「新生M-1」に見る、お笑いの未来。
TBSラジオ『東京ポッド許可局』、2014年8月15日放送分より。
先日、こんなニュースが話題になりました。
新生「M-1グランプリ」来夏開催をABCが発表 – お笑いナタリー
この記事によると、来年2015年夏に新しい「M-1グランプリ」が開催されることがABCの発表により明らかになりました。
このニュースを受け、今回の放送では新しい漫才のコンテストが開催されることに対する是非についてお話されていました。
現在の「THE MANZAI」と並んでチャンピオンが誕生してしまうことなどの問題点について議論されていましたが、そのなかでサンキュータツオさんが語った、「文化」としてのお笑い論のお話が興味深かったのでピックアップしてご紹介します。
しゃべるひと
- マキタスポーツさん(芸人、ミュージシャン)
- サンキュータツオさん(学者芸人、現一橋大学非常勤講師)
- プチ鹿島さん(時事に強い・時事芸人)
お笑いはずっと「ブーム」のまま
サンキュータツオ:最近ハッとしたことがあって、もふくちゃんって知ってる?
マキタスポーツ:あぁ、わかります。
サンキュータツオ:もふくちゃんっていう女性のアイドルプロデューサーがいるんですよ。で、別の番組で一緒にやってるんですけど、最近でんぱ組っていうグループを仕掛けていて、武道館を成功させた女性のプロデューサーがなんですけど、「アイドルブームって言われてるけど、私はアイドルを文化にしたい」って言ってるんですよ。
俺、ハッとしたんですけどそう考えたらお笑いもずっと「ブーム」って言われてるなぁ、と。
マキタスポーツ:なんだかんだブームって言われてるね。
サンキュータツオ:文化になってないのかなぁ、という気がしていて。ブームっていうのは「点」じゃないですか、でも文化にしていくのっていわゆる「線」にしていく作業でしょ?だからいかに小さいタイトルであれ、乱立していてもそれは文化になるんじゃないかな?って思うんですよ。
例えば、関西の方にいくと漫才のタイトルはいくつかあるじゃないですか「今宮えびす漫才新人コンクール」とか、「ABCお笑いグランプリ」とか。東京は全然ないじゃない。
プチ鹿島:ないね。
サンキュータツオ:それを考えたときに、関西の人がお笑いを誇るっていうのはタイトルがあるってのにつながってるんじゃないかなと思うんですよね。
俺らが思っていたようなあのM-1っていうのを求めちゃうと酷なのかもしれないけど、漫才みたいなものを「文化」として考えるならば、タイトルがあってもいいんじゃないかな?って。
できれば東京でそういうムーブメントがあって欲しかったですけど。別に大阪ローカルでそういうタイトルがあって、例えば、M-1優勝者が1枠THE MANZAIに確定するみたいな事態が起こっても別にいいわけじゃないですか。
プチ鹿島:いまの話を聞くと、じゃあなさら「M-1」の看板がほしいですよね。
サンキュータツオ:新たなタイトルを作るよりはね。
そもそも「文化」にする必要があるのか
サンキュータツオ:だって、お笑いは文化になってますかね?っていう。いまはネタじゃない時代かもしれないですけど。
プチ鹿島:文化である必要ってあるの?
サンキュータツオ:お笑い?
プチ鹿島:そもそも論だけど、そうは言ってもお笑いはみんな好きだよ。
マキタスポーツ:俺もそう思う。嫌いな人いないよね。
サンキュータツオ:興味ない人はいっぱいいるけどね。
マキタスポーツ:興味が薄い、っていう人ね。
プチ鹿島:それを「文化」っていうちゃんとしたカテゴリにしなくていいんじゃない?ほっといたって面白い人は出てくるわけだし。
サンキュータツオ:それ、ネタっていう形で出てくるかな?ネタ番組だってこんなになくなっちゃうと…。
結局、ネタって劇場とか寄席だけで見るものになっていっちゃうのかなっていう寂しさがあるわけ。ぼくはお笑いは結局落語と同じ運命を辿らざるを得ないのかな、って思ってるんですよ。
やっぱ、お笑いって頭使うから集中して観なきゃいけないから。
マキタスポーツ:「文化」っていうことに関してよく分からないんだけど、「文化」としてのお笑いを持ってるのは、劇場を持ってるよしもとだけじゃないですか?
サンキュータツオ:まぁ、そうなっちゃうよね。果たしてそれが劇場だけでいいのか?ってことよね。
マキタスポーツ:劇場があって、そこである程度淘汰のしくみがあっても「一生芸人です」っていうことがちゃんと言える、それを守ってるのはよしもとだけだよね。
だからみんな、いまある夢を持ってる人たちには出口がいっぱいあることはいいかもしれないけど、実際問題として起こってることはバラエティ要因としてどれだけ使い物になるかっていうと「いじられ―1グランプリ」じゃないですか。
だから、ネタがいくら優秀でも生涯お笑いの世界に携わるためにはどこかでネタとそれを割りきった上で、テレビタレントになっていくことを選択できる人、またその素養がある人。
サンキュータツオ:煽りVとか、ネタ後の切り返しがどう、とかね。そういうタレント性、総合値で売り出すってことだよね。
マキタスポーツ:「ドッキリに引っかかる要因-1グランプリ」。
サンキュータツオ:そこの「可愛げ」ですよね、ほんとに。
最近はほんとにテレビでのネタ番組が減ってきていて、一時期は週に4~5本以上あったのですが、今やほぼ0みたいな状態になってしまいましたね。
例えば、都内やお笑いの劇場がある大阪に在住している方は寄席やライブに簡単にアクセスできるのですが、地方在住の人だとやはりそうはいかない。その上、テレビでお笑いのネタ番組を見る機会がないとなると、つまり「ネタ」そのものを見る機会がないということになります。
これは結構由々しい事態でして、ここでいう「ブーム」に関係なく地方でお笑いを見たい人にとってはかなりつらい状況なんですね。
そこで、お笑いというものをひとつの「文化」としてこれからも楽しんで、継承していくために、コンテストが乱立していくつもチャンピオンが誕生してしまうというデメリットも加味した上でぼくはこのサンキュータツオさんの意見には賛成ですね。
もっとライブをオープンにすればいいのに
マキタスポーツさんの最後の意見も重要な提言です。現在のお笑い界はTHE MANZAI、キングオブコント、R-1ぐらんぷりといった年に1度開かれる「賞レース」で優勝、または視聴者の強い印象に残った者が、その他のテレビのバラエティ番組に呼ばれ、そこからテレビタレントになるというレールが用意されています。
例えば、昨年THE MANZAIで優勝したウーマンラッシュアワーや、M-1グランプリ2007で優勝したサンドウィッチマン、さらには優勝には至らなかったものの決勝大会で大きなインパクトを残したオードリーなどが例にあげられます。
また、その上で「ネタ」とテレビを切り離してバラエティ要因として活躍できる芸人さんがいまのテレビ、そしてこれからも売れ続けるというのがいまのお笑い界の現状です。
しかしながら、お笑いを「文化」として保存し、繁栄させるためにはその元となった「ネタ」を披露する機会というものが必要不可欠となってきます。そこで、繰り返しになりますが問題となるのが、テレビでネタを披露する場所がない、披露できたとしても享受できるのは一部の都市部のお笑いファンだけ、ということになります。これではどうしてもテレビのなかだけの「ブーム」としてしか捉えられないのも無理はありません。
そこで考えてみると、都市部で開催されるライブなどにも問題があるような気がしてきます。
例えば、ライブ会場の模様を課金制にしてネット配信してしまえばいいと思うのです。DVD収録しているとか、門外不出のネタだとかそういう性質のライブは切り離して、一般的なネタライブに関してはどんどんオープンなものにしてしまえばいいのに、と思います。
それこそアーカイブ化の話で、特にライブを観に行くことができない層の人たちにとってはこんなにお金の払い甲斐のあるコンテンツはありません。単独ライブDVDとして売りだされているものはいいですが、そうなっていないものはせいぜいYouTubeで観るしかないですからね。
加えて、いまは40代でも「若手」と呼ばれる時代で、どんどん中堅〜ベテランの芸人さんが詰まってきています。なので、漫才で売れてテレビに出る、なんてことができる芸人は本当に一握りの存在のみです。そこでやはり、これからのお笑いを担う若手芸人の主戦場となるであろうライブの価値を高める、そこで収益化を最大にするというふうに考え方をシフトしていくというのが至極当然の流れなのではないかと思います。
「文化」という言葉の定義は曖昧ですが、このように、テレビのなかだけの「ブーム」として消費されたり、寄席やライブでしか観ることができない落語のような現状のスタイル以外にも、いろいろ工夫次第で決して一過性のものではないコンテンツの新しい消費の仕方はいろいろあります。
いろいろ語ってきましたが、やはりこの件に関しては、思いの外賞レースの負担が大きいとか、素人には見えないところも多分にあると思うので芸人さん自身のリアルな声を聞いてみたいですね。
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