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昭和35年9月3日 | 父・島稔、母・島弘子の長女として生まれる。オリンピック開催年にちなみ、聖子(せいこ)と名付けられる。乙女座、A型。 |
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昭和42年 | 田園調布雙葉小学校に入学。女子サッカーに熱中。 |
昭和48年 | 同中学校に進学。生徒会・ボランティア活動に取り組む。 |
昭和51年 | 同高校に進学。同級生とロックバンドを結成。 |
昭和52年 | 財団法人YFU日本国際交流財団・派遣学生奨学金制度の試験に合格。田園調布雙葉を高校2年生で中退し、アメリカ・ミシガン州の片田舎、ジョーンズビルへ。バスケットボールのチームに入部。 |
昭和53年 | ジョーンズビル・ハイスクールを卒業し、日本へ帰国後、上智大学国際学部(当時)に入学。競技スキーに没頭。 |
昭和58年 | 上智大学外国学部比較文化学科を卒業し、株式会社帝国ホテルに入社。フロントやカフェテリアでの修行を経て、同社初の国際セールス部女性セールス部員となる。 |
昭和59年 | 祖母・野田光の死去に伴い野田卯一の養女となり、野田姓を継ぐ。 |
昭和61年 | 単身、岐阜へ移住し、生まれて初めての選挙活動を開始する。 |
昭和62年4月 | 岐阜県議会議員選挙に当選。 |
平成2年2月 | 第39回衆議院議員総選挙に立候補し、落選。 |
平成5年7月 | 第40回衆議院議員総選挙で初当選。 |
平成8年10月 | 第41回衆議院議員総選挙で再選。 |
平成8年11月 | 郵政政務次官(第2次橋本政権~平成9年9月) |
平成10年7月 | 郵政大臣(第1次小渕政権~平成11年10月) |
平成11年10月 | 衆議院議院運営委員会議事進行係、自民党国会対策委員会副委員長。 |
平成12年6月 | 第42回衆議院議員総選挙で三選。 |
平成12年7月 | 自民党政務調査会副会長。 |
平成12年12月 | 自民党筆頭副幹事長。 |
平成15年11月 | 第43回衆議院議員総選挙で四選。 衆議院総務委員会筆頭理事、自民党政務調査会副会長。 |
平成17年9月 | 第44回衆議院議員総選挙で五選。 |
平成20年8月 | 内閣府特命担当大臣(第二次福田政権~平成20年9月) 消費者行政推進担当大臣 宇宙開発担当大臣 |
平成20年9月 | 内閣府特命担当大臣(麻生政権) 消費者行政推進担当大臣 宇宙開発担当大臣 |
平成21年8月 | 第45回衆議院議員総選挙で六選 |
平成24年12月 | 第46回衆議院議員総選挙で七選 |
衆議院 | 国家基本政策委員会 委員 |
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自由民主党 | 総務会長 政権構想会議 幹事 |
超党派 | 骨髄バンク議員連盟会長 発達障害の支援を考える議員連盟副会長 生命倫理と生殖技術について考える会事務局長 和装振興議員連盟事務局長 |
各種団体 | (学)東京聖徳学園聖徳大学名誉学長 日本食育士協会理事長 (財)日本盲導犬協会評議員 NPO法人ひまわりの会会長 夫婦別姓選択制実現協議会顧問 岐阜県バスケットボール協会名誉会長 岐阜県水泳連盟会長 岐阜県のプロスポーツを考える会会長 岐阜市乗馬会会長 岐阜県および岐阜市の団体顧問等多数 |
毎年、政経文化画人展に日本画作品を出展しております。
昨年は愛犬のキャサリンを描きました。
初心忘れるべからず