日本の竹島主張に問題があるとする識者コメント
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双方の主張に疑問点
名古屋大教授 池内敏氏
朝日新聞 2012/11/1
歴史的にも、国際法的にも、明らかに我が国固有の領土。日韓政府は竹島(独島)について互いにこう言い張り、一歩も譲らない。だが、それぞれの主張には見逃せない弱点がある。
韓国側は、古文献や地図に現れる「于山島」が竹島を指し、千年をはるかに超える領有意識があったとする。だが子細にみると、とうてい竹島と解せないものを数多く指摘できる。于山島を無条件に竹島と置きかえる主張は成り立たない。
また、日本編入に先立つ1900年、当時の大韓帝国が勅令で「石島」を鬱陵島の郡守の管轄下に置いたことについて、石島は竹島だと断定し、領有意思の証拠とする主張も同意しがたい。「石島=竹島」と直接的に裏づける史料は今のところ存在しないからだ。
日本側の主張にも疑問が浮かぶ。江戸時代初期、鳥取藩の町人が幕府の許可のもと、竹島を中継地に鬱陵島周辺で漁業をした史実から「遅くとも17世紀に領有権を確立」とする見解がその一つだ。鳥取藩はその後、幕府の照会に2度、「竹島(当時の名称は松島)は藩に属さない」と回答している。それを踏まえて幕府が出した鬱陵島渡海禁止令は、竹島を含めて日本領土外と見なしたと解釈するのが自然だ。
明治期を見ても、1877年に明治政府の太政官が地籍調査に関して出した「竹島外一島は本邦に関係なし」とした指令▽竹島編入に慎重だった内務省の姿勢など、日本の領有意思に疑いを挟む史料が存在する。「1905年の編入は、近世の領有意思の再確認」と主張するのは無理がある。
結局、現段階の史料研究の到達点では、日本編入時に竹島がいずれかの国に属していたという決定的論証はない。その限りでは、「無主の島」を取得したという日本の主張は、当時の国際法に照らして形式上は有効となりうる。
だが、慎重な判断を要すべき史実もある。
韓国では近年、日本が領土編入する直前の1900年前後に、鬱陵島の朝鮮人が竹島周辺で漁をしていた史実の発掘が精力的になされている。「独島」という呼び方は、その頃の記録に初めて現れている。日本編入の契機となった隠岐の実業家の建議の背景には、朝鮮人漁民との競合があった可能性を想定する必要があるかもしれない。
さらに、日本編入の翌年にその事実を知った大韓帝国の大臣らが「独島が日本の領土というのは全く根拠のない話」と述べ、調査を命じた公文書が存在する。それ以上の記録は見つかっていないが、大臣らの対応ぶりから、日本の編入手続きの前に、韓国が竹島を自国領とみなしていた可能性は捨てきれない。
だとすれば、日本に抗議しなかったのはなぜか。植民地化に向かう動きと関係していたのか、別の事情があったのか。当時の大韓帝国の判断構造を解明する必要がある。
このように1905年の日本の編入手続きは、微妙な課題を含む。にもかかわらず、政府が「無主地先占による編入だ」と開き直っていてもよいのだろうか。論拠に疑いのある見解を教育現場に持ち込むことも問題だ。むろん、それは韓国側にも言えることだ。
<コメント>
記事本文 http://www.asahi.com/special/t_right/takeshima/ も、上の池内教授の解説も、読者には、「竹島論争ってどちらにもそれぞれ根拠があってなかなか単純に日本領と言ってしまうわけにもいかないみたいだな」という印象を与えたようです。
上の解説では、池内氏は日本側の主張にも「見逃せない弱点がある」とおっしゃるわけだが、そんなことを果たして言う必要があるものなのか、後日意見を書いて見たいとおもいます。
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「竹島問題/日本の動き」書庫の記事一覧
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2014/8/2(土) 午後 1:19
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2014/7/29(火) 午後 9:38
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2014/7/26(土) 午後 9:48
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2014/7/25(金) 午後 8:53
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2014/4/25(金) 午後 11:32
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GTOMRさん
一つ目は「竹島/独島と石島の比定問題・ノート」にある巨文島の朴龍学が金釘の変わりに「独島」の木を代用したという話です。
金釘の変わりに「独島」の木を代用したという部分は1991年の新聞記事にはなくて2005年の新聞記事にはあります。後になって付け加えられたファンタジーだと思います。
「竹島/独島と石島の比定問題・ノート」
http://www.gcoe.lit.nagoya-u.ac.jp/result/pdf/4-2_%E6%B1%A0%E5%86%85.pdf
2012/11/7(水) 午前 10:21 [ yabutarou01 ]
二つ目は続編である「竹島/独島と石島の比定問題・再論」(『テクストの解釈学』水声社、2012)にある1895年から1904年までアシカ猟をおこなったという金允三の話です。
池内氏は実際には日本の竹島編入後の話ではないかと指摘しています。
これについては下の記事の私のコメントの13番目以降を参考にしてください。
「独島」は「石島」ではなくて「甕島」
http://blogs.yahoo.co.jp/chaamiey/54644291.html
半月城先生の文章パート3と4もどうぞ。
竹島=独島問題ネットニュース 29号
http://www.han.org/a/half-moon/net-news/dokdo-29.html
2012/11/7(水) 午前 10:21 [ yabutarou01 ]
なお、「比定問題・ノート」で池内氏が洪在現の証言のなかで1903年に竹島にいった話を史実であると解釈していることには大いに問題があります。この証言は1947年に竹島の領有根拠を探し出すために韓国側(米軍政庁の朝鮮人)が学者を派遣して鬱陵島と竹島を調査させた際に「得られた」ものです。
韓国側に都合のよいように歪曲されている可能性を否定できません。もし当時の韓国の学者が1900年の勅令41号の石島について知っていたなら1903年ではなく1900年より前に設定されていたかもしれません。知らなかったので日本編入の1905年の前ならいつでもよいと考えて1903年になっている可能性もありえます。
2012/11/7(水) 午前 10:26 [ yabutarou01 ]
1947年の調査に参加した国語学者の方鍾鉉が、国語学の知識を基に石島=独島説を考案するよりも先に得られたはずの洪在現の証言に、独島を石島と書くとかドルソムと呼ぶとかいう記述がなく、当時洪在現を含む数人の鬱陵島の古老と直接面談した申奭鎬の「独島所属について」史海』創刊第一号 (1948年12月12日発行)にもそのような言及がなく、替わりに「独島という称号の起源については明確な記録は無いが・・・東海の真ん中に孤独に立っている という理由で、このように命名されたようである。」と書かれているのは韓国にとって致命的であるといえます。
2012/11/7(水) 午前 10:28 [ yabutarou01 ]
池内氏は「韓国が日本に抗議しなかったのはなぜか解明する必要がある。」と主張していますが、これは竹島の領有権とは関係ありません。関係あるのは実効支配の有無です。
もし仮に竹島の日本編入時に韓国の抗議が行われていたとしてもそれは日本編入前に国際法上韓国領であった場合に竹島が国際法上日本領になる可能性が消滅するという効果しかありません。(抗議がなければ国際法上韓国領であった場合でも竹島が国際法上日本領になる可能性があります。)
抗議の事実があっても竹島の日本編入前に韓国が竹島の領有権を確立していなかったならば竹島は日本領になります。抗議をしたら韓国領になるのではありません。
したがって日本の圧力で抗議ができなかったことが証明できたとしても韓国領になりません。解明する必要はありません。実効支配を証明してください。
2012/11/7(水) 午後 1:27 [ yabutarou01 ]
当時日本の圧力で抗議ができないような状況ではなかったことについてはいくつかの事例があります。
もし日本の圧力で抗議ができなかったことが証明できれば日本編入前に国際法上韓国領であった場合に竹島が国際法上日本領になる可能性が消滅するという効果がある可能性はあるのだから、この問題をはっきりさせる前に裁判するのは問題があるのではないか、という意見があるかも知れませんが、その場合は日本編入前に国際法上韓国領であった場合には日本は竹島の領有権は主張しないということにして裁判すればよいことです。国際裁判所は訴えた当事国の主張を超える審判はしないことになっています。
あるかどうかわからない可能性で問題の解決を先延ばしするべきではありません。
2012/11/7(水) 午後 1:35 [ yabutarou01 ]
池内さんは領有権論争としての論点のプライオリティを整理できていませんね。今日の国際社会において、国際法に基づいて領有権の帰属を判断する際、何が主要な論点なのか整理できていないのではないでしょうか。その傾向は、内藤正中さんにも見えますね。
2012/11/7(水) 午後 8:19 [ jake ]
韓国が外交レベルで、竹島領有が意識された始めたのは1951年ですが、韓国政府の優先順位は、独島領有にはなく些細な問題でした。主課題は、半永久的なSCAPIN-1033の存続です。結局米国の同意が得られず李ラインの強行に繋がっていくわけですが、独島領有権は、李ラインの正当性の主張の枠組みの中にありました。このころの韓国は、独島の領有主張の根拠に盛んにSCAPIN-1033を持ち出していましたた。歴史的な権原についても、まだ準備がそれほど万端ではありませんでした。
2012/11/7(水) 午後 8:26 [ jake ]
もちろん、民間では韓国山岳会などを中心に、世祖実録の「三峰島」を独島と比定する主張がありましたが、1905年の編入の不当性に、意図して理論武装をし始めるのは、日韓交渉で、請求権の絡みで併合条約その他の「null and void」を持ち出した1953年頃からです。つまり、韓国はSCAPIN根拠だけでは足りないと理解し、竹島編入の不当性を訴える戦術をとってからです。先占による編入を不成立にさせること、これが韓国の主張の主要な論点です。この主張を強化するには、韓国・朝鮮が確かに独島を認識し、かつ領土として主権を行使していた証拠であって、日本側が竹島の領有を放棄した証拠とか、日本の主張の不備や、提起した史料の不備を批判することではない。
2012/11/7(水) 午後 8:37 [ jake ]
先占の前提になる「無主の島」ではなかった可能性もある、ということを指摘して「日韓どちらの主張も完全ではない」と言うことに、どんな意味があるのか、もう一度考えてもらいたいですね。池内さんのいう、20世紀前後に、鬱陵島漁民が頻繁に竹島を訪れていた可能性の追求は、歴史学の課題として、たいへん面白いと思いますが、領有権をめぐる議論の主要なステージではない。
2012/11/7(水) 午後 8:44 [ jake ]
また、幕府の渡航禁止にしろ、明治の太政官布告の「外一島」の解釈にしろ、韓国側の主張をみると、「日本の領有の意思の放棄」をもって、韓国の領土と主張したがるところがありますが、「日本のものでなければ、朝鮮・韓国のもの」という発想の短絡がありますね。池内さんも、その短絡の影響を受けている気もします。
2012/11/7(水) 午後 8:49 [ jake ]
1905年の竹島編入について、外務省なども、この編入は、江戸時代以来の歴史的権原を再確認したという側面もあるという正当性の強化の主張していますが、これも、あくまでも「側面」で、これが覆されたところで、1905年の編入の正当性が毀損されるわけではないです。
2012/11/7(水) 午後 8:52 [ jake ]
日本の主張を論破するには、やっぱり、朝鮮・韓国が1905年の編入時に、たしかに領土であったという明示的な証拠を提示するしかありません。
2012/11/7(水) 午後 8:55 [ jake ]
大韓帝国の領有意思ということでいうと、やはりポイントは、1906年7月13日付の皇城新聞記事「鬱島郡の配置顛末」で報道された、統監府への大韓帝国の公式回答ではないでしょうか。沈興澤・李明来の報告で日本の竹島編入を明確に自覚した大韓帝国の中央政府が、この編入に反対する世論や報道機関の言論がある中で、統監府通信管理局長池田十三郎から鬱島郡についての問い合わせで、竹島(独島)は、鬱島郡の行政範囲に含まれないと回答しているわけですから。
2012/11/7(水) 午後 9:06 [ jake ]
012/11/7(水) 午後 8:26で、間違いがありました。『成宗実録』ですね。もっとも、当時の韓国側は、三峰島の論拠を『東国輿地勝覧』だと主張して、日本側に間違いを指摘されたようですが。
2012/11/7(水) 午後 9:16 [ jake ]
池内said それを踏まえて幕府が出した鬱陵島渡海禁止令は、竹島を含めて日本領土外と見なしたと解釈するのが自然だ。>やはり、竹島が日韓の領土紛争になっている現状の認識を当時に持ち込んでいるというところがおかしい。現・幕府が鬱陵島(当時の竹島)への渡航を認めていた期間、大谷・村川両家が現・竹島(当時の松島)を中継地として使ったことや、海驢猟を行っていたことは史実ですが、竹島に対して幕府や鳥取藩が領有の意思があったかというと「ない」と考えるのが自然だと思いますね。もっとも、鳥取藩は1696年1月25日に「松嶋は何れ之国江附候嶋ニても無御座候由承候事」と幕府に回答しているわけですが、幕府にとっても、わざわざ領有の意思を示すに値しない島と考えていたことでしょう。しかしながら、「竹島を含めて日本領土外と見なしたと解釈するのが自然だ」とは言えない。
2012/11/13(火) 午前 0:09 [ jake ]
元禄の竹島一件で、幕府が1696年1月28日に鬱陵島(当時の竹島)への渡海を禁止した際、現竹島(松島)への渡航も一緒に禁じたかというと、そんな記述はない。1836年の今津屋(会津屋)八右衛門と濱田藩の鬱陵島での密貿易事件(天保竹島一件)の際の幕府の判決に、「八右衛門が、現・竹島(松島)への渡航を口実に、鬱陵島(竹島)に渡った」という下りが出てきますが、それにもかかわらず翌年2月21日の竹島(鬱陵島)への再渡海禁止令にも、やはり、松島(現・竹島)という記述は登場しません。
2012/11/13(火) 午前 0:10 [ jake ]
これはどういうことかというと、池内氏が言うように、「(松島への渡航禁止の言及がなくとも)現・竹島を含めて日本領土外と見なしたと解釈するのが自然だ」ではなくて、わざわざ、現・竹島(当時の松島)の名前をあげて渡航禁止を申し渡す価値もないと考えていたことでしょう。現・竹島について、時刻の領土かどうかなど、幕府も無頓着だったということです。現・竹島(松島)へ渡海する奴がいるかもしれないなどとも考えない。
2012/11/13(火) 午前 0:20 [ jake ]
そもそも竹島は、大谷・村川両家が鬱陵島渡航の際の中継地として、あるいは海驢猟漁で益のあった島に過ぎません。領土として意識し、組み入れる価値があるとは思えません。鬱陵島への渡航を禁止すれば、現・竹島(松島)だけに行くという必然性も、半ばなくなってしまうわけで、だれも行かなくなったということだろうと思いますね。したがって、「領土」を考える意識もない、渡航禁止にしなければならないという意識もなかったと考えるほうが、むしろ自然ではないでしょうか。
2012/11/13(火) 午前 0:21 [ jake ]
ただいえることは、元禄竹島一件で鬱陵島渡航禁止を出すまでの約70年あまり、幕府の渡航許可のもと、鬱陵島へ渡航した大谷・村川両家の船が、現・竹島を中継地として利用し、鳥取藩も、大谷・村川両家が現・竹島で海驢猟をすることをわかった上で、鉄砲を貸し与えている事実がある。前述したとおり、幕府にも鳥取藩にも、現・竹島を領有する意思はないとは思いますが、間接的に行政の権能が及んでいるとは言える。これを、今日の領有権の帰趨の判断の中で、どう考えるかなんでしょうね。しかしながら、韓国・朝鮮側には、この程度でも、獨島に権力が及んだという、はっきりした史実が提起できませんね。推測・我田引水解釈ばかりです。獨島が于山島ということでも、于山島に主権を行使した明確な史実でさえ提起できない。だって、何度鬱陵島方面に出かけても于山島の存在を確認できなかったわけですから。確認できない島に主権は及ぼせません。
2012/11/13(火) 午前 0:24 [ jake ]