明 日 の 心    2010年8月

 JR不採用事件 ・ 解決報告集会  8月29日
 「明日の心」 …4周年と600号  8月26日
 船形山のブナを守る  8月24日
 白鳥と亀  8月21日
 千手寺周辺の買収財源は …病院(37)  8月18日
 終戦の日  8月15日
 第3セクターの情報開示に異議申立  8月11日
 戦争を考える一日に  8月 8日
 65年目のヒロシマ …核廃絶の一歩に  8月 6日
 国会議員の “歳費日割り  8月 3日
 技術流出  8月 1日

 JR不採用事件 ・ 解決報告集会                        8月29日 

 昨日、仙台での「JR不採用事件 ・ 解決報告集会」に当事者として出席。
 宮城県と福島県・山形県から、23年間に及ぶ闘いに関わった政党・共闘団体の代表
者、弁護士、歴代役員ら、多くの関係者が一同の会して。
   ◎この件の詳細は、6月1日・6月26日号などを。

 対象者・1047名の内、解決の日の目を見ることなく65名が鬼籍に入ったが、その一
人の妻(福島県)から次のような挨拶が。
  ・ 「夫が亡くなってから間もなく2年になる。葬儀後に住職に御礼に言ったら、『労働組
   合のことは全く知らなかったが、葬儀中に団結の大切さと素晴らしさを教えられた。
    良い葬儀を挙げられたことに感謝します』と言われた」と。

 さらに、
  ・ 「今年4月、政治解決を夫の仏前に報告したとき、思わず涙がこぼれました。
    生前、自分の命が長くないことを知った時、『俺が死んでも泣くな。解決するまでは
   だめだ』と言われました。『約束は守りましたよ』」…。


 私の主任弁護士は、「国家的不当労働行為に対し、人間の尊厳を掛けても屈服しない
闘いであった。容易な解雇や非正規労働者の増大による様々な問題など、今日の状況
は基本的に変わっておらず、この闘いを参考にすべき」と。

 文字通り、筆舌に尽くしがたい闘いの結実だけに、解決に至った経緯と内容に互いの
労苦と称えながら喜びの声・声。
 第2部のレセプションでは、久しぶりの再会で懐かしい話しに花が咲き、現状の労働現
場に嘆き、今後の運動等に、暑い中で暑き議論に。そのまま、夜の仙台に…。

 「明日の心」 …4周年と600号                          8月26日 

 ブログ調に「明日の心」をリニューアルしたのが2006年8月26日。したがって、今日
で4周年。

 ホームページを立ち上げのは、8年前の2002年6月1日。
 当時は、コラム・「絆」や「議会発言」など議員活動に関するページが主。「明日の心」
は、俳優の小沢昭一さんと同名の縁で、その時々に感じ考えていることを、明るい日に
繋がることを願いつつ、自戒を込め綴っているもの。

 旧「明日の心」は11号で終え、2006年8月26日からは手作りのブログ調にリニュー
アル。改めて数えたら、偶然にも今号でちょうど600号に。
 ほぼ3日に1号のペース。月別で多かったのは2006年9月の16号で、日数が最大開
いたのが6日間。
 4年経って思うのは、よくぞ3日坊主にならず、継続してきたと我ながら感心すること。


 内容はご覧のように様々。日常生活の全てを書いているのではないが、日記代わりに
もなっており、当時を思い出すことも。反面、自己満足的な面もあり、波紋を起こす場合
も。今年から、希望により文字サイズを大きくした。
 もちろん、恥ずかしい内容・文章は至る所に見受けられる。しかし、調査等に基づく事
実であることは当然のことで、その上での批評等の文に。
 各所で「楽しみに読んでいるよ」との感想や意見を頂くと、率直な「喜び」に。

 今年4月に議員を辞めるのを期に、ホームページそのものを閉じようと思ったが、「明
日の心」だけを継続しようと。
 日記代わりの意味もあるが、市民病院の建設問題を見届けたいとの思いと、当たり前
且つまともな大崎市政であって欲しいとの願い等から、変わらないペースで継続してき
た。

 しかし4周年・600号を期に、今後はホームページを閉じる可能性を常に抱きつつ、週
1回などペースダウンになる(したい)との思いを込めながら綴ることに…。予め断りを。
 皆さんのご愛読に感謝しつつ、ご意見・指摘・指導等をお願いします。

 船形山のブナを守る                                8月24日 

 市民ギャラリー・緒絶の館で、「第12回 ブナの森作品展」が開催されている。
 主催する「船形山のブナを守る会」が発足して25年、機関誌・「ブナの森」が発行10号
という節目の開催。その会の事務局長が、妻の兄ということもあり見学に(29日まで)。

 展示は、写真・絵画・短歌・工芸など多彩。もちろん船形山に関する作品だが、ブナ原
生林の素晴らしさや、自然の美しさを体感できるもの。
 中には、くるみ・まつぼっくり・ブナの実等の “森のおくりもの”も。

 かつて船形山は、全山がうっそうとしたブナの森に覆われ、樹林が濃いため見通しが
効かず 「ヤブの山」と言われ、一般の登山者からも敬遠されていたほど。
 しかしその後、林道が全山に入り込みブナ伐採が行なわれることに。

 青森、秋田県の白神山地の青秋林道建設の反対運動がきっかけになり、山小屋で山
登り仲間が口ーソクの灯りを囲み、酒を酌み交わしながら 「白神へカンパすればそれで
済むことではない。自分たちが慣れ親しんでいる船形山はどうなのか」の問いかけが、
「船形山のブナを守る会」の原点だという。


 機関誌・「ブナの森」の10号は、「コンクリートのダムと緑のダム」を特集。
 1年前、「コンクリートから人間」と訴え政権交代したが、その象徴が「八ッ場ダム建設
中止」の問題。
 「ブナの森」は、船形山が源の鳴瀬川に計画中の筒砂子ダム建設に対し、「船形山の
ブナを守る会」として知事に3回の要望書を提出した経緯や、専門的視点から緑のダム
が必要との論文を掲載。

 隣の展示室では、高校の恩師が会長を務める「写団みちのく」が、明日から開催する
写真展の準備が。
 少しだけ作品を見たが、この地の自然を大切にし、愛する心が織りなす催しに、処暑を
過ぎても酷暑が続く中で、一足早い “芸術の秋” を満喫したかの日に …私の服装は、T
シャツに短パンという夏そのもの装いだったが。

  ◎今夜は、「日本一の自治体病院をつくる有識者懇談会」の傍聴に。

 白鳥と亀                                        8月21日

 私は、高校野球全国大会(甲子園)の決勝戦終了で、夏の終わりを感じてきた。
 それは、各種の夏祭りとお盆が過ぎ、若人が炎天下で白球を追う熱き闘いが終わり、
ふと見上げれば赤とんぼが飛び交い、朝晩に冷気を覚える処暑になる時分だから (今
年の処暑は8月23日)。

 今日がその決勝戦。春の選抜大会を制した興南高校が東海大相模高校を13−1で
破り、史上6校目の春夏連覇を果たし、沖縄に初の深紅の優勝旗が渡った。

 猛暑の中での大会だったが、直向きにボールを追う若さ溢れる姿に爽やかさを感じた
が、その一方で、熱中症による死者が300人を超え、その多くが高齢者であるとの報道
を見聞きするといたたまれない。


 人間以外も、同じように酷暑と闘っている。
 市民プール側の江合川に、羽などを痛め“越夏”した白鳥が10羽いる。今年の“越夏”
は大変だろう。日中は川沿いの木陰に身を隠し、ひたすらに耐えるのみ。

 互いに労りながら必死に酷暑と闘っている姿に、毎日のように感動しながら激励してき
たが、10羽全部が元気にいることに安堵。
 今は、中州にいるシラサギと励まし合っているようだが、2ヶ月後にはシベリアから飛来
してくる仲間と再会できる。それを楽しみに酷暑に負けるなと…。


 昨日、白鳥を激励しながらの散歩中、同じ市民プール側の江合川で釣りをしている方
から、「亀を釣ったので、持っていかないか」と。
 見ると甲羅が20数p程。断ったが、「いつも釣れて困っているから」と懇願され持ち帰
ることに。途中、近所の子供に見せたら歓声が…。

 しかし、扱いに困る。やはり元の場所に戻そうと。その前に、これも何かの縁だろうと思
い、少々の酒を振る舞うことに。酒を呑んだかは確認できなかったが、同じ場所に放した
ら「水を得た魚」のように水中に消え行く姿を見て、思わず釣り人の餌に食いつかず、元
気で長く生きろよと…。


 それには、国鉄「分割・民営化」に伴うJR不採用事件のある出来事が。
 事件の当事者ではあったが、議員になった配慮から運動には直接関与していなかった
が、10年前(2000年5月)に突然、これまでの主張・運動を否定する『4党合意』が。

 それに強く反対する連載文書を全国的に発行したり(最終的に18号。1号の平均枚数
はA4版・10枚程度)、具体的な運動の提起や全国大会対策等を行ったら、『4党合意』
を推進する幹部から、批判的な意味で “浦島太郎” と命名された。
 しばしの間、運動に関与していなかったのに突然に表れたことが命名の理由だが、せ
っかく命名されたので “浦島太郎” を活用させて頂いた。
 昨日の亀が、それを思い出させてくれた(私は、竜宮城には行きたくないが)。

   ◎ その『4党合意』は、結局は破綻した。その後、私がいち早く提起した裁判の提
     起等がもとになり、損害賠償などを求めていた訴訟が、今年6月に最高裁判所で
     一括和解され、24年目にして解決に。   ・詳細は、6月28日号などを。

 高校野球に夏の終わりを感じてきたが、今年はまだまだ夏は続くようだ。
 なによりも熱中症にならないように体調管理を怠らず、実りの秋を味わいたいものだ。
   ◎「歌がある 明日がある」をテーマとしたNKH「思い出のメロデー」を見ながら。

 千手寺周辺の買収財源は …病院(37)                    8月18日

 市民病院本院の建設場所が、「現在地」から「穂波の郷」に移転となったことに伴い、
現在地の活用策が検討されている。

 その名は、「千手寺周辺地区振興」
   ◎ 市民病院・本院の建設場所が、急転直下に現在地建設から穂波の郷・市有地
    に移転することに伴い、(1)現在の本院の解体後の跡地、(2)現在地建設のた
    め売却に同意した地権者(31名)の土地・家屋を取得し、その後の、地域振興と
    土地利活用のこと。

 市長は、千手寺周辺地区の一体的振興策を実現するために必要な土地(31名の
権者を含む)については、新たな計画を明示した上で、平成23年3月までに契約する
とし、そのために平成22年8月中に基本構想をまとめ、平成22年12月までに基
本計画を策定するとしている。


 この件については、本年2月18日号と7月23日号で問題指摘したが、今号では次の
3点について問題点の概要を。
 1,地権者(31名)の土地・家屋を買収する財源
 2,土地収用法の適用
 3、そもそもの「千手寺周辺地区振興」


1,地権者(31名)の土地・家屋を買収する財源

 (1)取得費が12億円から10億円に減額
       少なくても昨年12月までは、地権者(31名)の土地・家屋を買収する費用を
     12億円と見込んでいたが、今年2月に10億円に減額。

       税金を負担する側にとっては、買収費が少ないほうが良いに決まっており、
     年が明けると共に、2億円(16.6%)も少なくなったのだから喜ぶべきこと。
       しかし、減額になった要因は何だったのか。昨年3月まで不動産鑑定の調査
     を踏まえ買収額を決定し、同意書を求めていただけに、特に大きな状況変化も
     ない中で不思議だ。もし、不動産鑑定調査を含め最初の見積もりが甘かったな
     ら、「血税の使途」との認識を持ってしっかりと職務に専念してほしい。

 (2)買収財源は未定
      買収額が10億円に減額になったものの、実はその財源については未だに未
     定なのだ。
      この件については、2月18日号で次の3点を指摘した。
        @、土地収用法の適応か、土地開発公社での先行取得かが定かでなく、
          一般財源の負担額等が示されていない
        A、新病院建設と用地買収時期が重なり、市の操出しがかなりの負担にな
          ると想定される
        B、用地取得時期と施設建設時期が離れた場合、合併特例債の活用が
          難しくなる可能性がある

       6月3日に開催された 「千手寺周辺地区振興対策本部」(本部長・高橋副市
     長)において、担当課から 「土地開発公社の用地先行取得が現実的」 「その後
     の、市が土地開発公社から買い戻しについては、財源等を見出して」と。
       しかし、土地開発公社の財政は厳しく、「もう少し具体に検討してもらう必要
     がある」と。8月5日の同会議でも結論は出なかったという。

      つまり、10億円を出すところ(会計)が決まっていない。本来は一般会計で買収
    すべきなのだが、逼迫しているのでその財源はない。
      そこで考えたのは、公共用地の取得等のため設置されている土地開発公社に
    先行取得してもらい、後に市が買い戻すこと。
      ところが、当てにする土地開発公社の財政は、今年4月から事務局長の廃止と
    市職員の業務併任を余儀なくされるほど悪く、そんな力はない。
       ◎21年度末で、長期借入金が約15億7400万円。

     昨年12月22日の第3回千手寺周辺地区振興対策本部で、財政担当者から
        「土地開発公社の活用は難しい。先行取得する市財政上のメリットは
       ない。一般会計の財源で取得することはかなり難しい」
     と、財政的制約があることを考慮して進める必要性が指摘されていた。
     にもかかわらず6月3日と8月5日の会議でも、前述したように結論は出なかっ
    た。

      昨年12月26日に、市長が地権者への説明会で「平成23年3月までに買収す
    る」と文章で確約したが、全く財源の目処が立たないものだったことを、皮肉にも
    自ら証明することに。
      これでは、買収のための買収ではないか。何とも穏やかでノンビリしたことか。
      逼迫している市財政下にあって、財源が見出せないのに、買収前提での「振
    興策」の議論が真剣に行われている滑稽な形に…。

      ◎ちなみに、先行取得に関する土地開発公社との協議は一切されていないこ
       とを、今年3月18日と5月21日の理事会で確認。


2,土地収用法の適用

 地権者(31名)の土地・家屋を取得は、土地収用法の適用を前提としたもの。
 それにより、租税特別措置法で5,000万円控除がされる。つまり、土地・家屋等の価
格が5,000万円までは無税となるもの。

   ◎、市民病院本院が建設される「穂波の郷」も、平成11年に「図書館は必要不可
     欠」として土地収用法の適用を受け、通常の売買なら総額で約2億6000万円 
     の税金が「ゼロ」になった。

 土地収用法を申請し適用されるためには、取得目的・つまり活用策を具体的に示す必
要がある。
 この件では、千手寺周辺地区の一体的振興策を実現するため、今月中に基本構想を
まとめ、今年12月までに基本計画を策定する。それで土地収用法を申請し、認定され
れば来年3月までに契約するとしている。

 しかし、その適用は以前から懸念されていたが、6月3日の千手寺周辺地区振興対策
本部で、次のような発言が。
 ・「今年12月まで基本計画を策定しても、土地収用法認定後の用地買収は難し
    いと考えるが、土地収用法の認定は不要なのか」
 ・「確かに基本計画だけでは、土地収用法認定は難しいと考えられる」
 ・「買収する部分については、(土地収用法認定される)対応可能な施設等があ
    る程度決まっているので無制限に検討できるわけではない」


 前提となる 「土地収用法認定は難しい」とか、「対応施設は無制限ではない」のでは、
何のために千手寺周辺地区振興対策本部を設置し、市民等で構成する「検討委員会」
で議論しているのか、その意味を持たないのでは…。
 「取らぬ狸の皮算用」とは、このことでは。
 買収が先にあり(目的化し)、その理由付けとして、施設建設を含めた利活用が後追い
になっているのが実態なのだから、本末転倒と揶揄されてもやむを得ない。

 急遽、市民病院本院の建設場所を「穂波の郷」に移転させたのに、当初約束した「23
年3月契約」を履行するため、拙速な振興策である基本計画策定を余儀なくされることを
市自ら招いているのが現状。
 しかも、地権者の理解を得る「誘導策」ともいえる5,000万円控除の適用が危ぶまれ
る事態になっているのに。

 7月23日号で述べたが、 取得対象土地は 「現在地に本院を建設をするために必要
な土地」と位置づけたのであって、「穂波の郷」に建設となった段階で取得理由が消滅し
た。それでも取得しなければならない理由はあるのかとの疑問がより強く…。


3、そもそもの「千手寺周辺地区振興」

 ここで考えなければならないのは、「千手寺周辺地区振興」とは何かである。
 何度も述べているように、「千手寺周辺地区振興」は市民病院の建設場所が「穂波の
郷」に変更になったことに端を発している。
 つまり、「現在地」建設に理解・協力する意思表示をした地権者に対し、取得理由が消
滅したにもかかわらず、約束した買収を履行するためのもの。

 そもそも 「千手寺周辺地区振興」は旧・古川市当時から計画には無く、合併の建設計
画にも無く、大崎市の総合計画等にもないことが、それを証明するもの。
 もちろん、千手寺周辺地区振興対策本部は昨年10月28日の訓令で設置され、市民
等で構成する「検討委員会」は今年6月3日付け規則により設置されたもの。

 約束を履行するのは大切なこと。しかも法令遵守の模範であるべき行政なら当然至
極。その約束とは「現在地建設」だったのだが、いつの間にか、すり替えられた感。
 それでも、「千手寺周辺地区振興」が必要ならば、取得対象土地を「現在地建設」のた
め必要とした土地に限定するのは、次の理由で小さく・おかしい。

 市が作成し、「検討委員会」に配布された資料(整備計画書)に、次の記載がある。
  地区内及びその周辺は、幅員(道路幅員)4メートル未満の狭あい道路が
 多く、さらに未接道住宅も多いなど、緊急車両が進入できない区域もあり、防
 災上の危険性が大きい状況となっている。


 確かに現状は、その通りで 「防災上の危険性が大きい状況となっている」。
 ならば、買収を31人の地権者の土地に限定せず、少なくても千手寺(地名ではなく寺)
東側の道路向かいの地域(30数軒)と、千手寺郵便局の周辺地域(10数軒)を、「千手
寺周辺地区振興」の対象とすべき。
 それにより、市自身が懸念している 「防災上の危険性が大きい状況」が解消され、良
好な住環境にすることが可能となる。市民病院本院解体後の土地と31人の地権者の土
地だけでは目的は達成できず、画竜点睛を欠くことになる。


 7月23日号で指摘したが、この地域の振興策は中心市街地活性化を含む都市計画
を大きく左右する事項。
 例えば、市民病院本院の解体後に市役所・新庁舎の建設が有力案になっているが(こ
れも旧エンドー中央店の買収経緯からして問題があるが)、旧エンドー中央店跡地を含
む今の市役所跡地の利活用など、中心市街地活性化計画の「2核2軸」の1核を担う地
域として、広い面的開発のあり方に波及する性格を有している。

 しかし現状は、さながら「現在地への市民病院建設の確約破りの償い・お詫び」的で、
一部の地域限定の振興策の検討であり、姑息且つ小さい手法と見えてならない。
 せっかく 「千手寺周辺地区振興」と名乗るなら、防災上の危険性が大きい状況」を解
消するためにも、より広範囲の整備として、土地区画整理事業等も視野に入れた検討
が不可欠では。名は体を表すことを含めて。
 それだけに、それを審議・協議する識者・関係団体が少なく、期間も余りにも短い。


 これらの視点や認識もなく、単に市民病院本院の建設場所変更の「お詫び」的に、買
収に同意をして頂いた地権者への“リップサービス”では、筋違い。
 “場当たり行政” “無計画な行政”の謗りが免れない行政であっては駄目。市民病院本
院の建設は、都市計画の欠如が問題だけに…。

 「検討委員会」が8月27日に開催されるが、「市民の意見を聴いた」とのアリバイ作り
に“活用”されることがないように、この文を読んだ関係者が参考にして頂けるなら幸い 
 …今後、基本計画の策定・用地買収等の関連予算を審議する議会も含め。
 もちろん、意見・批評は大歓迎。

  終戦の日                                      8月15日

 「終戦の日」は、恒例となった吉野作造記念館前の広場での 「第14回・平和のつど
い」に。

 昨夜、戦時中に南の海で玉砕した兵士の英霊が東京駅に降り立ち、思いでの地を訪
れ、現代日本の繁栄を垣間見るというテレビドラマ「歸國」(きこく)を見た。
 「今の日本は本当に幸せになったのか」 「豊かさと便利を勘違いしている。自ら汗をか
くことを嫌っている」 「今のような虚しい日本を作るため戦死したのではない。恥を知れ」
との、英霊たちに悲痛な叫びが、この国と社会のあり方を問うものだっただけに、「平和
のつどい」に重いものを感じながら参加…。

 その服装は、胸に 「ヒロシマ・ナガサキ・オキナワ」の文字、袖に「核廃絶」の文字とマ
ークが入ったTシャッツ。
 それに、真っ赤な色に「C」のマークが入った広島カープの帽子を被り。参加者から「な
ぜその帽子なのか」との質問が。原爆投下が原点と、カープ結成の由来等を説明。

 「平和のつどい」は、正午に 「民本の鐘」を合図に1分間の黙祷。
 会の代表者は、自身のシベリア抑留の経験を踏まえた挨拶。「終戦を知らずに闘って
いた。正義の戦争は絶対ない」と。
 3月末に宣言したばかりの『大崎市平和希求のまち宣言』と、『核兵器廃絶・平和のま
ち古川市宣言』を朗読し、昨年度の市内小中学校・平和作文コンクール最優秀賞作品
の朗読 (受賞者本人)と、平和の決意を新たに…。


 ところで、昨日の朝日新聞・県内版で次の報道が。
 それは、市長が議会で 『平和都市宣言』の制定を確約し、そのための起草委員会を
設置して、ようやく 『平和希求のまち宣言』を3月末に行ったのに、その調査文書の回答
提出を失念していたと。

 記事等によると、日本非核宣言自治体協議会から、いわゆる 『平和都市宣言』をした
かの調査と、同協議会への加盟の呼びかけがあったが、「送られてきた別の文書に気を
とられて、返答すべきだった宣言の通知を忘れた」と。

 もともと、『平和都市宣言』を宣言するとした期限を大幅に遅らせ、やっとできた草案は
読むに耐えない内容であったために、議会が大幅に修正・議決した経緯が物語っている
ように、市長の本気度が疑われていた。
 その疑わしき本気度が、職員まで「浸透」していたのか。前号の情報公開のように、初
歩的認識の欠如による判断と合わせ、しっかりしてくれと願うのみ。英霊から「恥を知れ」
と“喝”が入りそう…。情けないことだ。


  ◎日本非核宣言自治体協議会の設立趣旨(ホームページから要約)。
  核戦争による人類絶滅の危機から、住民一人ひとりの生命とくらしを守り、現
 在および将来の国民のために、世界恒久平和の実現に寄与することが自治体
 に課せられた重大な使命である。
  宣言自治体が互いに手を結びあい、この地球上から核兵器が姿を消す日ま
 で、核兵器の廃絶と恒久平和の実現を世界の自治体に呼びかけ、その輪を広
 げるために努力する。

   ・今年7月1日現在、1497自治体が宣言(宣言率83%)
    うち266自治体が加盟(会長は長崎市長)。宮城県で加盟しているのは、気仙沼
    市・美里町・亘理町。

  第3セクターの情報開示に異議申立                      8月11日

 今日の午前、市長に対し第3セクターの情報開示に異議申立を行った。
 異議申立は、全部または一部が開示されないなど、情報の開示決定に不服があった
とき、行政不服審査法により認められているもの。

 大崎市情報公開条例では、その場合の取扱等を定めており、今後は大学教授や弁護
士等で構成されている情報公開審査会に諮問されることに。

 異議申立に至る経緯と趣旨の概要は次のとおり。
  (1)今年7月20日に大崎市が出資している第3セクターの経営状況等を知るため、
     株主総会・役員会の資料(公文書)を請求。
  (2)8月3日にその開示があったものの、次ぎの3箇所が黒塗りになる不開示に
     その3箇所とは、
       ・「鳴子まちづくり会社」の、貸借対照表に記載されている売掛金
       ・「たじり穂波公社」の、株主名簿兼出資明細
       ・「アクアライト台町」の、経営改善計画や決算予測等
  (3)不開示にした理由は、開示義務がない「個人情報」と「法人等の情報」。


 その内容の詳細と問題点は、長くなり且つ専門的になるので割愛しますが、明らかに
間違った判断も。
 その典型的なものは、「たじり穂波公社」の株主名簿兼出資明細。

 「たじり穂波公社」の株主数が49名であることは公開されたが、その氏名等が公開さ
れたのは、「大崎市」と「みどりの農協」のみ。
 それ以外の47名は、見事なまでに黒塗りにされ、公開されなかった。

 不開示の理由は、「特定の個人が識別できる」から。
 しかし、同時公開された「たじり穂波公社」の株主総会議案書には(5月31日開催)、
代表取締役の堀江敏正氏ら5名の役員が株主であること、その内の2名が所有する株
数まで記載されている。
  ◎また、「たじり穂波公社」のホームページでも、その内容が広く公表されており、
   不開示にする理由は全く成り立たない。


 一方で、「特定の個人が識別できる」からとして黒塗りにして不開示にし、他方で、所有
する株数を含め「特定の個人」が記載されている公文書を公開するという、理解し難いこ
とが…。

 だとすれば、少なくても公開された5名の株主名を公開することは、至極当然のこと。
 それをしなかったのは、「個人名は不開示」との機械的思考での判断があったと思わざ
るを得ない。
 情報公開制度の理解度や条例の解釈・運用以前の問題として、職務上の初歩的認識
及び相対的・総合的な思考と、統一性・整合性の欠如という意識を垣間見ることに…。


 これ以外では、「鳴子まちづくり会社」の関係では、個人名は法令・条例の規定や慣行
や一般に広く公表されている場合等を除き、公表してはならないのに、59の個人と法人
名を全部公開したこと。
 「アクアライト台町」の関係では、一般に知られている家賃や1階のテナント名などと思
われる場所も黒塗りされ不開示に。
 良く言われることだが、「行政は情報を隠したがる」との意識が、これほど透明性や情
報の共有等の必要性が問われているなかで、未だに体質的に保有しているのであろう
か。


 実は、このような初歩的とも言える間違った認識のもとでの判断は以前にもあっ
た。
 私が異議申立した結果、実施機関たる市長に対し、情報公開審査会から 「不適切な
行為である」とか 「不開示決定は妥当ではない」との結論に加え、次のように付帯意見と
して 「相当きついお灸」を据えられた。

 ・一つは、2007年(平成19年)・12月11日の政策専門委員に関する情報開示。
  「今後、実施機関は条例を制定した趣旨と目的を改めて認識し、条例
 及びその関係法令に基づいて文書を作成・管理するとともに、適切に運
 用するよう強く要望する」
◎この件の詳細は、2007年12月11日号

 ・二つは、2008年(平成20年)・ 3月21日の大崎市民病院改新検討会議に関する
    情報開示。
  「実施機関は、改めて条例を制定した趣旨と目的を認識し、条例及び
 関係法令に基づいて適切に運用すると共に、このことを職員に周知徹
 底されるよう強く要望する」
◎この件の詳細は、2008年3月22日号を


 わずか3ヶ月間の短期間において、同趣旨の付帯意見、それも為政者としては恥ずか
しい限りの内容で 「強く要望」されたが、「二度あることは三度ある」が如く、今回も同
様のことが指摘されかねない問題点を包含している。

 かつて、旧古川市において、県内では早い段階で情報公開条例の制定に深く関与した
だけに(1994年)、このような醜態を嘆かわしく思う。
 「市政の主人公は市民」とか「市民と情報を共有してのまちづくり」という標語・スローガ
ンが虚しく見える。

 全く恥ずかしく情けないことだが、この機に情報公開審査会の付帯意見で強く指摘され
たように、条例を制定した趣旨と目的を再認識し、特に情報公開条例の第1条(目的)・
第3条(実施機関の責務)を全ての職員に周知徹底されるよう「強く要望」せざるを得な
い。

 戦争を考える一日に                                 8月8日

 今日(8月8日)は、母の83回目の誕生日。
 2組の来客が帰り、NHK・『のど自慢』を見ながらの昼食中、出演者の歌に合わせて茶
碗の伴奏音が。それにしても小刻みだと思い見ると、スプーンを持つ手の震えがその音
に。リューマチと神経の病による症状だが、タイミングが良する。


 その後、86歳の方の講演を聞くことに。
 その人は、1945年(昭和20年)8月9日、長崎港で被爆したことを64年ぶりに明らか
にし、昨年11月に被爆者健康手帳が交付された菊地悟さん(古川・小泉出身。現在、古
川在住)

 菊地さんは、海軍志願兵となり特攻隊を訓練する魚雷艇訓練所に配属後、1945年8
月上旬に魚雷艇(18メートルの木造。950馬力2台)の機関兵長として長崎港に移動。
そこに停泊中に被爆。命に別状はなかった。

 戦後、被爆した証人を求めて同僚らを捜したが見つからず、40歳代で大腸がんを患っ
た。昨年11月に64年振りに長崎の被爆地を訪れた。米軍が撮影した航空写真から魚
雷艇が確認されことなどが決め手になり、被爆者健康手帳が交付されることに。

 講演では、原爆を新型爆弾と思ったこと、大やけどで海に入った人を助け機械油を塗
ったこと、8月14日に出港命令が下ったが魚雷艇が暗礁に乗り上げたこと、間もなく「終
戦」の連絡が入ったが、その意味が分からなかったことなどの体験談を。
 菊地さんは、一年前に宮城学院中学校の3年生100人に被爆の惨状を語り、「今も被
爆に思い苦しむ人たちの思いをしっかり受け止めたい」とのメッセージを贈り、「平和の
協働」を約束した。


 「戦争生き証人」の講演後、 宮城教育大学学長などを歴任した伊藤博義氏の講演。
 その中で、1947年(昭和22年)の時、中学1年生として習った 『あたらしい憲法の
はなし』(日本国憲法が施行された直後に文部省から出版)の中から、次の文を朗読で
紹介。  (: 私の判断で、読みやすいように、段落と一部を漢字に変換)

 六、戦争の放棄

  皆さんの中には、今度の戦争に、お父さんや兄さんを送り出された人も多いでしょ
 う。ご無事にお帰りになったでしょうか。それともとうとうお帰りにならなかったでしょう
 か。また、空襲で、家やうちの人を、亡くされた人も多いでしょう。いまやっと戦争は終
 わりました。

  二度とこんな恐ろしい、悲しい思いをしたくないと思いませんか。こんな戦争をして、
 日本の国はどんな利益があったでしょうか。何もありません。ただ、恐ろしい、悲しい
 ことが、たくさん起こっただけではありませんか。
  戦争は人間を滅ぼすことです。世の中の良いものを壊すことです。だから、今度の
 戦争をしかけた国には、大きな責任があると言わなければばなりません。この前の世
 界戦争のあとでも、もう戦争は二度とやるまいと、多くの国々ではいろいろ考えました
 が、またこんな大戦争を起こしてしまったのは、誠に残念なことではありませんか。
 
  そこで今度の憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二
 つのことを決めました。

  その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、一切
 持たないということです。
  これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といい
 ます。「放棄」とは、「捨ててしまう」ということです。しかし皆さんは、けっして心細く思う
 ことはありません。日本は正しいことを、他の国より先に行ったのです。世の中に、正
 しいことぐらい強いものはありません。
 
  もう一つは、よその国と争いごとが起こったとき、けっして戦争によって、相手
 をまかして、自分の言い分を通そうとしないということを決めたのです。
  穏やかに相談をして、決まりをつけようというのです。なぜならば、戦をしかけること
 は、結局、自分の国を滅ぼすような羽目になるからです。また、戦争とまで行かずと
 も、国の力で、相手を脅すようなことは、一切しないことに決めたのです。これを戦争
 の放棄というのです。

  そうしてよその国と仲良くして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれ
 ば、日本の国は、栄えてゆけるのです。
  皆さん、あの恐ろしい戦争が、二度と起こらないように、また戦争を二度と起こさな
 いようにいたしましょう。 


 憲法制定当時から、「押し付け憲法じゃないか」という批判がある。
 これに対して、『あたらしい憲法のはなし』は次のように書いている。
  これまであった憲法は、明治22年に出来たもので、これは明治天皇がお作りに
 なって、国民に与えられたものです。
  しかし、今度の新しい憲法は、日本国民が自分で作ったもので、日本国民全体
 の意見で、自由に作られたものであります。
  この国民全体の意見を知るために、昭和21年4月10日に総選挙が行なわ
 れ、新しい国民の代表が選ばれて、その人々がこの憲法を作ったのです。それ
 で、新しい憲法は、国民全体で作ったということになるのです。


 憲法9条を中心に憲法改正の動きがあり、憲法に対する考え方は色々あるだろうが、
この『あたらしい憲法のはなし』を知り、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こ
ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法
を確定する」との憲法前文を改めて噛みしめることに。


 その足で、鹿島台地区にある『敬風園』(大崎市社会福祉協議会. 特別養護老人ホー
ム)の夏祭りに理事として出席。
 猛暑を和らげる涼しい夕風を浴びながら、太鼓・神楽・踊りなどに、園庭に集った入所
者200人と家族に楽しそうな表情が一杯。

 その中に、私のお婆さん実家から入所している95歳になる方が。記憶力はしっかりし
ており、私の顔を見るなり名前を呼ばれる。しばし昔話しになり、戦争体験も話題に。
 帰宅後にNHKスペシャル・「シベリア抑留酷寒・絶望の収容所」を見て、所在が確かな
高齢者に「八」が二つ並ぶ日を重ね、末広がりを込め平和を考えることに。
 そして、伊藤博義氏の講演の最後に紹介された 「戦争は平和 平和とやってくる」
との憲法川柳を思い出しながら…。

   ◎ 戦争関係で最近読んだ本は、『永遠の0(ゼロ)』(百田尚樹)、『太平洋戦争は
    無謀な戦争だったのか』(ジェームズ・B・ウッド)。
     今読んでいるのは、『一週間』(井上ひさし)。

 65年目のヒロシマ …核廃絶の一歩に                      8月6日

 毎年、「核も戦争もない世界」を切望し、「明日の心」・8月6日号は “ヒロシマ”を書いて
きた。

 しかし、その願いを無視するかのように、地球には2万発超の核兵器が存在し、戦火
は一向に消えない。
 原爆は、広島で14万人、長崎で7万人の命を一瞬にして奪い、生き残った人々も塗炭
の苦しみに陥れた。その体験を原点に、核兵器の廃絶と平和の実現が訴えられ続けら
れた。

 今日の平和記念式典には、米国代表としてルース駐日大使が出席した。原爆を投下し
た当事国の大使の出席は初めて。
 同大使は、「未来の世代のために、私たちは核兵器のない世界の実現を目指し、今後
も協力していかねばならない」とのコメントを発表し、第2次大戦のすべての犠牲者に哀
悼の意を表した。

 被爆関係者からは、「遅きに期した」との声がある一方で、国連のパン・ギムン事務総
長が、歴代事務総長として初めて出席したことと合わせ、「これを機に、核廃絶の機運の
高まりを期待したい」との声もあるという。


 秋葉広島市長は初めて広島弁を入れた『平和宣言』で、政府の出番だとし、「核兵器
廃絶に向けて先頭に立つために、まずは非核三原則の法制化と『核の傘』からの離脱」
の実現を求めた。
 一方、菅首相は非核三原則を堅持するとしたももの、法制化には否定的な見解を示
し、「核抑止力は引き続き必要だ」(平和記念式典後の記者会見)と、現状肯定の立場で
『核の傘』からの離脱には反論。

 秋葉広島市長の『平和宣言』は、被爆者を「世界で最も我慢強き人々」とし、「被爆者
に、これ以上の忍耐を強いてはならない」とした。
 また、こども代表は(小学6年生)、「悲しい過去を変えることはできません。しかし、過
去を学び、強い願いをもって、一人一人が行動すれば、未来を平和に導くことができる
はずです。次は、ぼくたちの番です。この地球を笑顔でいっぱいにするために、ヒロシマ
の願いを、世界へ、未来へ、伝えていくことを誓います」と。


 今年5月に核拡散防止条約(NPT)で、64項目の行動計画など最終文書が採択され、
「すべての国は、『核兵器なき世界』を達成するという目標と完全に一致する政策を追求
することを約束する」と高らかに宣言している。
 絶望は何も生まれない。希望を持って歩み続けなければ目標には達成できないだけ
に、核廃絶へようやく世界が動き始めようとしていることと、こども代表の言葉に共鳴…。

 私も関与している団体が、吉野作造記念館で 「ヒロシマ・ナガサキ原爆展」を開催して
おり、8月15日には同記念館前広場で 「平和のつどい」を行う(第14回)。
 TBCが、宮城県内の小・中学生に原爆投下の年月日を知っているかの調査をしたら、
知っていたのは5%だった。この際、改めて平和について考えてみませんか。
 ちなみに、我が家の8月6日の日課は、以前に長崎と共に出席した平和記念式典を思
い出しながら、テレビ中継に合わせ黙祷をすること。

 それにしても、原爆投下による壊滅的被害からの復興を目指し、樽募金などで破壊さ
れたまちと心に元気をと結成された広島カープは、今日は勝ったが元気がない。高校球
児に負けずに頑張れ。熱烈なカープファンより。

 国会議員の “歳費日割り                             8月3日

 午後から、何気なく衆議院予算委員会のテレビ中継を見て、「国会は国民意識と遊離
し、遅れている」と実感。それは、国会議員の歳費を月割りから日割りに変えること。

 7月の参院選で新たに当選した参院議員59人の任期は26日からで、7月中は6日間
しか働いていないにもかかわらず、1カ月分の歳費が支給される。
 国会議員の1カ月分の歳費は129万7千円。それに文書通信交通滞在費などを加え
ると229万7千円になる。
 それが、実働の日割りだと6日分で約44万円となり、一人当たり約185万円の無駄削
減になる。


 民主党の参議院選挙マニフェストに「国会議員の歳費を日割りにする」と掲げたのに、
本格的に動く様子がない中で、すでに野党の一部が 「歳費カット法案・歳費日割り法案」
を提出している。

 今日の衆議院予算委員会で、そこを質問された菅首相が、“ねじれ国会”が故に低姿
勢であったが、この時は語気を強め 「自分たちで法案を出せばいい。与党が出さないと
進まないというのは逆だ」と猛反論。

 それに対し質問者は、「盗人 猛々(悪事を咎められて、逆に食ってかかる)とはこのこ
とだ。約束したのに法案を出さない消極姿勢が支持率急落の原因だ」と応酬。
 首相は「何が盗人猛々しいだ!」と、収まらない様子。


 民主党の動きが鈍いのは、「選挙戦で多額のカネを使い借金もする。当選したら1円で
も多く欲しくなるのが心情だ」など、党内の抵抗が強いからだと報道されている。これで
は、政治の信頼は得られない。

 ついに世論の反発を意識してか、今日の国対委員長会談で、国会議員歳費の日割り
支給について、次のように合意したと報じられた。
   (1)7月の参院選で新たに当選した議員を対象に、7月分歳費の一部自主返納を
      可能にする関連法改正案を6日に成立させる
   (2)抜本的法改正は秋の臨時国会で行う。


 大崎市議会を含め (「大崎市議会議員の議員報酬,費用弁償及び期末手当に関する
条例」・第3条)、すでに地方議会の多くは、議員になった日を報酬の起算日(引退・落選
の場合は、その逆に)とする日割り制を導入している。また、福島県矢祭町のように「日
当制」を導入している議会もある。
 地方議会は住民に近く、住民の目を意識しているからだとの見方があるようだが、当
然のことをしているだけのこと。

 歳費の月割りは、汗して働く人や、家計のやりくりや会社経営に苦労する国民と民間
の感覚では考えられない制度である。
 民主党はマニフェストで、「政治家自らが身を削ることで国民の信頼を取り戻す」とうた
い、歳費の日割りも明記していた。それを率先して実行することなく、野党側に下駄を預
ける民主党の対応は批判されるもの。
 以前から指摘されていた問題だが、この程度の当たり前の改革に手をつけられずに、
マニフェストの「国会議員の削減や経費の2割削減」など実現は程遠いのではないか。

 菅首相は、唐突且つ説明が不十分な消費税論議で国民の不信を招いただけに、どの
党よりも先んじて「日割り法」を成立させるべきだった。
 それは、ムダ排除への決意と覚悟を示すうえで最低限のこと。まさに、「隗(かい)より
始めよ」だ。

 技術流出                                       8月1日

 昨日・今日は、親戚の逮夜と法要。
 挨拶は異口同音に「暑い・暑い」と。その中にあって、九州や首都圏から来た親戚は、
「それほどでもないよ」と涼しげな顔。

 礼服にネクタイ姿で出席する方もいたが、内々の申し合わせで “上着は着ずにノーネ
クタイ”となり、皆の顔には安堵感が…。
 何せ、扇風機がフル回転しているもののクーラーはなく、湿気と暑さには勝てないのだ
から誰もが異存なく納得。

 それでも、いくら団扇で扇いでも下着は汗だく。見れば、方丈さんの頭からは汗がタラタ
ラと。それでも、『修証義』を読む際には集中をと、自らに言い聞かせて。そうすると、時
折吹いてくる涼しい風が、オアシスと思うように。


 親戚との会話で、「世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのか」との発言に
ついてが話題に。
   …昨年の事業仕分けで、次世代スーパーコンピューターの開発予算に関し、蓮舫参
   院議員の発言。この発言に対し、文科省側は「技術開発が遅れると、すべてで背中
   を見ることになる」と防戦したが、圧倒的な「世界一不要論」を前に敗北。


 親戚の中には、複数の“職人”が。
 集団就職後、腕を磨きに磨き、それが認められ常務取締役に就き、退職時になっても
技術伝承のため指導役として残ることを依頼された方や、アメリカやタイなどの海外経験
を持ち、今も物作り現場で責任ある立場を担っている方など。

 曰く。「世界一の技術がなく、日本はどうして生きるのか」 「世界一を目指すからこそ、
想像以上の知恵や工夫が出るのであって、最初から二番以降であって良いとの意識な
ら、今日の技術確立はなかったのでは。現在、建設中の東京スカイツリーもその一つ」
「あの方は、汗して必死に働いたことがあるのであろうか」などと。
 緻密で最高の技術と称される今日の技術国の一端を確立した人たちの言葉だけに、
説得力がある。

 さらに話題は、熟練技術者が海外に流出していることに。
 団塊の世代の退職が話題になっているが、雇用の悪化は技能を持った人材でも定年
後に日本国内で働く場所が少なく、その習得した技術が後輩や若者に継承されず、退職
を余儀なくされている。そこに、中国企業がこのような熟練技術者を好条件で採用してい
ること。
 その現状を現場で目の当たりにしているだけに、やがて日本を遙かに凌ぐ技術が中国
で確立されることへの危惧の念も。

 蓮舫発言は、経済成長を支えるIT(情報技術)や科学技術の国際競争力を弱める恐
れが指摘されたが、小惑星探査機「はやぶさ」の帰還で、その問い返しがされている。
 日本の現状と将来を憂う話題は、暑い中での逮夜と法要以上に熱きものに…。