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 ■和歌山へ学童疎開 長浜朝海さん(79)

 70年前の1944(昭和19)年9月1日、大阪市西成区の橘国民学校(現・市立橘小学校)の4年生だった私は、和歌山県海草郡紀伊村(現・和歌山市)に集団疎開しました。まだ9歳。家族と離れるのが嫌で、前夜は泣いてばかりでほとんど眠れませんでした。

 戦争が始まった時は1年生で、日本は絶対に勝つと信じていました。真珠湾攻撃に成功すると、みんながバンザイをしていたのを覚えています。戦況が悪化するにつれ、出征した近所の人が戦死し、配給の食べ物が少なくなると「この先どうなるの」と不安な気持ちが強くなりました…