アベノミクスで日本は失われた自信を取り戻した。この勢いで、我々は今後も成長し続けなければならない。政府が6月に閣議決定した「骨太の方針」はそんな決意を伝える。

 だが、行く手には大きな障害が立ちはだかる。人口減少だ。

 日本の人口は2008年をピークに減少に転じた。2100年にはピーク時の4割になるとの予測もある。働き手も、モノを買う人も、税金を納める人も急速に減る。手をこまねいていては、成長どころか縮小スパイラルに陥ってしまう。「そこに至っては、もはや回復は困難」。「骨太」にも、危機感のにじむ文言が躍る。

 いったい、どうするのか。子どもを産んでもらえるよう、あらゆる政策を動員する。高齢者や女性にも働いてもらう。企業は絶え間なくイノベーションを起こす。過疎化する地域は集約化をすすめる――。

 産め。働け。効率化につとめよ。何だか戦時体制のようだ。

 今だって、グローバル競争で生き残りを図る企業の下、多くの人が低賃金や長時間労働に耐えている。いったい、どこまで頑張れというのだろう。

■無理を重ねた日本人

 そもそも「人口減少=悪」なのか。少し視点を変えて考えてみる必要がありそうだ。

 たとえば、千葉大の広井良典教授は「もっと大きな時の流れで考えませんか」と指摘する。

 鎌倉時代に約800万人だった日本の人口はゆるやかなカーブで増え続け、江戸時代後半、3千万人強で横ばいとなった。

 それが明治維新以降、まるで爆発が起きたかのように、急勾配で上昇を始める。

 黒船の訪れで、欧米の経済力と軍事力に頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた日本人は、体にむち打って「拡大・成長」の急な坂道を上り続けた。当初は富国強兵のスローガンを掲げて。敗戦後は経済成長という目標に向けて。

 無理を重ねてきた疲労や矛盾が臨界点に達した結果が、人口減少となって現れているのではと、広井教授はみている。

 「人口減少は、成長への強迫観念や矛盾の積み重ねから脱し、本当に豊かで幸せを感じられる社会をつくっていくチャンスなのではないでしょうか」

■出口の見えぬ迷路

 確かに日本人は頑張ってきた。多くの若者が親を残して故郷を離れ、都会にギュウ詰めとなって生産に力を尽くし、狭い郊外の家を買い、遠距離通勤にも残業にも耐え、高い教育費をかけて子を育てた。

 そうして得たものは、何だったろう。しばらく前まで、経済成長は豊かさの実感を伴っていた。だが次第にモノがあふれて売れなくなると、企業は従業員の我慢に頼って生き残りをはかった。給与も雇用も不安定となり、若者を使い捨てるブラック企業さえ横行する。多くの人には豊かさが遠ざかるばかりだ。

 出口のない迷路に入り込んでしまったようだ。それでも政府は成長を叫ぶが、その神話を信じる人自体が減っていないか。

 いま日本で女性1人が生涯に産む子どもの数が最も少ないのは、成長のエンジン・東京である。保育所不足など子育てがしづらい環境に注目が集まるが、それだけが原因だろうか。成長が豊かさにつながると信じて働けど、そうならない人生への無言の「ダメ出し」が重なった結果ではないのか。

■走り出した過疎地

 戦争や飢餓でもないのに人口が急減するのは、史上初めて。数字上の成長に偏らない、しなやかな発想をあわせもたないと太刀打ちできないだろう。

 難題と向き合い、走り出しているのは過疎地の人たちだ。

 日本海に浮かぶ離島のまち島根県海士町(あまちょう)は、人口がピーク時の3分の1。産業は衰退し、財政破綻(はたん)寸前にまで追い込まれた。だが今では特産品を使った「さざえカレー」や岩ガキなどが全国ブランドとなり、移住希望者が集まってくる。

 町のキーワードは「ないものはない」。都会のように便利ではなくても、人のつながりを大切に、無駄なものを求めず、シンプルでも満ち足りた暮らしを営むことが真の幸せではないか――。土壇場で生まれた発想の転換が、人々を引きつける。

 成長をめざす社会が「役に立たないもの」「遅れたもの」とみなしてきたものは少なくない。その中に豊かさを見いだして元気を取り戻す。そんな過疎地が、少しずつ増えている。

 改装した古民家に、IT企業が次々とサテライトオフィスを置く徳島県神山町(かみやまちょう)。苦境にある林業の再生を掲げて、若い移住者をひきつける岡山県西粟倉村(にしあわくらそん)。ひきこもりの若者が、働き手として町おこしを担う秋田県藤里町(ふじさとまち)。

 成長のために人を増やせば、幸せも広がる。そんな予定調和には無理がある。

 話は逆で、幸せがあれば、そこに人が集まってくるのだ。