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女子マネージャーと「おにぎり信仰」

「おにぎりマネージャー」の記事を読み、この国の根底に流れる「おにぎり(弁当)信仰」について考える。

我が子も少年野球をやっていて日々感じているのは、そのとてつもない練習量と結果の刹那に愕然とすることがある。

高校野球で最終的に優勝出来るチームは1チーム。
圧倒的に敗者の多いスポーツなのだ。

甲子園に出るようなチームの選手たちは、才能+それこそ血のにじむ努力とによってグランドに立っている。
あの舞台に出ることができたチームならば、実力はそう大きくは変わらないだろう。
勝敗を決めるのは一つのエラーだったり、恵みの雨か無情の雨か、天候にも左右されるであろう。しかもチームプレイだ。自分だけが調子が良くてもダメなのだ。

最後の気持ちをつなげるのは「信じる」ということ。「祈る」ということ。

どのスポーツもその側面はあるだろうが、とりわけ野球に関してその側面は大きい気がする。

2万個のおにぎりをコンビニで買うことは容易かろう。
そもそもサンドイッチでも、菓子パンでも良いとも言える。

しかし、そこは女子マネの「魂」がこもった「手作りのおにぎり」でなければならない・・握ることも、食べることもそれは自分たちの勝利を信じること、そしてどこかで「負ける心の準備」にもつながる一種の修行のような気もする。

まあ、みんなで握ればいいのにね、とは思うがね(笑)

女子マネは彼女の代わりでもあり、母の代わりでもあり、自分の努力を影で見続けている野球の女神(菩薩)の代わりでもあり、なのだろう。

以前にも我が国の「おにぎり信仰」「弁当信仰」については言及した。

今回「おにぎりマネージャー」の記事が世論喚起した「消費される女子」もしくは「男力を利用する女子」については別途、別の視点から書きたいと思う。

ちなみに私は陸上部だった。

陸上部でマネージャーがお握りを握ることはない(笑)
陸上部の場合は例えば試合で1位が取れなかったとしても「自己記録」という心の抜け道がある。勝ち負けについてはもちろんそれなりにはあるが、記録というもうひとつの評価基軸があるので救われたりする。
逆に言えば実力がはっきりしし過ぎて、奇跡やドラマが起きにくい。「おにぎり信仰」を持つまでもないのかもしれない。

夏の甲子園で闘う選手たちの姿は、いつも阿川弘之の『雲の墓標』を初めて読んだ時の衝撃を思い起こさせる。 私は中学1年生だった。
「あの日」から、私の時間軸の始点は「1945年」となった。
私は「あの日」から20年目に生まれた。幼い日々には「戦後」がまだ残っていたと思う。

全ての戦争犠牲者と、戦後69年の月日の重みに、不戦と平和を守り抜くことを改めて誓う。

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