ヴェールの条件
「ムスリム女性のヴェール」と聞いて、どのようなものが思い浮かぶだろうか。真黒なイランのチャードル? テントのようなアフガニスタンのブルカ? 黒子の衣装のようなエジプトの二カーブ? いずれにしても、お洒落や流行とは縁遠そうなものばかりである。
それもそのはず、ムスリム女性のヴェールは、お洒落とは真逆の目的でまとわれると言われてきたのだから。たとえば、エジプトの著名な宗教学者の一人、ムハンマド・ハッサーン(1962– )は、『ムスリム女性のヴェール』(1995)と題する説教の冒頭でこう述べている。
「イスラムは高潔な社会を築くことを目指している。つまり、(婚姻外の男女の間に)性欲が沸き起こることや、衝動が生じることが一切ない社会である。……むき出しの肉体、飾り立てられた美しさ、刺激的な匂い、意味ありげな視線、くねくねとした歩き方。これらはすべて性欲を刺激し、誘惑の火をつけ、欲望を煽り立てる。……だからこそ、イスラムではムスリム女性に対して、身を飾り立てることを禁じ、ヴェールの着用を課したのである。」
イスラムの啓典『クルアーン(コーラン)』には、ヴェールに関わるいくつかの章句がある。ムスリム女性を嫌がらせから守るために、その他の女性と見分けがつくような「ジルバーブ」と呼ばれる衣服の着用を命じた33章59節、男性信仰者に対して預言者の妻たちとの間に「ヒジャーブ(帳)」を介するようにと命じた33章53節、男女の信仰者に慎み深く行動し、とくに女性は美しい部分を覆い隠し、胸に「ヒマール」と呼ばれる覆いをかけるようにと命じた24章30、31節などである。
クルアーンの章句や、ハディース(預言者ムハンマドの言行録)などの宗教典拠を見た限りでは、たとえば、「ジルバーブ」や「ヒジャーブ」というのがどのようなものだったのか、ムスリム女性はそれでどの部分を覆うべきなのか、そもそもなぜこうした啓示が下されたのかなどは、必ずしも明確ではない。
そこで後世の人々は、これらの章句をさまざまに読み解いてきた。ムスリム女性がヴェールをまとう理由や、覆うべきとされる身体範囲が、時代や地域、個々人によって異なってきたのはそのためでもある。
20世紀後半のエジプトで、ヴェールの着用は通常、「男性の欲望」を防ぎ、「社会の平安」を保つための行為だとされていた。結果的に、ヴェールは女性自身の清い心や身体、尊厳を守るものと言われた。
こうした目的でまとわれるヴェールの条件として、ムハンマド・ハッサーンを含む現代の宗教知識人たちが挙げてきたのが、以下の八つの項目である。
1. 女性の身体を覆うこと
2. それ自体、飾りにならないこと
3. 下が透けて見えない、分厚い布地でできていること
4. 身体に密着せず、ゆったりとしていること
5. 香水やお香の匂いがついていないこと
6. 男性の衣服と似ていないこと
7. 不信仰者の衣服と似ていないこと
8. 目印となるような(目立つ)衣服ではないこと
要は、女性の身体的特徴をあらわにせず、ほのめかさず、地味で、男性の関心を引いたり、欲望を煽ったりしないもの、がヴェールの条件にされている。
ヴェールのファッション化と商品化
ところが、2000年代に入った頃から、エジプトでは、この条件を満たさないと思われるヴェール姿の女性が目立ち始めた。それが「ヘガーブ・アラ・モーダ」である。
エジプト・カイロ方言では、ムスリム女性がまとうヴェールのことを「ヘガーブ」と言う。「モーダ」とは、『エジプト口語辞典』によると、語源がイタリア語の<moda>、意味は英語のfashion, styleに相当する。fashionやstyleという語は、服飾史家のValerie Cummingによると、prevailing customs、つまり、「流行している/普及している習俗」と言い換えうる。そして二つの語をつなぐ「アラ」は、前置詞で「~の状態の」を表す。よって、ヘガーブ・アラ・モーダとは、「流行のヴェール」という意味になる。
それはどのようなものなのか。たとえば、2005年7月にレバノンで発行された芸能週刊誌『アル=マウイド(約束)』に下のような記事が掲載されていた。ハイサム・サイードという名の新人エジプト人男性歌手のビデオ・クリップ(プロモーション・ビデオ)が、このところ大きな注目を集めている。そこに登場する女性が、エジプトの音楽ビデオでは初めて、「ヘガーブ・アラ・モーダを着ていた」からだという。
ハイサム・サイード『夜よ、彼らは僕らと何の関係があるの』(2005)
このクリップの制作監督シェリーフ・サブリーは、前年、ルービーという歌手のクリップを制作した。それが「エジプト人女性歌手のものとしてはエロティック過ぎる」と物議を醸して以来、彼は、挑戦的なヒットメーカーとして知られるようになった。
ルービー『なんでそうやって隠しているの?』(2004)
サブリー監督がハイサムのクリップに、「ヘガーブ・アラ・モーダ」姿――ここでは長袖Tシャツとジーンズ、配色や巻き方を工夫したスカーフという装い――の女性を登場させたのは、ルービーの扇情的な動きと同様に、それでビデオ・クリップがヒットすると考えたからであろう。ここにヴェールが商品として「売れる」時代の到来を見ることができる。
この時期のヴェールの商品化の動きは、他の場面でも確認することができる。たとえば、あるヴェール専門店の経営者の話によると、1999年に彼女がカイロで起業したとき、同業者はほとんどおらず、「そんなものを扱って商売になるのか」と皆に心配されたという。
ところが状況は数年で大きく変化した。新しいヴェール専門店が次々と開店し、ヴェールのファッション・ショーがあちこちで開催されるようになった。
テレビではファッション番組が放映され、2004年には、ヴェール姿の女性のためのファッション雑誌「ヘガーブ・ファッション」が創刊された。その中には、鮮やかな色や高級感あふれる材質の衣服やスカーフをお洒落に着こなしたモデルたちが、ファッショナブルな靴や服、アクセサリーといった商品と一緒に並んでいる。
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