【プロ野球80年】古葉竹識氏、広島初優勝 遺影掲げる市民…パレードで泣いた:イザ!

2014.3.13 08:00

【プロ野球80年】古葉竹識氏、広島初優勝 遺影掲げる市民…パレードで泣いた

 【プロ野球80年 レジェンドたちの証言】

 《1975年のセ・リーグは、夏場まで巨人以外の5チームが首位を入れ替わる大混戦となった。9月なかば、トップに立ったのは創設26年目でまだ優勝のない広島。前年覇者の中日から猛追されたが、シーズン途中にコーチから監督に昇格した古葉竹識さん(77)率いるチームは10月15日、勝つか引き分けで胴上げとなる巨人戦(後楽園)に臨んだ》

 --敵地に約9千人の広島ファンが駆けつけた

 「ベンチ入りすると、すごい声援と(宮島名物の)しゃもじをたたく音に驚いた。三塁側から右翼席まで広島ファンで埋まっていた」

 --五回に1点先制して、そのまま終盤へ

 「九回1死一塁、巨人一塁手のワンちゃん(王貞治)がバントはないとみて後ろに守っていた。三塁コーチだった私は次の打者の大下(剛史)に目で合図すると、『自由に打たせてくれないのか』と思ったそうだがすぐに意図を理解して、プッシュバントを決めた。3番のホプキンスが右翼席へ3ランを放ち4-0となった」

 ◆経営難乗り越え

 --初優勝の思いは

 「広島は厳しい時代を乗り越えてきた。特に球団の創設時は経営的にも苦しく、先輩たちが球場前にたるを置いて募金を集めたこともあった。そうした思いが頭を駆け巡った」

 --相手の長嶋茂雄監督との因縁も深い

 「学年は長嶋さんが上だが、同じ昭和11(1936)年生まれでプロ入りも同時。仲のいい夕刊フジの記者の企画で優勝の夜、対談した。巨人は最下位。普通は考えられないが、球界を盛り上げるために引き受けてくれたのではないか。『おめでとう。来年はぜったいうちが勝つからな』と。その通り(巨人は翌76年、77年とリーグ連覇)になった」

 --5日後には広島で優勝パレード

 「沿道のファンが額に入った遺影をたくさん掲げているのを見て泣けた。チームを熱心に応援して、この日を迎えられなかった肉親にひと目見せてあげたかったのだろう。カープは原爆の大変な被害から立ち上がろうとした市民の心の支えでもあった」

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