小林克也さん インタビュー
Katsuya Kobayashi
スネークマンショー秘話 〜 大受けに限ってお蔵入り?!
英語から日本語も独自に訓練してDJ/司会の道に入った克也さん。伝説的なあのラジオ番組『スネークマンショー』の裏側を語ってくれた。
Q .DJが、これは自分に合ってる天職だなあっていう自覚が生まれたのはいつですか?
A .いや、それはないですよ、全然。なんかこう、流されてやってきましたから。こういう風なことをやりたいという理想はあるわけだけど、なかなかそういう風なのをやれる機会がなかったし。
Q .自分でもこれは結構いけたなという満足感のある番組はありますか?
A .それは、例えば、昔ラジオでやっていた『スネークマンショー』とかね。あれは、1つの答が見つかりかかった時ですよね。
Q .曲紹介の前に面白いトークというか、ストーリーが展開されるラジオ番組『スネークマンショー』ですね。YMOのアルバムにも収録されて、一大ブームになりました。その番組『スネークマンショー』で見つけた答とは、どういうものですか。
A .例えば、それまで、洋楽のアーティストを紹介する番組だと、みんな解説するんですよね、このグループは何年に結成されて、何人組で、どういう風なものをやっている、とか、メンバーが途中で替わっただとか、3枚目のアルバムからのセカンドシングルがどうのこうのって。僕はだめなんですよ、そういうことは。教養番組みたいな感じで。そんなことに、なんの意味があるの? いいじゃないか、何枚目とかなんとか、記録係じゃないんだからって。
で、往々にして、そういう風な堅い紹介して「それでは、一番新しいアルバムから、なんとかなんとか…」ってパーンって音楽を流すわけだけど、英語の歌だったりして、よく聞くと、「お前のかあちゃん、こないだ他のオトコとホテルから出てきたの見たぜぇ♪」みたいな、そういう歌だったりするわけよね。(笑)
ブルースなんか下世話だから…。で、それは違うっていうのがあったわけですよ。昔聞いた、面白かったものはどこに行ったんだろうって。それで、その面白さみたいなものを、例えば下世話さだとか新しさだとか、奇妙な感じとかを伝えるにはどうすればいいかっていうのを絶えず悩んでた。だから、『スネークマンショー』っていうのは、そういう風なことを紹介しないんですよ。
Q .音楽を紹介するのに、余計なウンチクを前に入れないんですね。
A .入れない。で、僕が「スネークマン」っていうキャラクターを、演じるんです。他にも、ウルフマン・ジャックのパロディーみたいなことをやりながら、曲を紹介するようなこともあったんだけど。ある曲が活きるには何をやればいいかということを考えて、曲の前に遊びを入れて曲を紹介してたんですよ。サウンドエフェクトを使ったり、いろんなものを使ってね。
最初、僕ひとりでやってたんだけど、今、役者で結構売れてる、伊武雅刀が隣のスタジオに来てたとき話をしてて、ちょこっと声使いたいからって、一緒にやったことがあったんです。やってみたら、普通のしゃべり屋さんとは全然違う。で、あいつ連れてこようってことになって。いろんなシチュエーションが作れるようになったわけですよ。ひとりじゃないから、いわゆる対話形式とか、コント形式とかできるようになったんです。
Q .それであの『スネークマンショー』の面白いスタイルが生まれたんですね。何か二人でやっていた頃の思い出を一つをあげてもらえますか。
A .いろいろありましたね。例えば僕がハワイかどっかのリゾートで昼寝をしてるっていうやつ。
ハワイアン音楽がポヨーンと流れて、僕がグーグーと(いびきを)かいてる。そうするとリーンって電話が鳴って電話を取ると、(彼はコンバットだとか声優をやっていたから)戦場からなんですよ。「こちらはなんとかなんとか!」って助けを求める。「なんとか部隊、今、敵に襲われ、囲まれています」とか。僕が、間違い電話だからガチャンって切る。
で、またハワイアン音楽がポヨーンと鳴って、またグーグーと(いびき)。
そしたら、また電話が鳴るんですよ。「こちらなんとか!さっき救援を頼んだが、敵に囲まれ、部下がどんどん死んでいく…」みたいなことを言ってるわけ。また頭に来て、僕は、ガチャンって切ってグーグーと。
で、また電話が鳴るから、「Hello」って出ると、「こちらはさっきから電話をしてるけど、通じないんだ!」とかなんとか、だんだん、だんだん怒ってきてるわけですよ。5〜6回やって、最後におんなじようにまた電話が掛かってきて、「もうみんなやられて敵に囲まれてしまって、早く来てくれ、早くー!」って叫んでる。
最後に「ダメだ。あーっ!」って絶叫するわけですよ、でも間違い電話だから、ガチャンって切るわけですよ。ガチャンって切った途端に、ビートルズの「Help,
I need somebody. Help…♪」ってかかるわけですよ。そうすると、その「Help」がどこで聞くヘルプよりも良く聞こえるわけですよね。
Q .曲はどういう基準で選んでいたんですか?
A .選んだ時点で自分たちが好きだからっていうことです。60年代とか70年代の初め流行った「今回のアルバムを聞くとわかるんだけど、前のアルバムで感じられたエッジがみんな丸くなっちゃって、どうのこうの…」とか言いながら紹介する方法じゃなくて、自分がいいと思うから紹介するという考え方です。それは言わないですけど。だけど、紹介する曲はよそで聞く同じ曲よりも、もっとかっこよかったり、もっと破壊的だったりするぐらい、自分たちの願いだとか気みたいなものが入ってる。
Q .『スネークマンショー』は、どれぐらいの頻度の番組だったんですか?
A .月から金、毎日の15分番組だった。でも、作るのに1日かかってましたね。いいアイデアは、いつも生まれるわけじゃないじゃないですか。だから、ネタも2〜3週間で尽きて、その次から自分たちが経験したこととか…。僕はアメリカのいろんなコメディーなんかのコレクターだったから、翻訳バージョンもありましたね。「警察だ!」「だれー?」ってあれはアメリカのやつなんですよ。
75年の終わりから、4年半ぐらいの番組だったけど、ネタは進化してったり、途中でけんかしたりするんですよ。今までラジオでなかったことをやろうっていうんで、タブーに随分挑戦したりしましたね。
例えばラジオで、どもっちゃいけないっていうのがあるんですよね。ドモリとか言っちゃいけないっていうのがあるから、YMOで使われた英語で訛るやつがあるじゃないですか、どもるやつが。日本語はダメだけど、英語ならいいだろう? っていうのから来てるわけです。
いろんなタブーに挑戦してって、ネタが尽きちゃって、後半の1年半ぐらいは、水曜日はゲイナイトってことにして、ゲイの子にしゃべらせて、僕らしゃべんない。その子が、ゲイっていうのはオカマじゃないんだよ、オカマっていうのは商売で化粧したりしてるけど、ゲイというのまともな格好をしてて普通の男だよ、とか講座をやるわけですよ。あと、プラスティックスっていう立花ハジメとかいたグループに1日だけ任せて、普通と違うことをやってよって言って、原宿の歩道橋の上から放送したり。でも、初めてやることってなかなかうまくいかないんですよ、ね。だからいろんな試行錯誤があって。
Q .いろんな新しいことに挑戦すると、チェックは入らないんですか?
A .結構ダメだって蹴られましたよ。自分たちで制作して持ってくわけですよね、録音して。で、最終的にはTBSの人が聞いて、「これはダメだ」「とり直してこい」って言われて、随分とり直したのもありましたよ。
Q .例えば....
A .その頃、『GORO』っていう小学館の雑誌があって、最初は『ポパイ』的な雑誌だったんだけど、だんだん女の子のハダカ出すようになってきて、最後はいわゆるハダカのピンナップが売り物の雑誌だったんですよね。その雑誌『GORO』が提供で、ダメだって言われたのものの1つなんかは、僕がマスターベーションをやってるわけです。紙の音をさせながら。そこへ関西風のオバサンが来て、「あんた、何やってんの?」って。それが『GORO』を見てるんですよ。で、『GORO』は「世紀の雑誌、世紀のマガジン」とか言って。「あ、世紀」とかなんか駄洒落だったんだよね。スネークマンっていうのは日本語があんまりしゃべれないっていうキャラクターだったから、「Magazine
on the century!」って言うんですよ。それをオバサンが聞き違えて、特に「センチュリー」を。で、「Oh, No!」みたいな。みんな爆笑して。なのに、お蔵入りですよ。大笑いしといてダメだって言うなって。そんな感じでお蔵になったやつってありますよね。
だから、お蔵入りにならないようなのはなんだろうって知恵をしぼったんですよね。英語でどもったりとかね。他にも、英語のジョークで単語変えるやつがあるんですよ。例えば、「Fuck
you, Charlie!」って言わないで、「Chuck you, Farlie!」って言うんですよ、英語で。それから、「こなさん、みんばんは」って言うのができたんですよ。「こ」と「み」を入れ換えて、「こなさん、みんばんは」。
Q .小林さんは俳優業ほか、テレビでも活躍なさっていますが、今後のプランを聞かせてください。
A .特に何もないですよ。頭の中では実現不可能みたいなことを考えてるんだけど、そういうのは自分がスタートしたものじゃないんですよ。誰かと出会って、意気投合するとかなんかでスタートしたものなんですよね。
『スネークマンショー』も桑原茂一っていう人間と出会ったことがきっかけなんです。彼は放送のプロじゃなかったんだけど、ファッションメーカーなんかに強い独特の顔を持ってる人間で。もともと『スネークマンショー』っていうのは、「BIGI」のファッションショーのBGMを作ることから始めたんですよ。「BIGI」のファッションショーでおもしろいことがやりたいと。じゃ、選曲とウルフマン・ジャック声で、ちょっと独特の曲を紹介しようっていうので作ったら、それが結構うけちゃったんですよ。
それで、桑原君がいろんなファッションメーカーから「うちもああいうの作りたかったんだよ」って言われて、エドウィンっていうGパン屋さんが、「じゃあうちの店舗のBGM作ってくれ」って。それで、計算したんですよ、BGM800本作るんですよ、800軒あったから。800軒に対して、いろいろ、権利をクリアしたりして作ると、何百万になるんですよ、1つのものを作っても。そしたら、いっそのことラジオの番組やれば、権利もへったくれもないから、それを流した方がいいよって僕言ったんですよ。その方が安くつくわけですよ。じゃあ、それにしちゃおうってことで番組になっちゃった。
映画もね、僕は映画なんかもやるつもりはなかったんだけれども、いきなり石井總亙っていう若い映画監督が僕の所に来て、「小林さんを主演に使いたい」っていうので『逆噴射家族』っていう映画に引っ張り出されたりとか。
『ベスト・ヒット・USA』っていうテレビも、僕は十分に忙しくて、時々通訳みたいなことで出たりとかするんだけど、テレビってすっごい待ち時間が長かったり、拘束時間が長いんですよ。で、最初、断ったんですよ。今断ったらおそらくバイリンガルの子とかいっぱいいるけど、その頃は僕が断ったら英語しゃべったりする人がなかなかいなかったんですよ。80年代前後ね。3回くらいつきまとわれて、説得されて、「こういう風な番組だから、普通の音楽の番組じゃないんだ」って。それならやってみるかって。3ヶ月か4ヶ月で終わるような気分だったんですよ。そしたら全然違う番組になってって。だからそれも僕がスタートしたもんじゃないですよね。
Q .ヒットの要素とはなんでしょうか
A .いろんな中に要素ってあるんだけど、それはやっぱりね、わかんないですよね。発想と出会いと実行とがからみあって新しいものができるわけだし。最初はみんな、世の中あっと驚かしてやろうと思ってやってないわけですよ。それより「やっぱりこれは、こうやらなきゃなダメだよな」みたいなこだわりでやってる。だから最初は、そんなものがうけるかどうかわらずに、みんなスタートしてるわけです。
Q .新しいものを生み出していく(情報)源はなんですか?
A .自分の中にはちょこちょこっとアイデアみたいなものはあるんですけど。やっぱり世の中の全体の動きですよね。いろんな話だとかいろんなことを耳にして、聞いているうちに、そうじゃないんだよって気持ちが生まれると思うんです、誰でも。
例えば、今の世の中、情報、情報って言ってるじゃないですか。情報はとても大切で、情報1つで大きな産業にもなったりしますよね。例えばインターネットなんかがすごい発達して、普通の子が、先生が教えてくれる知識の数倍のものを簡単に手に入れることができるわけですね。でも、そこで手に入れた情報は、いわゆる「Facts
and Rates」が多すぎる。
例えば洋楽の世界だったら、ローリングストーンズっていうのはこういうグループで、ロックっていうのはどういう風なものでとか、そういうFactsとRatesみたいなものがすごい多いんですけど、そういう風なものが情報だと思っちゃう。
だけど、本当は情報っていうのは、例えば、他人の頭の中では、心の中では、どんなことを思っている、どんなことを感じているっていうのが情報なんですよ。それは動物的なことに根ざしているわけですよ。
アメリカ人っていったって、いろいろいますよね。右派から、タカ派からハト派までいて、キリスト教徒からイスラム教徒も含まれるわけですよね。例えばアメリカ人って言った時に、そのアメリカ人って一体何だろうか。アメリカ人は例えば、頭の中でどういう風なことを感じているのか、心はどうなのかって言うのが情報じゃないですか。
僕なんかも一種の紹介業ですから、例えば「マドンナが2回目の結婚をしました。子供を産みました。2人目です。ガイ・リッチーという映画監督と」っていう、1つの情報を伝えてますよね。だけど、本当の情報っていうのは、例えばマドンナっていう人が、アーティストだから発表してるCDがあるわけですよ。それ聞くと、その音の中に詰まってるんですよ。
どういうことかと言うと、この音はなんでこういう風な音を使うのか、新しい音なのか古い音なのか。なんで新しい音を使うかって言ったら、もうこの人が新しいものがりやで、人をびっくりさせるようなものとか、今までの常識を破ったような音を使いたがっているとか、そういうのわかりますよね。自分が曲を書いた時に、この人の才能はどれぐらいで、どういう風なことを思ってこういう風な歌詞で、こういう風な世界を伝えようとしているのかって、その人の中にあるんですよ。その音の中にあるんですよ。だから極端なことを言うと、全然名前も知らないでぱっと聞いた時に、「あ、この人は妥協の音か」とか「あ、これはお金儲けのために出したな」という1つの情報があって、その人の顔を見なくても音の中にあるんですよね。
Q .そういう風に感じる力が必要だと
A .そうそう。それがないと、読めないんですよ。
この前、鈴木宗男さん関連で捕まった佐藤さんっているでしょ。彼が逮捕前に、僕が今言ったようなことを言ってたんでびっくりしたんですけど。ロシアっていうのは何かっていうと、ロシアっていうのは国じゃないと。ロシアっていう所にいる人たちが、何を考えてるかっていうのが、それがロシアなんだって言うんですよ。あ、おんなじようなこと考えてる人がいたんだなあと思って。
だから例えば、新聞を読むけど、その新聞のもう1つ向こうに、1つの記事のもう1つ向こうに、なんか感じるわけじゃないですか。その力があれば、アイデアっていうのは絶対出てくると思うんですよ。
商売に天才的な人っていうのは、もっとそういう見方でそういうことを見てるはずですよね。だから人の動きがわかったりとか、予想できたりとかするんだと思うんですよ。僕らにとって商売っていうのは、音を聞いた時に、あるいは映像なんかを見た時に、「あ、あ」ってわかる…それがやっぱり必要だと思います。
小林克也さんのアルバム&主演映画とドラマ
『スネ−クマンショー』アルバム16枚
ナンバーワンバンドとして『もも』を始めとするアルバム11枚
花咲コバヤシとしてアルバム『シャララ ガーデン』
他 多数のゲスト参加アルバム
映画・ドラマ
『逆噴射家族』主演82年/『リボルバー』主演
『どっちにするの』主演/『マルタイの女』主演
『学校 3』主演98年/NHK大河ドラマ『武田信玄』他
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