《この年の広島は、日本初の大リーグ出身監督となったジョー・ルーツが指揮していた。チームカラーを“情熱の赤”に一新した「赤ヘル」の生みの親は、判定をめぐる退場騒動をきっかけに球団と対立、開幕からわずか15試合で解任された》
--監督就任を要請されたときは
「3年連続最下位で毎年監督が代わった。『ことし最下位なら私もクビだな』と思ったが、自分の考えやいいたいことを伝えて選手を納得させ、成績を残せなければ仕方ないと。腹をくくって引き受けた」
--ベンチでは柱の陰からみつめる姿が印象的
「あの位置に立てば投手の投げるボールは球種も分かる。打たれたとき、内外野がきちっとした動きをしたかどうかも。ベンチに戻った選手を『あんなプレーをしとったらもう使わんぞ』と、しかるためにもベストポジションだった」
《この年のオールスター第1戦(甲子園)では山本浩二、衣笠祥雄がともに2本塁打。赤ヘル軍団の勢いを印象づけた》
「それまでライバル心もあってあまり話をせず、食事や飲みに行くこともなかった。優勝争いになってから『おれたちがチームを引っ張らなくては』という気持ちを持ってくれた」