経済【国際ビジネスマンの日本千思万考】「日本人に深くお詫びしたい」原爆開発者オッペンハイマーは自死した…日本の「原発」生んだのは米物理学者たちの「原爆贖罪意識」だった+(1/4ページ)(2014.8.17 07:00

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経済

【国際ビジネスマンの日本千思万考】
「日本人に深くお詫びしたい」原爆開発者オッペンハイマーは自死した…日本の「原発」生んだのは米物理学者たちの「原爆贖罪意識」だった

2014.8.17 07:00 (1/4ページ)国際ビジネス
昭和20年8月9日、長崎上空に上がったきのこ雲。米軍B29爆撃機「ボックスカー」による原爆投下から3分後に撮影された。原爆を開発した米科学者たちは自責の念に駆られたという(AP=共同)

昭和20年8月9日、長崎上空に上がったきのこ雲。米軍B29爆撃機「ボックスカー」による原爆投下から3分後に撮影された。原爆を開発した米科学者たちは自責の念に駆られたという(AP=共同)

湯川博士のノーベル賞受賞の陰に

 前回、「8月15日」の意義についてお話ししましたが、日本の敗戦を決定づけた広島、長崎への原爆投下に関して、日本ではあまり知られていない史実があります。今回は小筆がアメリカ在住時に耳にした秘話を披露したいと思います。

 広島、長崎の悲劇を生んだ原爆を発明したのは、オッペンハイマーやアインシュタインほかユダヤ系化学・物理科学者たち(ナチスから逃れ米国へ移民した学者たち)によるマンハッタン計画でしたが、当初の“ナチスドイツ殲滅・ヒットラー必殺の目標”が、想定外に早く訪れたヒットラーの自死とドイツの降伏(5月)で、実験と投下のタイミングを失したのか、ウランとプルトニウムという二種類の核爆弾の準備を万全に整えるのに遅れたのか(7月に実験成功)、おそらくこれらの理由により、5月以降も応戦を続けていた日本に振り向けることになったそうです。

このニュースの写真

原爆投下翌日、米軍によって撮影された広島市全景=昭和20年8月7日(広島平和記念資料館提供)

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