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日中韓が倣うべき「英・アイルランド」和解への道程

西川恵
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はるか向こうまで続く壮観な晩餐会の列 (C)AFP=時事

 今年4月、アイルランドのマイケル・ヒギンズ大統領(72)が英国を国賓待遇として 初訪問した。アイルランドが英国から独立して1世紀近く、やっと実現した訪問だった。些か旧聞に属するが、 両国の和解は歴史問題でギクシャクする日本と中韓にとっても参考になるはずであり、いま敢えて再考したい。

 ヒギンズ大統領は4月8日から11日までの4日間、英国に国賓として迎えられた。アイルランドが英国から独立したのは1922年。同大統領は英国を訪問する初めてのアイルランド大統領となったが、92年もの間訪英できなかったのは、近年までの英・アイルランド(愛)関係があった。

 英国は約8世紀もの間、アイルランドを植民地にして過酷な支配を敷き、最後の121年間は英国に併合した。アイルランドは武装闘争の末に独立を勝ち取ったが、独立に際してアイルランドの北部地域(北アイルランド)が住民投票で英国残留を決定したことが英愛関係をこじれさせた。

 北アイルランドの英国残留に不満をもつ北アイルランド内の少数カトリック系住民は、英国残留支持派の多数派プロテスタントと対立し、60年代から双方の過激派によるテロの応酬に発展した。さらにアイルランドの人々がカトリック系住民を支持したのに対し、英国の右派はプロテスタント系住民を後押し、両国は植民地・併合時代の歴史問題に加え、「北アイルランド問題」で対立を深めた。

 しかし国際社会の粘り強い調停努力と英愛の歩み寄りもあって、2007年にプロテスタントとカトリックの最強硬派の幹部を首班とする北アイルランド自治政府が成立。これによって英愛和解の環境が整った。2011年5月、エリザベス英女王が初めて英国元首としてアイルランドを国賓待遇 で訪問。ヒギンズ大統領の訪英はこの答礼で、これによって両国は名実ともに和解を果たすことになった。

 

1000年待ち続けた城で

 4月8日、ヒギンズ大統領夫妻はチャールズ皇太子夫妻の付き添いでロンドンから約30キロのウィンザーの町に向かい、エリザベス女王とエジンバラ公の出迎えを受けた。両国歌吹奏、儀仗兵の閲兵、21発の祝砲と、荘重な歓迎式典の後、一行は迎賓館にあてられたウィンザー城まで馬車を連ねてパレードし、沿道では人々が両国国旗を振って歓迎した。

 英国滞在中、国賓の迎賓館はロンドンのバッキンガム宮殿があてられる。エリザベス女王の私邸でもあるウィンザー城が提供されるのは極めて稀で、ここにもヒギンズ大統領に対する手厚いもてなしが現れていた。

 その夜、ウィンザー城で歓迎晩餐会が催され、両国の各界の著名人160人が招かれた。60メートルもの長大なマホガニーのテーブルに床まで届くクロスがかけられ、皿、ナイフ、フォークの銀器類、花、装飾品が華麗にセッティングされた。シャンデリアと燭台がきらめくなか、着飾った招待客がテーブルを挟み、はるか向こうまで160人がズラリと向かい合って座ったさまは壮観そのものだった。

 歓迎スピーチに立ったエリザベス女王はこう述べた。

「このウィンザー城は1000年前に作られました。この間、両国はさまざまな歴史を経験しましたが、このお城はきょうこの日に大統領をお迎えするべく1000年待ち続けていたのです」

「両国の目標は隣人、友人として、互いの主権と伝統を尊重して暮らすことです。両国の歴史において避け得た痛み、後悔する痛みはまだ多くの人が感じていますが、両国の目標は指呼の間にあります」

「私たちは過去を忘れはしないでしょう。しかし過去が我々の未来を人質に取ることを許してはならないのです。これこそが我々が両国のこれからの若い世代に与えることのできる最大の贈り物なのです」

 

歴史に囚われるな

 女王は杯を挙げ、招待客も起立してこれに倣うと、アイルランド国歌が演奏された。続いてヒギンス大統領が答礼スピーチに立った。本国では政治家よりも知識人として知られる詩人の大統領はこう述べた。

「女王が3年前に我が国を訪問された折、我々が感銘を受けたのは女王が過去の影に尻込みしなかったことです。両国関係を考えるとき、過去の影を無視することはできないことを女王は態度で示されたのです」

「過去は尊敬をもって評価されねばなりませんが、過去が現在ある潜在性や未来の可能性を危機に晒してはなりません。私の英国訪問は両国の温かさと成熟を示すものでもあります」

「失われた命を共に後悔するとしても、英愛が共有する歴史の痛みが両国民の未来の創造を妨げるようなことになってはいけないのです」

 こう述べて大統領がエリザベス女王と杯を合わせると、英国国歌「ゴッド・セーブ・ザ・クィーン」が奏でられた。

 晩餐会での両元首のスピーチは、広く両国民に対する呼びかけと訴えでもあった。女王と大統領が言わんとしたことは同じだ。「歴史を忘れるべきでないが、歴史に囚われてはならない」ということである。

 

簡潔なもてなし

 この夜のメニューである

 

〈料理〉

 カレイのフィレ、若いポロネギとハーブのソースで

 ウィンザー牧場の牛のトゥルネードー、マッシュルームとクレソンのピュレ添え

 サラダ ブロッコリーのオランデーズソース、パルメザンチーズと小麦を詰めた焼き玉ねぎ

 デザート バニラアイスクリームのアカスグリ添え

〈飲み物〉

 リッジビュー・メレ・ブルムズバリー09年

 ムルソー・ペリエール(シャンソン・ペール・エ・フィス)05年

 シャトー・レオビル・バートン90年

 シャンパン ルイ・ロデレール カルト・ブランシュ

 ビンテージ・ポート(クィンタ・ド・ドボ社)96年

 

 前菜、主菜(付き合わせのサラダは主菜に入る)、それにデザートと3コース。いつもの英国の簡潔なもてなしである。

 乾杯は英国のリッジビュー・ワイナリーのスパークリングワイン。魚に合わせた白ワインのムルソーは仏ブルゴーニュ地方コート・ド・ボーヌ地区の2番手、牛肉に合わせた赤は仏ボルドー地方サン・ジュリアン地区のやはり2番手。国賓に対して英国はフランスワインの2番手を出すのがふつうだ。デザートに合わせてフランスのシャンパンとポルトガルのポートが出された。

 

秘訣は「3つの精神」

 ヒギンズ大統領は滞在中、英国の上下両院議員を前にスピーチを行う栄誉に浴し 、また国会議事堂にある無名戦士の墓に献花して黙とうした。無名戦士の中にはアイルランドの人々も含まれている。アイルランドが英国に併合されていた第1次世界大戦中、アイルランドの若者は英国兵として徴兵され、戦地に送られたからである。この大戦ではアイルランドの若者4万9000人が亡くなっている。

 11日夕、ヒギンズ大統領夫妻は3泊4日の英国訪問を終えて帰国した。

 英愛両国は日中、日韓とは比べようもなく長く過酷な歴史を経てきた。おびただしい反乱と弾圧と流血の歴史でもあった。しかも独立後も北アイルランド問題を抱え、これが最終的に解決したのはつい7年前である。しかし英愛両国はついに和解に踏み切った。

 その秘訣は何かと言うと、プラグマティズム、歴史問題を政治に利用しない、歴史を忘れないが囚われない未来志向、の3つの精神だったと思われる。21世紀初め頃まで、英愛関係のこじれに比べ、日中、日韓関係の方がはるかに克服しやすいと思われていた。しかしいま英愛関係にさっさと追い抜かれてしまった。エリザベス女王とヒギンズ大統領のスピーチから汲み取るべきものは小さくないのである。



西川恵

執筆者:西川恵

毎日新聞客員編集委員。1947年長崎県生れ。テヘラン、パリ、ローマの各支局長、外信部長、論説委員を経て、今年3月まで専門編集委員。著書に『エリゼ宮の食卓』(新潮社、サントリー学芸賞)、本誌連載から生れた『ワインと外交』(新潮新書)、『国際政治のゼロ年代』(毎日新聞社)、訳書に『超大国アメリカの文化力』(岩波書店、共訳)などがある。2009年、フランス国家功労勲章シュヴァリエ受章。本誌連載に加筆した最新刊『饗宴外交 ワインと料理で世界はまわる』(世界文化社)が発売中。

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  1. 194:日中韓が倣うべき「英・アイルランド」和解への道程
  2. 193:外交官が堪能した「日本ワイン」と「和食」の奥深さ
  3. 192:「一夜で2回の夕食」オランド仏大統領の苦肉の策
  4. 191:頑なに「国賓演出」を避けたオバマ大統領の深謀遠慮
  5. 190:サウジ皇太子「異例の歓迎メニュー」から窺える官邸の苦心

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この記事のコメント: 4

西川さんのこのコラムが好きで、随分前からForesightを購読しています。
今回の記事では、imomushiさんと同じく私も見事なスピーチに感心させられました。

しかし、「歴史を忘れるべきでないが、歴史に囚われてはならない」、「過去が現在ある潜在性や未来の可能性を危機に晒してはならない」などと日本が言おうものなら、韓国・中国から「おまえが言うな!」、「どのツラ下げて言ってんだ!」などと返されるんでしょうね。悩ましい問題です。

どなたの翻訳によるものか存じませんが、なぜスピーチに「指呼の間」という文章語をわざわざ(…かどうかは不明ですが)充てたのか興味があります。

「歴史を忘れるべきでないが、歴史に囚われてはならない」は、まさにその通りだと考えます。
今の日中韓はそれと真逆の状況に陥っているのでしょう。 
 日本:靖国参拝等で中韓の神経を逆なで
 中国:反日教育、反日記念館等々
 韓国:慰安婦蒸し返し、慰安婦像等々
結局、すべての国が上記のような行為をやめないと駄目なのでしょうね。
やはり相当時間のかかる問題なのだと思います。

あと、英愛関係についても、今は良好なのでしょうが、いつでも元に戻る可能性は否定できないと思います。
火種は常にあるので、それが燃え上がらないように不断の努力が必要なのでしょう。

なので、「英愛関係に日中韓関係は追い越された」というのは、「少なくとも現時点は」という注釈付きになると思います。
いつでも元にもどりかねないですよね。

田中角栄が日中国交正常化を成し遂げたとき、「中国のおばあさん達は日本の侵略戦争のことを水に流してくれている」といったような報道があったことを子供ながら覚えていますが、今となればやっぱりあれは違ったんだな、あるいは、いつでも憎悪には火がつくものだなと思います。

数年前の日韓world cup のときの関係も、幻ではなかったのでしょうが、火種は燻っていたのでしょう。

いすれにしても、指導者同士が主張しかしないようでは、火種は燃え上がるばかりなのでしょう。

食い意地の張っている自分(imomushi)からすると、まずヨダレが先走って味覚・嗅覚・視覚などが反応するのですが、今回の記事は、そこではなく、「スピーチの見事さ」に、こころ惹かれました。

欧米諸国およびロシアもそうですが、このような席での国家元首のスピーチには、うなりたくなるような、見事なスピーチが多いように思います。
今後も、このようなスピーチの紹介を期待したいと思います。

ケネディに対するソレンセンのような、それぞれ専属のスピーチライターをかかえているのでしょうが、両国の長いスパンにわたる歴史的関係と、その中に点在する歴史的事績のなかから、その席にもっもふさわしいエピソードを取り出してきて、言葉の芸術品として組み立てる。特殊な才能と厳格な教則訓練によって、はじめて為し得ることでしょうか。

中国もまた、西欧とは異なる出自で、優れたスピーチを得意とする民族だと思います。

「日中韓の和解」に関し、鄧小平風に言えば:

・我々の世代は知恵が足りない。知恵と勇気を持つ次の世代に期待しようではないか。

 私は筆者の意見には反対です。
 そもそも、日中・日韓関係と英愛関係とは、根本的な違いがあるにもかかわらず、近現代の表層面だけみた議論のような気がします。

 中韓は、自国文化圏の辺境の一部と考えていた日本に占領された過去・事実を、感情的に受け入れることが出来ずにいる訳で、そもそも新興国であったイギリス(ローマ領やフランス王家領だったことを考えると、イギリスの方が日本に近い?)と、そのイギリスが占領していたアイルランドとの関係とは比べられないと思います。
 例えれば、イギリスがフランス・イタリア・ギリシャ等を一時占領し、その後、両国間に国境問題がある様な状態が日中・日韓問題であり、英愛関係は参考にならないのではないでしょうか。

 いずれにしろ、「未だに学校で反日教育を行っている(感情論に流される)中韓」と「アメリカに与えられた憲法を絶対死守と言っているマスコミ・学者が蔓延る(物事の本質を理解しない)日本」が、国単位で、本当の意味で信頼できる間柄になるには、外部の大きな共通敵の存在が必要ではないでしょうか。

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