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中東リポート&街角から

街角から

【街角から】エジプト・ムルシ支持派があつまるラバア広場を歩く 

安江 塁

  「シーシ(軍総司令官)によるムルシ大統領解任は革命かクーデターか」で分裂するエジプト。カイロの中心地タハリール広場から車で約30分に位置するナスル・シティーのラバア広場はムルシ前大統領支持派の拠点となっている。軍・暫定政権支持派の中にはラバア広場を非常に危険な場所として認識する人々もいるが、実情はどうか。ラマダン明けのイード・フィトゥル(断食明けの祭)初日のラバアを訪れた。

拡大ムルシ派が集まるカイロのナスルシティーのラバア広場で群衆を前に演説する男性。様々な人々が次々とステージの上から語る=安江累撮影

 ラバアに行く前に、タハリール広場周辺にいる軍・暫定政府支持のエジプト人の友人たちと話した。彼らは口を揃えて「ムルシ(前大統領)はエジプト全体のリーダーではなく、自身の出身母体であるムスリム同胞団にばかり利益供与を謀った」とムルシ政権を批判した。それだけでなく、「ラバアには絶対に行くな。危険だぞ」と言う。「ラバアにいるムスリム同胞団は銃を所持し、メンバー以外の通行を阻んでいる」「入場には許可書が必要である。ムスリム同胞団の知り合いが入れば中に入れる可能性があるものの非常に危険である」など警告した。

 タハリール広場の旅行会社勤務のアラ・ディンさん(37)は、会社の前に座って水タバコを吸いながら興奮気味に話す。「ムスリム同胞団の友達がここに迎えに来る際は気をつけたほうがいい。今タハリール広場の人たちは長いヒゲを見ると過敏に反応するからね。捕まえて殺ししてしまう可能性だってある。過去にも起こっているしね」と笑った。

 「あそこはテロリストの巣窟だ。奴らのせいでエジプトは分断されてしまった。早く軍がラバアにいるテロリスト全員を殺して祖国に平和を取り戻してくれることを祈る」という過激な意見は珍しくない。「お金とお菓子で子どもを呼び寄せて人間の盾にしている」といった話や「外から人を連れ去って身分証明書を取り上げ、牢屋に入れて拷問をしている」「銃火器をカーペットの下に隠している」などの噂もある。タハリール広場の人からするととにかく物騒な場所らしい。私はそんな話を聞いて、ラバアに行って大丈夫だろうか心配になった。

 ラマダン明けのお祭りイード・フィトゥルの初日の8月8日、ムスリム同胞団のメンバーでラバアに出入りするムハンマド・ラマダンさん(34)に案内してもらう手はずを整えた。ガラベーヤ(伝統的な長衣)を来たヒゲの長い初老の男性が迎えに来てくれるのだと思っていたが、彼はスキンヘッドでヒゲはなく、襟付きのシャツにジーンズを履いたハンサムな男だった。

 タハリール広場から車で約30分走ると交通量が極端に少ない大通りに出た。車を降りて歩いて行くと路上に大量の砂袋が積まれているのが見える。砂袋の先へと進むと10人ほどの男性が並び、道を塞ぐ。道の右側が入り口、左側が出口になっており、その向こうには選挙時と同じ様にムルシ支持を謳う写真入りの横断幕が見える。

拡大ラバア広場での入り口での身分証明書やパスポートのチェック=安江累撮影
 ムハンマドさんが「日本からカメラマンがラバアでの生活の様子を撮りに来た」と説明するとボディチェックと荷物検査だけで入ることができた。他の入場者を見る限り、身分証明書の提示と荷物の簡単な検査だけで、数十秒も待たずに中へ入っていく。証明書や許可書の類を提示している人は1人もいなかった。

 ラバアの封鎖区域はラバア広場と広場から伸びる四方の道路の途中までで、端から端まで歩いても15分程度と小さい。運動会で使うようなテントが道の両側に並び、道は人でいっぱいだ。ラマダン明けということもあり、家族を故郷で過ごす人や家族でラバアに来る人もいるため出入りは多いものの「大体いつもこれぐらいの人はいる」と驚いた私を見てムハンマドさんが笑った。

 ジーパンにTシャツを着た10代の若者や大きな黒い袋を持った子連れの女性、襟付きのシャツにスラックス・革靴を履いた30代ぐらいの男性、白くなったヒゲを生やした男性もいる。タハリール広場でも留学生の多い高級住宅地のドッキでも留学時代に住んでいた下町のサイダ・ザイナブでも、どのスーク(市場)でも見られるイード(イスラム教の祭)のごくごくありふれた光景だ。

 道を進むと早速数人が寄ってきて「ラバアへようこそ。今日はイードなので存分に楽しんでいって下さい」と笑顔で歓迎してくれた。危険な雰囲気などどこにもない。道に並んだ各テントでは20~30人ほどの男性がブルーシートの上に寝転がって休んでおり、その上には洗濯物がぶら下がっている。コーランを読む人やあぐらをかいて紅茶を飲みながら談笑している人もいる。「まだ日差しが強いからね。エアコンもないし扇風機もないから昼間はこうしてテントで休んでいるんだよ」と男性が寝転がったまま説明をしてくれた。道では子ども達が一生懸命水鉄砲で水をかけていたが、どうやらこれは納涼と狭い区域に暮らす子どもの遊びを兼ねているようだった。

拡大ラバア広場でテントの下で寝そべっているムルシ派の人々。6月28日から、ラバアに泊まっている人もいる=安江累撮影

 テントを覗いて回る私のカメラを見ると「写真を撮ってくれ」と集まってきた。そのうちの1人が「ちょっとまってくれ。ムルシと一緒に写真を撮りたい」と言ってムルシ前大統領のパネルを持ってきた。

 屋根だけのテントの中に目隠しの幕のかかった女性用テントがある。中には扇風機が置かれ、女性と子どもが座っておしゃべりに興じている。別のテントの前では女性が輪になり、子どもを囲んで手を叩きながら歌っている。家族連れや子連れの割合が高いように感じる。

 各テントには都市名の入った横断幕が設置されている。エジプト全土から人が集まってくるため、シナイ半島のテント、その隣はリーコ、アレクサンドリア、タンタ……といった具合に出身地ごとにテントが分かれていて、同郷同士寝食を共にする。「知らない場所で知らない人と暮らすのは大変だし、物資が少ないから色々なものを共有しなきゃいけないから」だそうだ。

 ラバアでの生活パターンは5種類に分けられる。第1は、ラバア広場のテントに住み着く人で、その多くはシナイ半島やアスワンなど遠方の出身者のようだ。第2は、家とラバア広場を往復している人々で、カイロ近郊在住の人が多い。第3は、家族がラバアに住んで一人で仕事に行く人。第4は、家族と一緒にラバアと家の間を移動する人。第5は、少数だが、家族を家に残して単身で数日間をラバアで過ごす人もいる。

 カイロから北へ車で2時間のタンタに住むアフメドさん(46)は3日間をタンタでタクシー運転手の仕事をし、3日間をラバアで過ごす。「ここでの生活にもやっぱりお金はかかるし、決して楽ではないよ。でも家族を養うためには働かなきゃいけない。今は治安が良くないし、家族をタンタに残しておくのは不安だからこっちに移した。俺は同胞団員じゃないけれどラバアに出入りしているというだけで態度を変える人もいる。ここは安全が保障されているからね」

 ムハンマドさんが「ここにはなんでも揃っている」と言うように、机にコップとお湯と紅茶の葉だけを並べた簡易カフェ、お菓子やコーラを売るキオスク、スナック菓子感覚で食べる豆屋、服屋、ジュース屋、持ち帰り専用レストランもある。水はトラックで運びこまれているが「軍が水や電気の供給を止めても耐えられるように、井戸を掘ったり地下水を汲み上げたりできるようにしている。太陽光発電ジェネレーターも導入予定だ」とムハンマド・イスマイールさん(58)話す。

 水タバコを吸う人は街を出て近所のマクハに行かなければならないが、煙草を吸う人を6時間程度の滞在中1度も見かけなかった。混雑するスークや大通りでも歩きタバコを見かけることが多いエジプトにあって、煙草を吸う人がいないのは、なかなか珍しい場所である。

 ゴミを捨てる場所が定められており、集まったゴミはトラックに積んで外へ運び出される。路上に落ちているゴミは少なく、小さなコミュニティを自分たちで維持するための規律を感じられる。

 殉教者追悼のためのテントでは、ラバアへの攻撃で命を落とした人の写真とともに銃を持った警官やブラックブロック(全身を黒服で覆った若者中心の武装集団)の写真も掲示されている。多くの人が携帯電話でそれらを撮影していた。他にも居住テントと同様の野戦病院のような外見だが病院や簡易医療施設、薬局も設けられている。

 タハリール広場に集まってくる暫定政府支持の若者達から、「ラバアに行くことをやめろ」とさんざん脅かされた後で、ラバアの道を歩いてみると、きつねにつままれたようだった。すれ違う多くの人が挨拶をし、イードのお祝いを言ってくれる。人々がリラックスして見える。ギスギスした雰囲気のタハリール広場に対して、ラバア広場にはかつてのおだやかなエジプトの雰囲気を感じることができる。

 「これこそが本来のエジプトだ」とファリードさん(52)は言う。「ここにいるのはエジプト人だ。エジプトの人口は約8,500万人。そのうちムスリム同胞団のメンバーはエジプト全土で100万人から200万人程度だ。ここにいるのは、ムスリム同胞団だけじゃない。自由主義者もいれば民主主義者もいる。我々はエジプト人としてここにいる。革命で手に入れた自由と民主主義を守り、この国を良くしたいと思う人がここに集まっている」

 ラバアの出口付近のカーペットに座っている6人の男性に夕食に招かれた。「エジプトのメディアが嘘ばかりを報道するせいで、民衆がラバアを恐れるようになってしまった」と1人が声を挙げる。「誰でもチェックポイントで検査を受ければ入場できるし、武器なんてありはしない」と言って立ち上がりカーペットをまくって見せた。

 お金と食料で子どもを誘拐していると主張する現政権支持派もいる、と話すと全員の顔色が変わった。「タハリールの人々はだまされている。嘘つきだ。嘘ばっかりだ」とムハンマドさんが呆れた声で言う。「ここにいるのはその辺の子どもじゃない。私の子どもだ。そんな場所で銃を撃ちあうわけがない。そんな場所に家族を連れてきたりはしない」とフランス語通訳のタハ(46)は笑いながら言う。「タマロド運動だってそうだ。あんなものは捏造だ」という。「タマロド運動」は今年の春から反ムルシ政権運動を始めた若者の運動である。

 ムルシ政権を批判する人々は「食料やガソリンの不足がひどかった」と言ったが、それについて、家族でラバアやナハダに通うマハムード・アリーさん(32)は「本当に不足していたならどうしてモルシが排除された後、2日で全て復旧するんだ。ムルシ政権の邪魔をしたい勢力の謀略だ」と語った。

 夕方のお祈りの時間を迎えたラバア広場では、人々が国旗やムルシ前大統領の写真を持って集まっていた。「エルハル・ヤー・シーシ!ムルシ・ライーシー!(シーシよ、出て行け!ムルシは我々の大統領だ!)」のシュプレヒコールが始まった。ニュースで朝から晩まで流れる映像が、この場所の平穏な日常生活のごく僅かな部分でしかないことを思い知らされる。演説している舞台の上で写真を撮りたいと申し出ると「もちろん結構ですよ。ご自由にどうぞ」と快諾してくれた。タハリール広場にあるステージに比べると驚くほど警戒が緩い。

 タハリール広場とラバア広場は約15kmしか離れておらず、人の行き来もある。「ラバア広場はとても穏やかで、盗みもないし殺人もない。みんなで分けあって生活している。人々は自分の足で来て、自分の足で出て行く」との彼らの弁は確かだろう。では、この情報の解離はどこから来るのか。マハムード・アリーさんの考えはこうだ。「タハリールの若者はエジプトの国営チャンネルしか観ない。直ぐにだまされて軍や警察にいいように利用されている。自分たちが国を動かしているという錯覚による高揚感につけこまれているんだよ」

 ラバア広場にテントが立ち始めて以来通い続ける男性は「ラバアでの生活は楽じゃないよ。ラマダン中の炎天下を皆でラムセス駅から20キロ歩いてラバアに通った。物資も少ないしね」と運ばれてきた鶏肉の料理についてきたアルミフォイルを丸めて作ったスプーンを手に笑う。「それでも私たちはこの国の自由と民主主義を守るためにここにいる」

 ムルシ派の人たちは「自由と民主主義」という言葉を繰り返し使う。「2011年1月25日のエジプト革命で我々は軍政に終止符を打ち、自由と民主主義を手に入れた。1月25日革命はムバラク体制の頭であるホスニ・ムバラク(元大統領)をすげ替えることには成功したが、その身体である軍・警察・司法・メディアはそのままだ」「ムバラクは刑務所に入っているのに、同じ罪を犯した人々がまだ権力を持ったままだ。これでは国は変わらない」とタハ氏は両手を上げた。革命時も昨年6月の大統領選挙時もタハリール広場で叫ばれたスローガンは「軍政を終わらせろ」だった。

 「我々も革命の時には一緒に自由と民主主義を求めて闘った。今やエジプトは民主主義国家だ。民主主義国家でクーデターなんて許されない。私たちは今も自由と民主主義のために、そしてエジプトの団結と平和を求めてここにいる。祖国の時間を巻き戻さないためにここで戦っているんだ。」

 テントの下で寝転がって、食後の紅茶をすすりながら、民主主義を熱く語り合う人々を見て、改めてラバア広場の穏やかな空気を感じた。 

安江 塁(やすえ るい)

ジャーナリスト・アラビア語通訳

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