回日本GPで
式場ポルシェ904と生沢スカイラインGTが接戦を演じ、一時はヘアピンからスタンド前まで生沢
スカイラインGTが式場ポルシェの前を走る場面があり、それがスカイライン神話の始まりであるが、
性能の差は歴然で、よほど式場君が下手でなければスカイラインにポルシェが抜かれることは無い。
レースカーとGTとは当時はダントツの性能差があった。
完全な八百長である。
トヨタ2000GTはブラバムプリンスに完全敗北。
トヨタ2000GTをアピールするイベントが何かないかと河野さんや高木さんがアイデアを出し、
自動車速度世界記録に挑戦する事となった。
この自動車速度世界記録(スピードトライアルで表記)のすべての記録や競技規則を高木さんが
マスターし、世界記録も可能なポテンシャルをトヨタ2000GTは備えていることを河野さんも理解され
GOサインが出された。
ここでトヨタ2000GTのコンセプトを述べてみよう。
これは河野さんが一番最初に述べられたことだ。
トヨタ2000Gの開発コンセプト
* 高性能で本格的なスポーツカー
* レース専用のレースマシンではなく日常の使用を満足させる高級車
* 輸出を考慮する
* 大量生産を主眼とせず仕上げの良さを旨とする
* レースにも出場し好成績を得られる素地を持つ事
この車の発想・設計・完成までわずか1年で出来たことは奇跡である。
多忙のため、次回は月変わりになります。
細谷四方洋 2013/8/23 7:00 (クリックで拡大表示)
『流線の彼方』より拝借
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トヨタ2000GT1号車が火災事故を起こした際の模様が、何とも生々しいですね。
それにしても、細谷さんの誘導でピットにまで戻っていながら火災事故が発生してしまったことは、返す返すも残念でなりません。
なんと言っても、燃えてしまったのはトヨタ2000GTの第1号車ですからね。
1号車はサーキット走行用にチューンナップされていたために、バルブのオーバーラップが大きく取られていて、エンジン停止→未燃焼ガスがマフラーに流入→アフターファイヤーが発生→漏れていたガソリンに引火、ということになってしまったのでしょうけれど、先日の福知山での火災事故も原因はガソリン漏れでしたが、ガソリンは本当に怖いですね。
気化して拡散してしまいやすいガソリンは火薬よりも危険性が高いですから、皆様も取り扱いには十分にお気をつけ下さい。
それと、福澤さんが火傷を負ってしまい、アルミボディの311Sでの日本GP出場が叶わなかったことも残念至極です。
ところで、アルミボディの311Sは製造された台数が2台という説と3台という説があるみたいですね。
スカイライン伝説の発端になった第二回日本グランプリについては、Wikipediaの1964年日本グランプリ (4輪)に詳しい記述がありますので、興味のある向きはご覧になってみて下さい。
そうそう、全焼してしまったトヨタ2000GT1号車は、これで命運が尽きてしまった分けではりませんでした。
次回は、その辺りのお話を伺えるかも?
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