本日で終戦から69年ということで、少し太平洋戦争を振り返りつつ平和というものについて考えてみました。にわか勉強の浅知恵ではあるので認識に間違いがあれば、ご指摘いただければありがたいです。
太平洋戦争のそもそもの発端をどこに見るかというのは大変難しい話だが、一つの区切りとしては1932年のリットン調査団報告に基づく満州事変の幕引きを日本が拒否したことのように思える。元々満州は未開の地であったが、専ら日露戦争以降の日本の投資により鉄道の整備、資源採掘を進め大きく発達した。その利権に大清帝国が瓦解後に、軍閥、中国共産党、国民党、それらの背後にいるソ連、欧米資本が群がり始め、混乱の様相を呈していた。中国の当時の国民党政府が支配していた地域は以下の青で囲われていた部分に過ぎない。
日本としてはこうした満州の混乱に終止符を打つべく満州周辺の治安を安定化するため田中義一が張作霖の軍閥化を支援するなど工作を続けていたが、張作霖が日本から離れて欧米の支持を得ようとして挙げ句の果てに欧米政権に見捨てられて孤立化する様子を見て、彼を見限り暗殺する。
当然息子である張学良はこのことに反発し、対立していた国民党と結び各地で朝鮮人、日本人の迫害を行いはじめる。ここにきてしびれを切らした日本軍は1931年に満州事変を起こし、傀儡政府「満州国」を樹立する方針を示した。当時の満州は一時期のバルカン半島ばりの混乱だったので、リットン調査団もこのことに理解を示し、報告では日本を一方的に糾弾するわけではなく「満州国は認めないが日本の満州利権の保持は認める」というような「実を捨て利を取る」ことを暗に促す内容をまとめた。しかしながら日本は「満州国」という「実」にこだわり報告書の提案の受け入れを拒否。1933年に国際連盟を脱退し、国際秩序の主流から外れる。1934年にはワシントン海軍軍縮条約からも抜ける。
日本が国際連盟・ワシントン海軍軍縮条約から抜け出たことで日本の国際イメージは大きく悪化し、蒋介石率いる国民党政権に欧米の支援が固まるようになる。この背景には蒋介石の妻の宋美齢らを中心とする巧みなロビー活動もあった。当時日本は普通選挙が実施されており、中国に比べればずっと民主的な国家であったが、欧米の認識は逆だった。(この辺今の慰安婦問題の議論にも共通するところもある。)こうして軍閥が割拠していた中国はソ連の支援を受ける中国共産党、欧米の支援を受ける中国国民党及びそれに服する辺境地域の軍閥、日本という三つの勢力の争いに集約し、そして緊張関係が増していく。そうした中で1937年7月盧溝橋事件が起きて、日中戦争が始まる
(1936年の中国:http://kamurai.sakura.ne.jp/simulation/hoi2/newbieAAR2.htmより引用)
「ピンチはチャンスなり」日中戦争は本格化する前に、国民党政府と交渉を行うことで日本が国際秩序の本流に復帰するチャンスであったが、これを潰したのは近衛文麿内閣だった。この時近衛文麿自身が中国へ飛び、蒋介石と首脳会談を行い事態を納める提案が各所でなされたが、近衛文麿は口では「事件不拡大」といいながら、陸軍が要求もしていないのに勝手に追加師団派遣の予算をつけ、8月には事態の不拡大方針を放棄して戦線を拡大した。この時陸軍少将石原莞爾は「二千年にも及ぶ皇恩を辱うして、この危機に優柔不断では、日本を滅ぼす者は近衛である」と激怒した。
日中戦争を通して、中国国民党(とそれを支援する米英仏蘭)+中国共産党(とそれを支援するソ連)VS日本 、という構図が出来上がっていき、日本は欧米勢・ソ連を牽制するためにドイツ・イタリアに近づいていくことになる。第二次大戦が始まると1940年9月に日独伊三国同盟が結ばれ、こうして太平洋戦争の構図は出来上がる。最終的なトリガーとなったのは1941年8月に日本が当時の仏領インド(現ベトナム)に軍隊を進駐したことに対して、アメリカが石油の輸出を停止したことであった。日本は当時石油需要の8割近くをアメリカに依存しており、この代替を南方蘭領インド(現インドネシア)に求むべしとされた。そして1941年11月26日にアメリカ海軍の動きを抑えるために択捉島から連合艦隊が真珠湾に向けて出向し、12月1日陸軍はマレー半島に進撃する。なお、日本をこの泥沼に引き込んだ張本人である近衛文麿は最後の最後まで開戦に反対していた。
さてここまで見てきて思うのだが、少々独断が過ぎるものの、日本が今後平和を保ち戦争をしないためには
○中国大陸の内政に日本として直接関与しないこと
○自由貿易体制において資源が確保できる状況を維持すること
を心がけるように思える。日本を国際関係の泥沼に引きずり込んだのは中国大陸という陰謀渦巻く禁断の領域に手を出したことある。傀儡国家としての満州国の設立に固執したことは日本の大きな判断ミスだったように思える。混乱する満州に何らかの新政府の樹立が必要だったのはリットン調査団も認めるところだったが、それは国際協調に基づくものであるべきだった。
もう一つは資源に乏しい我が国は地政学上の問題として、資源確保の道が断たれればいとも簡単に戦争の道に踏み出す、ということは世界中のシンクタンクから指摘されているところである。我が国に取ってシーレーン防衛というのは戦争を回避する上で必要不可欠なものである。その意味で日本の本当の安全保障上の最大の脅威は中国ではなく、ホルムズ海峡を管理するイラン、マンデブ海峡管理するイエメン、そして彼の地の治安を乱すソマリアの海賊である。中国との関係は「落ちてくる火の粉を払う」という関係に専念するべきで、経済的権利の確保に重点を当て、彼の国の内政にはなるべく関与しないことが望ましい。彼の国の闇は深すぎる。
ここにいたって思うわけだが、中国も中東情勢も残念ながら我が国一国で向き合うことは不可能なわけでアメリカとの協力関係を維持し、協調してシーレーンの安全を保ち、中国の膨張を抑え込むことは不可欠となる。ただ繰り返しになるが中国との関係は日本にとって受け身なものであるべきであって、むしろ中東との関係の方が死活的である。中国を敵国と見て大陸内で工作を図るような積極的な動きに出ると、近い将来彼の国が混乱に陥ったときに我が国を国際関係の泥沼に引きずり込む可能性が高い。せいぜいベトナムと消極的な連携を組む程度で抑えるべきなのではないかと思う。他方で中東情勢は日本の死活問題なのだが、近年中東におけるアメリカのイメージはあまりに悪く、この地においてアメリカの同盟国であり中東に激しく資源を依存している日本に、バッファーとしての役割が注目されるのは自然なことでもある。
集団的自衛権の議論もこのような中で浮上したことで、アメリカが日本にインド洋の機雷の掃海を求めるのは理がある。仮にアメリカがそんなことをしたら、イランが本気でキレる可能性がある。イランとアメリカの間に立ち、中国とはアメリカの威を借りて、場合によってはベトナムと限定的な連携を張って適切な距離を保つというのが、日本が戦争しないための立ち位置なのではなかろうかと、何となくそんなことを思っております。。。。
えっロシア。。。。。触らぬ神に祟りなし。。。。ちなみに米国との対立が深まるロシアにとって、択捉島はアメリカを牽制する地政学的な重要な拠点となりつつあるので「北方領土の4島返還」という主張をかなえることは大変難しいでしょう。なんせ真珠湾攻撃は択捉島から始まったんですから。悩ましい。。。
ではでは今回はこの辺で
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