慧文社 昭和38年初版(昭和61年第15刷) (定価1400円)
いつも行く古本屋で、何の気なしにこの本を買ったのは、いつのことだったろうか……。古本屋のおやじはニコリと笑って、
「日本もこのような本が出版できるようになったのう……長い間、出せんかったんじゃけぇ……」と言った。値段は1000円だった。
実は、まだ読んでいない。
『日本無罪論』と言ったら、何かしら大げさであるが、要するに、東京裁判におけるパール判事(インド代表)の『判決文』なのである。私は、平和教育LHRのをやりながらいつも思う。「わしらのじいさんは、戦争をした極悪人で、当時の指導者は、欲に目のくらんだバカばっかりだったんかのう……」と。(私の祖父は、大日本帝国陸軍上等兵で、銃剣術の名手だった。また、上官に命令していた不良軍人?でもあった)
戦争を憎むことは大切だが、戦争を憎むことが足りなかったから戦争が起こったのだろうか? 私は、そうは思わない。現在学校では、ナショナリズムを徹底的に押さえ込む教育がなされている。「国としてまとまる」こと(ナショナルアイデンティティ)が、まるで戦争につながる悪であるかのごとくに。生徒たちは、「日本人であること」を誇りに思っていない。「国の責任」ということを他人事に思っている。当然、外国人の持っている「国の誇り」のことは分からない。だから、国旗をかたどった座布団などを平気で作る。私は、このことが、新たに戦争の火種を作りそうでこわい。
それでは、目次を見てみよう。
目 次推薦のことば (清瀬一郎) パール下中記念館の開設 序にかえて 勝てば官軍か さばく者とさばかれる者 判決理由のない判決 戦争裁判への挑戦 三つのキャッチフレーズ 戦勝国の戦犯もさばけ 戦争は犯罪となし得るか 戦争は法の圏外にある 世界連邦のみが戦争をさばき得る 裁判所条例(チャーター)の違法 法はさかのぼらず 「文明」に逆行するもの 戦争責任は国家か個人か 「全面的共同謀議」という妄想 便利な法律の武器 底を流れる人種的偏見 人種問題への提言 満洲事変はなぜ起きたか 防共協定は侵略か 中立義務は果たされたか ABCD経済包囲陣 開戦を決定した石油禁輸 日米交渉で時を稼いだもの 悲劇の傍受電報 アメリカの最後通牒(ハル・ノート) 事実上の開戦目=十一月廿七目 裁判所の管轄権の範囲 命令し、授権し、許可した者 南京事件と松井大将 原子爆弾の投下を命じた者 執念深い報復の追跡 賞罰はそのところを変えよう パール判決の生まれるまで 国際法学界に光を増すパール判決 裁判という名の狂言 同胞に石を投げるな 占領政策の一環 民族の劣性への転落 インドの軍事裁判 パール小伝 博士の四度目の来日 東洋の政治的復活 平和の条件 |
実は、まだ読んでいないで、内容に対して何もコメントできないとえよう。