ビルマでの戦い:終戦知らぬまま死線4カ月「何のため…」

毎日新聞 2014年08月16日 11時57分(最終更新 08月16日 12時25分)

終戦後もビルマの密林をさまよった神田敏彦さん。その体験に長男孝さん(後ろ)も耳を傾けた=福岡県宇美町で、須賀川理撮影
終戦後もビルマの密林をさまよった神田敏彦さん。その体験に長男孝さん(後ろ)も耳を傾けた=福岡県宇美町で、須賀川理撮影
家族に見送られ出征する当時20歳の神田敏彦さん(旧姓留守、前列右から2人目)=1939年、本人提供
家族に見送られ出征する当時20歳の神田敏彦さん(旧姓留守、前列右から2人目)=1939年、本人提供

 戦後は東京の逓信省(当時)に復職し、炭鉱にも勤めた。自適を送る年になったが、神田さんにはこの夏、疑念に加えて懸念が芽生えた。政府による集団的自衛権の解釈変更で、限定的でも自衛隊は海外での武力行使が可能となる。69年前、日本のために戦いながら、終戦を伝えられなかった自らの体験に重ね合わせて言う。「小競り合いと思うても、泥沼化するのが戦争たい。日本を守るちうて、海外で戦争することはなか。戦争は二度といかんばい」

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 神田さんの体験は、新風書房(06・6768・4600)出版の「孫たちへの証言第27集」(税別1300円)に収録されている。

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