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【社説】

平和主義を貫く 旧軍引きずる人命軽視 

 二百三十万人の日本兵が戦死した太平洋戦争。軍部の無謀な作戦の背景に「人命軽視」「責任回避」がありました。六十周年の自衛隊はどうでしょうか。

 人命を軽視した作戦の典型が特別攻撃すなわち特攻でした。太平洋戦争の末期、戦況の不利を打開しようと爆弾を搭載した航空機を米艦艇に体当たりさせたのです。

 モーターボートや小型潜水艇なども使われました。共通していたのは「九死に一生を得る」ことのない「十死零生」。生還の可能性はゼロでした。

◆目的化された特攻死

 一九四四年十月、旧海軍で神風特別攻撃隊が編成されたのを皮切りに特攻は終戦の日まで続き、旧陸軍と旧海軍を合わせて六千人近い兵士が命を失ったのです。

 近年明らかになったことですが、旧陸軍は出撃後、整備不良や悪天候などで帰還した特攻隊員を福岡市内に隔離していました。死んで軍神になったはずの人間が生きていてはまずいというのです。上官から「ひきょう者」と激しく非難され、耐えきれずに自殺した兵士もいたそうです。何のための作戦だったのか。死ぬこと自体が目的にすりかわっていたのです。

 太平洋戦争では兵士の六割以上が餓死だったという説があります。元陸軍大尉で歴史学者の藤原彰氏は、旧厚生省などの資料をもとにした著書「餓死(うえじに)した英霊たち」でこう書いています。

 「この戦争で特徴的なことは、日本軍の戦没者の過半数が戦闘行動による死者、いわゆる名誉の戦死ではなく、餓死であったという事実である。『靖国の英霊』の実態は、華々しい戦闘の中での名誉の戦死ではなく、飢餓地獄の中での野垂れ死にだったのである」

 「餓島」と呼ばれたガダルカナル島、「白骨街道」と呼ばれたインパール作戦が典型例です。食糧補給のメドがないにもかかわらず、ひたすら兵士を戦場へ送り込む。「名誉の戦死」は軍部への責任追及をかわす便利な言葉でした。

◆隠され続けた大けが

 現在の自衛隊は、民主主義下の軍事組織です。人の命を命とも思わない軍国主義下の旧日本軍とは違います。しかし、イラク戦争で中東へ派遣され、現地で大けがをした元航空自衛隊員の例はどうでしょうか。

 元三等空曹の池田頼将さんは国を相手取り、一億二千三百万円の損害賠償を求める裁判を名古屋地裁で続けています。池田さんは二〇〇六年四月、愛知県の小牧基地からクウェートのアリ・アルサレム空軍基地に派遣されました。

 同年七月四日、米軍が主催する長距離走大会で米軍の大型バスにはねられ、左半身を強打して意識を失いました。激しい痛みから横になる毎日。帰国できたのは二カ月も後のこと。症状は固定してしまい、病院では「なぜ放置したのか」と驚かれたほどでした。

 池田さんは「クウェートでは指揮官の一等空佐が『大丈夫か』と何度も様子を見にきました。私は横になったまま、『大丈夫じゃありません』と答えました。繰り返し早期帰国を願い出たのに、無視されたのです」。

 池田さんが事故に遭った〇六年七月は、航空自衛隊の空輸活動が変わる節目でした。陸上自衛隊がイラクから全員撤収し、空輸の主な対象が陸自隊員から米兵に代わりました。七月三十一日、武装した米兵が輸送機に乗り込み、バグダッドへの空輸が始まりました。

 翌八月、米軍は掃討作戦を開始します。米軍の戦闘行動を側面から支える空輸だったのです。

 当時の防衛庁は米兵空輸の事実を隠し、「主に国連物資を空輸する」と発表していました。「事故隠し」のような対応をみる限り、池田さんの事故が明らかになれば、米軍との連携に不都合が出ると考えたのではないでしょうか。

 空輸活動は、別の裁判で名古屋高裁が「米軍の武力行使と一体化しており、憲法第九条に違反する」との判決を出しています。

 個人が国策の犠牲になるのは、太平洋戦争で終わりのはずでした。そして米軍のための犠牲とすれば、隊員より米国が大事ということになります。

◆「隊員が地獄を見る」

 安倍晋三首相は、憲法解釈の変更を閣議決定しました。

 自衛隊法など関連法が改定されれば、米国を守るために自衛隊が集団的自衛権を行使して、名実共に米国の戦争に参加できるようになります。池田さんは「本当の戦争になったら隊員が地獄を見る。絶対認めるべきではない」と訴えます。

 どの国の人の命もかけがえのない命です。戦死することのない政治家こそ、戦場に立つ一人ひとりの痛みに想像力を働かせ、断固として平和を守り抜くという強い決意を示す必要があります。

 

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