2014年8月18日10時51分
▽舞鶴で初の「語る会」
太平洋戦争末期の「学童疎開」を語る会が16日、舞鶴市政記念館で開かれ、体験者が食料の乏しい中、親元を離れての苦しい生活を証言した。
学童疎開は、府内では京都、舞鶴両市の児童を対象に空襲を避けるため実施。舞鶴市では1945年4~10月、8小学校(国民学校)の1331人が同市の加佐地区や現在の京丹後市などに集団疎開し、親戚などを頼る縁故疎開はその約3倍に上ったという。
語る会は「戦争・空襲メッセージ編さん委員会」の関本長三郎事務局長の呼びかけで初めて開かれ、25人が参加。同委員会が制作したスライドが上映され、加佐地区に疎開していた明倫小の46人が同年10月、台風による由良川の大洪水に遭遇、2階から救出され神社で一夜を明かした絵が映し出された。出席者からは「病気になれば(自宅に)帰れるからと、山でわざと漆にかぶれて顔がぱんぱんにはれた子もいた」「食事は豆の入ったご飯で、おかずはあまりなかった」などの証言もあった。
同委員会は、この日の証言をスライドに盛り込み、9月にも加佐公民館で上映するほか、市内の小学校などでの上映も検討している。