Q1: | ( 1985年の中曽根首相 )公式参拝は、過去における我が国の行為により多大の苦痛と損害を蒙ったと主張している近隣諸国の国民の間に批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがある。( 後藤田正晴・元副総理 ) |
答: | 東京裁判 について無知であることをさらしています。 重要な事をひとつ申し上げると、東京裁判の基本的性格はマッカーサーの命令です。 そもそもポツダム宣言で 「 一切の戦争犯罪人に対しては厳重なる処罰を加えるべし 」 と規定されていたし、ワシントンの対日 「 基本政策 」 にも 「 最高司令官によって戦争犯罪人は逮捕し、裁判にかけて処罰せよ 」 と書いてある。 ところが、マッカーサーはその後、考えを改めました。 1951年にアメリカ議会の軍事外交の最も正式な場である上院軍事外交共同委員会で、日本がこの前の戦争に入ったのは主として自衛のためである と証言しました。 公式な場、上院の軍事外交委員会でそういっているのですから、その持つ意味は重い。 さらに重要なのは 「 Their purpose, therefore,in going to war largely decided by security 」 です。 ここで日本が自衛戦争であった事の理由を述べているのですが、その後に述べている事は本質的に 自存自衛のための戦争であったとする東條英機被告の宣誓供述書と同じ 内容です。 後藤田はこのことをご存じないからこんな事を言っているのでしょう。 しかしこれは後藤田だけの責任ではない。 そのマッカーサーの発言は日本のどの報道機関も伝えませんでした。 |
Q2: | 小泉首相は有終の美を飾りたいと考えているかもしれないが、参拝しないのも有終の美だ。( 武大偉・中国外務次官 ) |
答: | 結局、15日に参拝した小泉さんは有終の美を飾りました。 中国や韓国の宗教干渉が激しい時期に、小泉さんがそれに屈せず、参拝を続けたことは日本の多くの人の心の支えになっていたはずです。 目本の名誉のために絶対に必要でした。 |
Q3: | 日本やドイツ、イタリアがおこなった侵略戦争への反省のうえにつくったのがいまの国連です。 これを覆すような行動、小泉さんの靖国神社参拝のような行動は、とってはなりません。( 志位和夫・日本共産党委員長 ) |
答: | 大東亜戦争を侵略戦争だと言うが、侵略戦争を行ったのは、共産党の思想的母国であるソ連です。 日ソ平和中立条約を無視して、一方的に攻め込んできて、60万人もの日本人を拉致し、数万の人を死に至らしめた国です。 その時、日本共産党はソ連に抗議もせず、拉致された日本人犠牲者を救おうともしなかった。 その反省なき日本共産党が何を言うか。 |
Q4: | 小泉さんがどんな 「 信条 」 を持っていようと、参拝することは、日本政府として侵略戦争の正当化に公認のお墨付きを与えることになる。( 志位和夫 ) |
答: | Q1でも言っているように、自衛のための戦争でした。 小泉さんだって侵略の正当化などしようと思ってない。 長い問、歪んだ見方を続けてきて、共産党は歪んだ見方しかできないのでしょう。 |
Q5: | 日本の首相として、小泉さんが何事もなかったかのように靖国神社を参拝できるということは、彼が、戦争が多くの人々に苦痛をもたらすのを、まったく感じていないことを物語っています。 また、この種の戦争の苦痛を知らない議員が、最近の国会ではますます多くなっているのです。( 辻元清美 ) |
答: | 戦争は日本が好きで起こした悪い戦争だという前提でこういうことを言っているのでしょう。 戦争が多くの人に苦痛をもたらすことは、どこの国でも誰でもわかっています。 戦争が紛争解決の1手段として国際法でも認められていることさえ知らないのでしょう。 これでよく国会議員がつとまりますね。 ぜひ勉強してください。 |
Q6: | 宗教法人である靖国神社に内閣総理大臣が強い反対を押しきって参拝したことは、憲法第20条 「 信教の自由 」 、第89条 「 政教分離の原則 」 に抵触し、憲法違反であることは明白である。( 土井たか子 ) |
答: | 総理大臣が宗教施設に赴いて参拝することが悪いということは聞いたことがありません。 どこの国でも、教会その他へ参拝しています。 |
Q7: | 一般の人の参拝と指導者の参拝は別だ。 政府の代表者が行くのは政府の政策を表していると考える。( 胡錦濤 ) |
答: | 国家のために亡くなった人に敬意を払うのは、政策としては一番立派で、国家の代表者が一番はじめに為すことだと考えます。 |
Q8: | 日本の総理大臣は国の代表であり、私的参拝と言おうと、参拝の形式を変えようと、その政治性を否定できるものではないし、日本政府として、あの戦争に対して、どういう態度をとるかの象徴となります。( 王毅 ) |
答: | 本来、私的か公的かと新聞記者が問うこと自体おかしい。 総理なら公式参拝すべきです。 |
Q9: | 1978年に靖国神社が14人の 「 位牌 」 を合祀して以降は、首相が正式に参拝することは外交上正しくない。( 加藤紘一 ) |
答: | 「位牌」 などといっていること自体が無知をさらしています。 加藤は位牌と御霊、仏教と神道の違いも知らないようです。 加藤のうちは代々プロテスタントのご家庭だそうです。 ご自身については存じませんが、反靖国的態度をとっているのは、悪しきプロテスタントの伝統だと思われる可能性がありますので、他人事ながらご忠告申し上げておきます。 |
Q10: | ( 靖国参拝・教科書問題・竹島問題は )韓国への挑戦でもあり、日本が過去に戻るのではとの懸念がある。( 盧武鉉 ) |
答: | これは韓国の日本に対する挑戦です。 |
Q11: | 中国では有人宇宙飛行士が無事帰還しており、国を挙げての祝賀ム‐ドの中での( 2005年小泉首相靖国参拝の )報道だった。 中国側が日本が意図したものではないかと勘ぐる恐れがあるため、もう少し考えるべきだった。( 加藤紘一 ) |
答: | 日本人が中国の宇宙事業について国を挙げて喜んであげる必要も無い。 日本にミサイルを向けている国が宇宙開発をしたから国を挙げて喜べ、とは、およそ日本人の発言とは思えません。 余談ですが、王毅駐日大使も 「 中国国民がこぞって祝っている最中、世界各国から祝賀を送られている中で、隣人の日本からの 『 プレゼント 』 は、なんと靖国参拝でした 」 と加藤さんとそっくりの発言をしています。 |
Q12: | 政権の中枢にある首相、外相、官房長官は参拝を自粛すべきだ。( 神崎武 ) |
答: | 中国に従え、宗教干渉まで受け入れよと言いたいのでしょうが、とんでもない話です。 アメリカのイラク侵攻は内政干渉ですが、そのブッシュでさえもイスラム教には口出ししなかった。 宗教には干渉しないというのは内政干渉よりも厳格に守られていて、1848年のウェストファリア条約によって定められている。 この鉄則は文明の鉄則であり、条約成立後は戦争で宗教を口実にするようなことはなくなった。 条約成立以来、これを破ったのはヒトラーのユダヤ人迫害と、占領軍の神道指令だけと言っていいでしょう。 中国がやっているのはそれに次ぐ第3のウェストファリア条約違反です。 これは築き上げた文明に対する挑戦ですから、世界の文明のためにも中国の言い分を受け入れてはならない。 |
Q13: | 小泉純一郎首相が靖国参拝にのめり込めば日本は孤立する。 戦犯の合祀が絡む靖国の問題は東京裁判に行き着くからだ。 東京裁判には問題も多いが、受け入れることから日本の戦後復興は始まった。( 姜尚中 ) |
答: | なぜ孤立するのか。 要するに、中国が反発し、韓国がその尻尾についているだけのこと です。 日本が独立回復するサンフランシスコ講和条約を結ぶ時に、日本は全面講和すべきだ、そうでないと日本は孤立すると騒いだ左翼がいました。 朝日もそう煽り立てた。 ソ連とチェコとポーランドなど、2、3ヵ国の国が加わらないだけなのに、単独講和という文句を使った。 しかし、サンフランシスコ講和条約後も日本は少しも孤立せず、国際的に復帰しました。 あの時の左翼の言い分に従っていれば、それこそ日本は孤立して、スターリンの衛星国になっていた可能性があります。 また東京裁判を受け入れたのではなく、その諸判決を受け入れさせられたわけです。 元来は講和条約に諸判決の遂行を盛り込むこと自体が異例なのです。 裁判に不服でも判決は受けるのは普通の裁判でもあることです。 講和条約というのは勝った国が有利に決めるものです。 だから受け入れたなどという言い方をしてはならない。 受け入れさせられたのです。 あの裁判の中身がよかったから復興したわけではありません。 だいたい講和以前に要人を捕まえて処刑するのは捕虜虐待に当たります。 |
Q14: | ( 小泉首相の靖国参拝によって )アジアとの平和構想などできなくなってしまう。( 福島瑞穂 ) |
答: | 中国と韓国が意地を張る限り、中国、韓国との関係が難しいだけ であって、日本がアジアの他の諸国やオーストラリア、二ュージーランドと平和構想を行うのとはいっこうに関係ありません。 |
Q15: | 小泉首相がA級戦犯が祀られている靖国神社参拝を強行したことは中日関係の政治的基礎を損害し、中国人民と広範なアジア戦争被害国の人民の感情を傷つけ、中日関係の健全な発展にも影響を与える。( 武大偉 ) |
答: | 周恩来や毛沢東も問題にしなかったことを、今の中国が問題にすることがおかしい のであって、そんなことをやっていると、今の中国政府は無理に敵を作らないと国をまとめられない んだなと、痛くない腹をさぐられることにもなりますよ。 |
Q16: | 靖国参拝によって33年前の中日国交正常化の原点が覆されそうになる。( 王毅 ) |
答: | 33年前の日中国交正常化の原点は、お互いに内政干渉はしないというものでした。 原点を覆そうとしているのは中国のほう です。 |
Q17: | A級戦犯が合祀されている靖国神社を、内閣総理大臣が公的な資格によって参拝することは、結果的に極東軍事裁判によって戦争責任を有するとされた者の名誉回復、ひいては日本軍国主義の名誉回復にもつながると考えられる。( 辻元清美 ) |
答: | 辻本はA級戦犯についても勉強不足です。 またマッカーサーの議会証言にも無知です。 総理大臣が靖国神社を参拝することは日本の名誉回復になることだと思います。 回復されるべき名誉を回復しないと、国がシャンとしない。 例えば、ベトナム戦争の後、アメリカの治安はものすごく乱れました。 それが立ち直ったのは、レーガンがベトナム戦争の戦死者すべてのための碑を作り、敬意を払うようになってからです。 国のために戦った人を讃えなければ、次に国のために戦う人がいなくなってしまいます。 |
Q18: | サンフランシスコ平和条約で明らかなように、14人のA級戦犯がすべての戦争責任を負う。( 加藤紘一 ) |
答: | 平和条約というのは、それまでのことを 「 チャラ 」 にする条約です。 にもかかわらず、戦犯が残ったのはイギリスの主張でした。 ナチスの残党が南米あたりで活躍しているものだからイギリスが講和条約以後もそれ以前のものを引っ張るような事を付け加えさせた。 加藤紘一は東大の法学部を出たそうですが、サンフランシスコ平和条約の原文を読んだとはとても思われません。 11条を見れば、裁判でなく、諸判決【 judgments 】を受諾したことは分かるはずです。 「 与えられた諸判決を受諾し、実行する【 carry out 】 」 とある。 日本が裁判自体を実行するわけにはいきませんから、判決を受け入れたと訳さなければ意味が通りません。 加藤氏は 「 judgments の訳に関する問答についてはもう触れたくない 」 とか言っているようですが、それは自分の英語力を試されたうえ、11条の後半を隠して伝えた朝日新聞 にまんまと乗せられて自己嫌悪に陥っているのではないんでしょうか。 その自己嫌悪は事あるごとに思い出していただきましょう。 |
Q19: | A級戦犯が合祀された靖国神社を参拝し、アジア諸国の人々の感情を逆なでする姿勢は許せない。( 福島瑞穂 ) |
答: | アジア諸国の人々といっても、実際には中国人と韓国人だけのこと ですが、韓国は中国の尻尾みたいなものですから、つまりは中国の人々の感情です。 そして中国の人々の感情というのは、今の中国政府が内政事情で敵を作らなければならないから言っているだけです。 周恩来も毛沢東もなにも文句を言わなかった。 中国の内政事情に配慮する義理はありません。 |
Q20: | A級戦犯はB、C級戦犯より罪が重い。 |
答: | 裁く側が決めた種別に過ぎません。 戦犯の分類としてのABCなのであって、Aが最も悪いというわけではなく、単にイロハと同じです。 A級は戦争を遂行した国家指導者など。 B級は戦場の指揮官など。 C級は実行した兵隊などです。 |
Q21: | 日本政府はサンフランシスコ講話条約で、先の戦争を 「 誤った戦い 」 と認めた。( 加藤紘一 ) |
答: | 勝った側からいろいろと押し付けられて敗戦国だから受け取っただけです。 今から見れば誰が考えても 先の戦争で一番悪いことをしたのは原爆を落とし、無差別爆撃をしたアメリカです。 原爆や爆撃は明瞭なるハーグ陸戦条約違反です。 原爆は言うまでもなく、東京空襲でも1晩で十万人死んでいる。 アウシュビッツだって1日に十万人は殺しませんよ。 明白な人道に対する罪です。 しかし、その点についてアメリカは何の責任も取ろうとしない。 講和条約ですべてチャラにしている。 それ以前のことはお互い政治では言わない約束です。 学術的に研究するだけならいいですが、政治的にそれを取り上げる加藤には政治家の資格はありません。 |
Q22: | A級戦犯は今でも日本国の犯罪者である。 |
答: | とっくに犯罪者でないことになっている。 昭和27年6月5日から全国一斉に戦争受刑者の助命・減刑内地送還嘆願の署名運動が始められ、4千万人もの署名が集まった。 そして12月の第5回衆議院本会議では、自由党・改進党・左右両派社会党などの共同提案によって、 「 戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議 」 が与野党一致で可決されました。 昭和28年には、社会党の堤ツルヨ代議士らの尽力で、戦犯の遺族たちへも遺族年金および弔慰金が支給されることになり、29年の恩給法の改正によって拘禁中獄死または刑死したものの遺族に対しても扶助料が支給されることになった。 国際法にも、A級戦犯の罪を裏付けるような法律はありません。 サンフランシスコ条約11条の後半には、戦犯を免罪する条文があり、関係国が許せば免責されました。 それによって、国内国外とも戦犯はなくなりました。 A級戦犯とされた人物で後に司法大臣になった賀屋興宣、外務大臣になり国連で演説した重光葵に対して、どの国も文句を言いませんでしたよ。 |
Q23: | 英国エリザベス女王やニクソン米国大統領が訪日の際、当初予定されていた靖国神社参拝をとりやめたのはA級戦犯合祀や政教分離が理由であると聞いている。( 辻元清美 ) |
答: | 辻元は無知を曝け出しています。 調べりゃわかることを、この人はどうして調べようとしないのか。 エリザベス女王の来日の際に靖国参拝が予定されていた事実はないし、ニクソン大統領にいたっては、在任中に来日していない。 ただし日本国としては、ぜひ次にエリザベス女王が来日した時には、靖国神社に参拝して頂くようにしてもらいたい。 この前の戦争には一番恨みのあるはずの、ビルマ戦線のイギリス兵捕虜たちでさえも、自発的に参拝しているのです。 |
Q24: | A級戦犯は 「 平和に対する罪 」 「 人道に対する罪 」 などで裁かれて 当たり前だ。 |
答: | 東京裁判自体が分かっていない。 東京裁判は判事、検事に至るまで戦勝国およびその植民地の人間ばかりです。 敗戦国どころか中立国も含まれていません。 敗戦国のあらを探して裁判をしたのです。 裁判の成り立ちは、例えるならば山口組と稲川会が喧嘩して山口組が勝ったときに、負けた稲川会の連中を山口組が裁判に掛けるようなものです。 両方悪い事をしたかもしれないが、勝った方は何も言われず、負けた方だけが追及されるのは目に見えたことです。 戦犯の分類としてABCなのであって、Aが最も悪いというわけではなく、単にイロハと同じです。 A級は戦争を遂行した国家指導者など。 B級は戦場の指揮官など。 C級は実行した兵隊など。 A級に対する訴因は3つに分けられた。 第1類は平和に対する罪、第2類は殺人及び共同謀議の罪、第3類は通常の戦争犯罪及び人道に対する罪。 結局、1類だけでは死刑にできなかった。 検事側は昭和3年のケロッグ・ブリアン条約にそむいて戦争を始めたと述べたのですが、当時のアメリカの国務長官、ケロッグ自身が、自衛権については認めています。 何か自衛権かは、当事国が決めるのです。 だから1類の平和に対する罪では誰も死刑にされてはいない。 2類は殺人の罪というヘンな分類です。 これは宣戦布告する前に真珠湾攻撃を行ったのは戦争ではないのだから、その場合に死者を出したことは日本側の殺人だといって、特別に作ったものです。 判決ではこれを不問に付した。 3類は通常の戦争犯罪と人道に対する非。 このうち戦争犯罪にひっかけられてみんな死刑なのです。 死刑となった9人は 「 人道に対する罪 」 で裁かれたのではないのです。 この罪はニュールンベルク裁判で作られたのですが、確かにナチスはあれだけ意図的、計画的に、国家としてユダヤ人を殺したのだから、これは人道に反していると言われても仕方ない。 しかし日本ではそのようなことはしていないのだから、人道に対する戦犯はいないのです。 死刑になった人は平和に対する罪と捕虜虐待および不作為責任を 「 合わせて一本 」 というだけというのが真実です。 今であればこんなものは死刑にならない。 例えばイラクで米兵の捕虜虐待が問題になりました。 もし 東京裁判の基準を適用するならば、イラク戦の軍事司令官、アメリカ大統領までが死刑になる ということになる。 ベトナム戦争で言えば、ジョンソン大統領も死刑 です。 |
Q25: | 東條英機は、太平洋戦争開戦時、首相であり、侵略、殺人の直接責任者だ。 |
答: | 東條英機については第3次近衛内閣辞職の後に突如予想外に首相を押し付けられました。 天皇があくまでも平和を望まれている事が分かると、1941年9月6日の御前会議をひっくり返す許可を得て、全力を尽くして平和を回復しようと努力しました。 けれど、首相になってから2ヵ月も経たないうちにハルノートという最後通牒を突きつけられてしまったのです。 東條は、戦争犯罪で裁かれるという点では無罪だが、敗戦に関しては、日本国民と天皇に対して自分が責任を負うと言っています。 |
Q26: | 広田弘毅は 「 軍部大臣現役制復活 」 と 「 日独防共協定締結 」 を成立させた首相で、侵略国策の確立者、武力外交主義者だ。 |
答: | 広田弘毅は文官ですが、近衛内閣の外務大臣でした。 外務大臣として政策に当たっていて死刑にされるなどという事は通常無い。 南京事件を、外務大臣として止められなかったという無作為の責任を負わされた のです。 しかしパル判事だけでなく、オランダのレーリンクも広田には無罪判決を出しており、採決時も6対5で死刑判決が下ったのです。 |
Q27: | 松井石根は、上海派遣軍司令官当時、 「 南京大虐殺 」 をおこした。 |
答: | 南京の総司令官だったために南京大虐殺の責任を負わされました。 しかし松井はその当時南京にはいませんでしたし、しかも南京は日本軍の要望を無視してオープンシティをしなかった。 死者が出た事を彼は非常に悲しんで、南京に慰霊碑を建てようとしたのですが戦争中だったので叶わず、自分が司令官を辞めた後日本へ帰ってきて、熱海に興亜観音を作り、日本人、中国人に関わらず慰霊しました。 当時、陸軍大学トップの卒業生の留学先はドイツかフランスなど欧米を選ぶのが通常だったのに松井はわざわざシナヘ行っている。 本当に日清問題を考えている熱心な人でした。 その松井を 「分祀しろ」 などという支那人はもう少し勉強した方がいいでしょう。 |
Q28: | 松岡洋右は、国際連盟を脱退し、外務大臣として日独伊3国同盟締結に猛進した侵略主義者だ。 |
答: | 確かに3国同盟に関しては判断の誤りもありました。 彼は若い頃アメリカに留学していて苦学していました。 そこでアメリカ人は弱いところを見せたら絶対に付け込んでくるということを学んでいた。 「 強くなければ 」 という考えがあったようで、アメリカがどんどんと日本を追い詰めてくる中で、ドイツやイタリアと組んだら向こうも遠慮するんじゃないかという考えがあったようです。 これは完全に判断の誤りです。 後に 「 俺は大変な事をした 」 と言って号泣したそうですね。 戦争をしなくて済むように動いたにもかかわらず、戦争に向かってしまったという言い方が適当な人物です。 |
Q29: | 東郷茂徳は、開戦時、東條内閣で外務大臣を務め、終戦時、鈴木賃太郎内閣でも外相を務めた。 戦争と侵略の助成者だ。 |
答: | 戦争回避に努め、日米関係においても尽力したものの、ハルノートを突きつけられたのです。 開戦時、そして終戦時に外相であり、ポツダム宣言受諾を天皇に進言した人物です。 大使館の不手際によって宣戦布告が間に合わず、結果的に真珠湾攻撃が奇襲ととられてしまったためにA級戦犯にされました。 |
Q30: | 木戸幸一は、内大臣として天皇を操作し、天皇を軽蔑していた陸軍支持者だ。 |
答: | 日本は維新の元老たちが元老会議で首相を推薦していました。 その元老もどんどん亡くなっていき、昭和になると西園寺公望さん一人になってしまいます。 その西園寺さんが亡くなった後、内大臣であった木戸がやったということです。 杢戸は天皇陛下に人を近づけないようにしたと言われて、恨みをかっています。 特に皇族の人を近づけまいとしたようです。 天皇には、正規の情報以外に、脇から余計な情報が入るため、それを入れないようにしたというそれなりの理由はあった。 天皇が一言述べられると大変なことになる一例としてはガダルカナルがあります。 陛下が 「 ガダルカナルはどうした 」 と言われただけで、なにがなんでもガダルカナルを守らなければならない、ということになったという説がある。 そういうことにならないために、天皇陛下に雑音を入れまいとして努力したということはあるでしょう。 木戸が死刑にならなかった理由として、彼は都留重人と姻戚関係にありました。 都留は、後にコミンテルンのエージェントとして自殺したハーバート・ノーマンとつるんでいた。 木戸と都留は同じ屋根の下に住んでいたこともあった。 東京裁判の情報はハーバート・ノーマンを通じて入ってくるので、都留は、近衛を悪者にすれば木戸は助かる、少なくとも死刑にはならないということを考えたらしい。 マッカーサーは最初、新憲法を作ったらどうかと言うほど近衛に好意を抱いていたが、それが途中から変わる。 近衛は近衛上奏文という共産主義警告の文書を天皇に出したりしていたので、共産主義者のハーバート・ノーマンがそれを憎んで、近衛を死刑にして、木戸を救おうとしたということが最近、工藤美代子さんの 『 われ巣鴨に出頭せず 』 ( 日本経済新聞社、146P参照 )という本で明らかにされています。 |
Q31: | 畑俊六は、陸軍大臣として3国同盟締結のため米内内閣を潰した。 また、 「 戦陣訓 」 を作って日本を戦争に追い込んだ軍国主義者だ。 |
答: | 戦陣訓は畑が作ったわけでなく、今村均が作り、東條内閣の時、発令された。 戦陣訓がなぜ問題になるかというと、 「 生きて虜囚の辱めを受けず 」 という部分です。 捕虜になるなと言っている。 なぜこういう文言を入れたかというと、シナで捕虜になり殺された日本兵は、皆、目をくり抜かれたり、陰部をそぎ落とされたり、残酷極まりない殺し方をされている。 だから、日清戦争の時にすでに山駆有朋が、 「捕虜になるな」 と言っているんです。 日露戦争の時はそんなことはなかった。 ロシア軍も日本軍も敵の捕虜は文明的に扱っていた。 第一次大戦の時も日本はドイツの捕虜を文明的に扱っている。 ところが相手がシナだと違ってくる。 シナの捕虜になると、徹底的に切り刻まれるのです。 だから戦陣訓が必要だったのです。 戦陣訓ができたのは、シナ人が野蛮な国民だったため と言えます。 だから海軍には戦陣訓はありません。 シナに海軍がなかったから関係なかったのです。 |
Q32: | 重光葵は、日米開戦時に外相であり、 「 煙幕外交 」 を実施した侵略参画者だ。 |
答: | この人が戦犯になるなどと誰も思っていなかったが、張鼓峰事件の時に、外交的に有能であったがゆえに、外国記者を日本に同情的にもっていくことができ、それでソ連の恨みを買った。 だから ソ連が遅れて東京裁判に参加すると、とにかくA級戦犯に重光と梅津美治郎を入れろと主張した。 当初、A級戦犯は25人にしようとしていたものだから、重光と梅津を入れることで入らなくてすんだのが、皇道派の軍人2人です。 それくらい いい加減なA級戦犯の人選でした。 オランダのレーリンク判事は、無罪判決を下し、重光は後に日本の外務大臣になるだろうと言っています。 重光は後に、サンフランシスコ講和条約第11条の後半に従って、昭和27年にはA級戦犯ではなくなり、改進党の総裁、鳩山内閣の副総理、外務大臣に任命された。 1956年12月18日国連に日本が復帰した時には、 「日本は東西の架け橋になる」 という有名な演説をしています。 |
Q33: | 大川周明は気が狂っていた。 |
答: | 狂っていなかったという説もあります。 裁かれることはプライドが許さない。 しかし、自殺するわけにはいかないというので狂人を装ったという説もあります。 その後、完全に正常になり、1950年に日本で最初のコーランの日本語訳を書き上げ、出版しています。 |
Q34: | ポツダム宣言で無条件降伏したのだから裁かれても仕方がない。 |
答: | 有条件降伏です。 「 our terms 」 つまり、 「 私たちの条件は 」 という言葉が入っています。 ドイツとは違います。 ドイツは終戦交渉を行う政権自体がなかったが、日本には政権が存在していました。 日本は天皇を殺されたり、伝統や文化を破壊されないために、最低限の保証さえ得られれば停戦に応じる としたのです。 |
Q35: | 戦争指導者は裁かれて当然だ。 |
答: | 戦勝国が敗戦国を裁くというのは文明国では異例 のことです。 東條らいわゆるA級戦犯7人は連合国に対して戦争責任は認めなかったが、日本国民に対する敗戦責任は認め、従容として死んでいきました。 |
Q36: | 東京裁判の条令はマッカーサーの意志だった。 |
答: | その通りですが、何度も言うようにマッカーサーは東京裁判史観を、後に完全に撤回 しています。 |
Q37: | 敗戦国ドイツも同じように裁かれた。 |
答: | 同じではありません。 ドイツはヒトラーも自殺し、政府もなくなっており、完全に無条件降伏です。 日本はポツダム宣言を受諾しましたが、停戦に対するオファーを受け取った。 日本側の求める条件も書いてあり、有条件降伏です。 ドイツの場合、裁かれたのはナチスだけ ですが、日本は日本国が裁かれた のです。 正常なる政府、議会もあった政府が1928年以降、まとめて裁かれた。 これは 人種差別裁判だった と思います。 |
Q38: | 東京裁判はハーグ陸戦規定に則り正しく行われた。 |
答: | 1899年にオランダで聞かれた第1回ハーグ平和会議で採択されたハーグ陸戦規定は、いわば 「 戦争のルール 」 を定めた国際法です。 ここには、非戦闘員に危害を加えてはならないことや、残虐な兵器を使ってはならないこと、また捕虜を虐待してはならないことなどが定められています。 しかし、残虐な兵器、原爆を投下したアメリカは裁かれず、連合国による日本人捕虜虐待も全く裁かれていない。 裁かれたのは敗戦国である日本だけです。 国際法は全く機能しなかったと言えます。 |
Q39: | 東京裁判は大東亜戦争の戦犯のみを裁いている。 |
答: | そうではありません。 大東亜戦争以前の平和条約も停戦協定もきちんと行った戦争に関しても裁いています。 例えば張鼓蜂事件やノモンハン事件の関係者も裁かれている。 満州国に関しても、1933年に結んだ塘沽条約停戦協定によって、蒋介石も満州国を正式に国と認めました。 これは国民政府のみならず、二十数ヵ国が認め、貿易まで行なっていました。 このように、決着済みのことも引きずり出された のです。 |
Q40: | A級戦犯はよく協議されて選ばれた。 |
答: | あわてて選びました。 はじめから 「25人くらい」 と決めて、悪者探しをしたのです。 ナチスの場合は党の上位から25人選べばいいのですが、日本の場合はそう簡単には行きませんでした。 そのため東條内閣の閣僚であるというだけとか、いい加減な基準で選ばれて しまったのです。 |
Q41: | 日本は自ら戦争犯罪人を裁こうとしなかった。 |
答: | 日本の意志としては、天皇陛下が、日本人を裁くのには反対でした。 またA級戦犯とされている方々も敵から見れば戦争犯罪人かもしれないが、日本から見れば国家指導者です。 実際、A級戦犯と言われている人たちも傑出している人が多い。 オランダのレーリンク判事も、東京裁判の被告たちは 「 ほとんどが一流の人物だった、本当に立派な人たちでした 」 と言っています。 日本が悪かったというのは小林秀雄がいったように、負けたのが悪かったんです。 そして東條たちは裁かれるまでもなく、そのことを自ら認めていました。 |
Q42: | 天皇を裁くことは連合国すべてが反対した。 |
答: | それは間違いです。 天皇を裁くと占領政策がうまくいかない可能性がある、と懸念したアメリカ、マッカーサーが一番反対しました。 その意向を受けてキーナンも 「 天皇は訴追せず 」 を守った。 それに不満を持っていたのはウェッブ裁判長などでした。 |
Q43: | 日本はナチスと同じく侵略を共同謀議した。 |
答: | これも無知の極みのような発言です。 例えば日本の侵略は1928年、天皇に出された田中上奏文から始まったとされています。 田中上奏文には 「 日本世界征服計画 」 が書かれているとされていました。 しかし これはコミンテルンが書いた偽書であることが判明 しましたし、東京裁判でも証拠として使われる事はなかった。 田中の次に総理になった浜口雄幸は、田中とは反対の大陸政策を考えていたし、18回も内閣が変わっていて、どのように共同謀議をするのでしょうか。 |
Q44: | 侵略戦争は犯罪だ。 |
答: | ケロッグ・ブリアン条約のケロッグ自身も自衛戦争は認めており、自衛かどうかの判断は自国が決めるのだと言っている。 大東亜戦争は明らかに自衛戦争 であり、それは後にマッカーサーでさえ認めている事です。 明らかなる侵略とは戦前の欧米の植民地支配 や、戦後の中国のチベット侵略、満洲、中国東北、蒙古地方への支配行為 を言うのです。 |
Q45: | ウェッブ裁判長は一流の判事だった。 |
答: | ウェッブ裁判長は本国のオーストラリアでもその資格を疑われていました。 裁判管轄権の問題、そしてニューギニアの戦犯問題で検事役も兼務していたので、東京裁判では裁判官忌避が行われました。 |
Q46: | 判事は皆、国際法の専門家だ。 |
答: | 専門家はパル判事だけでした。 パル判事は国際法の権威、専門家であり、彼はいわゆるA級戦犯全員の無罪を主張 しました。 |
Q47: | 判事は公平に選ばれた。 |
答: | 全くそんなことはない。 戦勝国側の人間ばかりです。 当事国ばかりで第3国の判事はいませんでした。 |
Q48: | キーナンは経験豊富な検事だった。 |
答: | キーナンはアル・カポネを捕まえた検事だったそうです。 アル・カポネ逮捕の際には、重要な犯人を免罪するかわりに有利な証河を聞き出し、成功した。 東京裁判でも同じ手を使って、田中隆吉少将に証言をさせた のです。 田中は敗戦直後の日本で贅沢な暮らしをしていて、田中の家に行けばアメリカのウィスキーが呑めるとまで言われていました。 自身は上海事変の関係者であり、綏遠事件を起こしたのですが、東京裁判では一切問われなかった。 キーナンはカポネのときと同じ手を使って重要証言を引き出したのです。 |
Q49: | 反対尋問は十分に行われた。 |
答: | 行われはしましたが、偽証罪がなかったため、うそを言っても責められるようなことはありませんでした。 反対尋問では重要な裁判記録があります。 当時南京にいたマギー牧師は赤十字の関係者でした。 マギーは南京事件において、証言台で 「 人がたくさん殺され、強姦された 」 と証言しました。 これを受けて、アメリカ人の弁護人が反対尋問で 「 これはすべて伝聞ですね。 あなた自身は虐殺された人を何人見ましたか 」 と尋ねると、なんとマギーは 「 1人です 」 と答えたのです。 しかもそれは安全地区内に走りこもうとしたシナ人青年が、歩哨の停止命令を無視したために撃たれたんです。 戦場ですから、歩哨に止められたのを振り切って逃げたら撃たれるのは当たり前です。 虐殺があったと言われていた南京で、現場にいて自由に歩きまわれたはずの牧師が殺害された人間を1人しか見ていない。 続いて 「 強姦された人は 」 と聞くと、 「 1件見ている。 シナ人女性と日本軍兵士が2人でいて、私が来たのを見ると男性はびっくりして銃剣を忘れて走り去った 」 と言う。 しかし、それだけでは、強姦をしたかどうかは全く判断できません。 反対尋問は十分とは言えませんでした。 しかし反対尋問のおかげで、マギーが、殺されている人を1人しか見ていなかったということが分かった。 それをまともに取り上げていれば、松井大将が絞首刑になるはずはなかったのです。 |
Q50: | 弁護団は十分な陣容だった。 |
答: | 当時の弁護団は検事と違って権力で証拠を集める事ができなかったので十分でなかったかもしれません が、アメリカの弁護士にも優秀な方がいました。 ジョージ・A・ファネス( 重光葵担当 )弁護人、ベンブルース・ブレークニー( 東郷茂徳担当 )弁護人らは 「国際法上合法である戦争で人を殺しても罪になるはずがない」 「公正を期すために中立国の判事を入れよ」 などと東京裁判の問題点を指摘しています。 さらにブレークニー氏は 「原爆を投下したものが裁く側にいる。 長崎、広島に投下された原爆の残虐性は誰が裁くのか」 とも発言 しています。 |
Q51: | 裁判は通訳が正確に行われた。 |
答: | しばしば 通訳の正確さに欠けていた と指摘されています。 また、連合国側に都合の悪いところでは通訳がストップ した場面もありました。 |
Q52: | 判事は全員一致で、日本の犯罪を認めた。 |
答: | 「全員一致」 ではありませんでした。 パル判事は全員無罪を主張 しました。 オランダのレーリンクは、東京裁判の対象を太平洋戦争に限定すべきであると主張し、共同謀議の認定にも異議 を唱えました。 フランスのベルナール裁判官は、 「通例の戦争犯罪」 でも、閣僚やそれに近い高級ポストに就いているだけで責任を問うのは広範に過ぎる とした。 裁判長であるウェッブ自身は、 「連合国の最大利益のために天皇不起訴を承認したからには、被告の量刑も考慮されるべきだ」 と主張 しています。 |
Q53: | 被告の中には自ら罪を認めた者もいる。 |
答: | 被告たちは敗戦という事実に対しては責任を感じていました。 日本を敗戦に導いたのだから無罪ではないと思っていたのです。 しかし、アメリカ式の裁判だと、まず無罪を主張しない事には裁判も弁護もできないため、しぶしぶ無罪を主張したのです。 |
Q54: | 日本の弁護団が無能だったから日本は犯罪国にされた。 |
答: | そんなことはありません。 日本の弁護団は十分有能でした。 清瀬一郎弁護士は はじめから裁判の管轄権を問題にしており、この指摘にはウェッブ裁判長も答えられませんでした。 英米法の専門家である高柳賢三弁護人もケロッグ不戦条約をたてにして日本を責めるのは無効だと指摘 しました。 |
Q55: | キーナン検事は判決に満足していた。 |
答: | ニュールンベルク裁判では22人の被告のうち、死刑12人、終身刑3人、有期刑4人、無罪3人です。 ところが東京裁判では全
員有罪、しかも死刑7人、終身刑16人、有期刑2人。 これには キーナンも 「なんというバカげた判決か。 重光は無罪、松井、広田も死刑とはとんでもない」 と不満でした。 |
Q56: | 東條ら7人は死刑判決に異を唱えた。 |
答: | 死刑宣告の後、東條は勝子夫人に 「 7つの喜び 」 を語っています。 裁判がうまくいって、皇室にご迷惑をかけずにすんだこと、64歳まで長生きできたこと、巣鴨に入って宗教を真剣に味得したこと、日本で処刑され日本の土になること、とくに敵であるアメリカ人の手で処刑され自分も戦死者の列に加わることなどで、東條は本心からそう思っていたようです。 他の死刑囚も全員、従容として死んでいきました。 |
Q57: | 東京裁判は国民に正しく報じられた。 |
答: | 報じられませんでした。 当時は占領軍の言論統制がものすごく厳しく、批判勢力は皆無でした。 NHK、大新聞などは完全なる統制の下にあったのです。 裁判においてもたとえば、ブレークニー弁護人の 「原爆を落とした人、作らせた人は分かっている」 という発言は通訳されません でした。 そのことも当時の新聞は一切、報じていません。 |
Q58: | 控訴は認められていた。 |
答: | 控訴は認められていました。 控訴裁判所はありませんが、裁量権はマッカーサー司令官にあった。 しかし、判決を変えたケースは一例もありませんでした。 |
Q59: | サンフランシスコ平和条約で日本は東京裁判を受諾した。 |
答: | サンフランシスコ平和条約の第11条を簡単に言うと、 「日本は東京裁判の 『諸判決』 を受諾し、これを実行する」 という約束をしている。 これを朝日式に言うと 「東京裁判を受諾している」 ということになる が、そうではない。 原文の動詞には 「carry out( 実行 )」 とある。 日本が東京裁判を 「carry out( 実行 )」 できるわけがないのです。 目的語の 「judgments」 も 「裁判」 ではなく 「諸判決」 と訳すべきです。 ですから、諸判決を受諾させられたということです。 |
Q60: | 東京裁判は将来の戦争防止に役立つ。 |
答: | その舌の根も乾かないうちに朝鮮戦争が起こり、続いてベトナム戦争がありました。 中国はチベットを侵略し、アメリカはイラクでも戦っています。 |
Q61: | 靖国神社がナショナリズムの象徴として議論されることに戦没者遺族として心から悲しみを感じる。( 古賀誠前日本遺族会会長 ) |
答: | 古賀には 「 ナショナリズムの代わりにペイトリオティズムと言ってください 」 と言いましょう。 靖国参拝は国を愛する気持ちを涵養するだけです。 遺族だから何を言ってもいいというわけではありません。 |
Q62: | 靖国神社自身は明らかにかつての日本の対外侵略を肯定し、A級戦犯たちを賛美する立場、いわゆる“靖国史観をとっています。( 王毅 ) |
答: | マッカーサーさえ自衛のための戦争だったということを議会で証言しています。 しかも 戦犯とされた人を賛美するのではなくて、慰霊するのが靖国神社の役割 です。 |
Q63: | 「 遊就館 」 は 「 日本の戦争は正しかった 」 という戦争肯定論だ。( 志位和夫 ) |
答: | 共産党は少なくとも勉強する人が集まっていますから、東京裁判史観が東條・マッカーサー史観に変わったことぐらいはチェックしてください。 戦争記念館だから、肯定的になるのは当然です。 自国の戦争を否定する戦争記念館がどこにありますか。 「 遊就館 」 のことを言うなら 南京の大虐殺記念館のデタラメ展示を批判してみよ と言いたい。 |
Q64: | 戦死者の霊が神となるということそれ自体が、国家のための戦死を美化し、戦意を高揚させるものであ る。( 土井たか子 ) |
答: | 戦死者を慰霊し、崇拝し、後に国難がある時には、国のために命を捧げようという人が出るようにさせるのは誠によいこと、近代国家として当然のことだと思います。 それを嫌がるのは日本に敵意を持っている国だけ です。 おそらく、土井の先祖の国でしょう。 |
Q65: | 靖国神社は、かつて大日本帝国憲法の下で天皇制と国家権力が富国強兵政策の一環として神道を国家神道とし、帝国陸・海軍によって管理されていた。( 土井たか子 ) |
答: | 日本はペリー来航以来、弱者( 後進国 )を植民地、半植民地とするのが正義だという列強( 先進国 )がはびこる時代に国を開いたので、強くなる必要がありました。 日本が戦死した人を祀る時、伝統的な神社が宗派を超えて行うこととしたのは至極当然であり、主として戦死者を祀っているのだから、軍人を管理していた陸軍・海軍が管理するのは少しもおかしくありません。 |
Q66: | 靖国神社が首相の考える兵士の慰霊の場にとどまらす、過去のアジア侵略や太平洋戦争を正当化する思
想的支柱となっている。( 若宮啓文 朝日新聞論説主幹 ) |
答: | 日本の代表的な犬新聞の論説主幹がマッカーサーの上院軍事外交委員会の証言も知らない、あるいは知らないふりをしているということが情けない。 先の戦争によって、アジアに多数の独立国ができたことは厳として動かぬ事実です。 |
Q67: | 遊就館の展示は、近代日本の全ての対外戦争を正戦であったと考える特異な歴史観。( 高橋哲哉 東大大学院教授 ) |
答: | ですから自衛のための戦争だったと認めている。 高橋が東條・マッカーサー史観に無知なだけです。 |
Q68: | 靖国参拝問題は、日本があの戦争を 「 誤った戦争 」 と思うか、たまたま負けただけの 「 聖戦 」 と考えるのか、ということを日本人自身が問われている。 靖国神社は聖戦であることを前提として存在している。( 加藤紘一 ) |
答: | 何度も言うのもイヤだが、こういう無知な人がいる からもう一度言います。 日本ではこんな論争は終わっています。 東京裁判を行ったマッカーサー自身が自衛戦争だと言っている のですから、1957年以降、論争は終わっています。 |
Q69: | 隣人が嫌がることを控えめにすることが東洋人の伝統だ。( 王毅 ) |
答: | 王毅大使はチベット弾圧によって出世して日本大使に抜擢されたそうです。 そんな人がイケシャーシャーとよく言う。 日本人は自分の信仰に対して口を出されるのは非常に不快に思います ので、東洋の伝統に従って口を出さないでください。 |
Q70: | ( 中国との )首脳レベルでの交流を早急に実現する上で大きな障害になっているのは、総理の靖国参拝問題である。( 河野洋平衆 衆議院議長 ) |
答: | 大きな障害にしたのは中国のほうで、しかも国内事情から勝手にやったことです。 1985年8月に中曽根総理が参拝したのに中国が反撥、中曽根総理がA級戦犯合祀を理由に参拝をやめてしまった。 あれが間違いのもとです。 昔はそうではなかった。 毛沢東や周恩来、鄧小平は何も言わなかった。 障害を作った中国の政治家たちは偉大な先輩方を見習いなさい。 |
Q71: | 改革路線をすすめる胡耀邦さんは保守派の要人から非難され始めていた。 胡耀邦さんと私とは非常に仲 が良く兄弟分のような関係にあった。 そこで私が参拝すると、胡耀邦追い落としの原因を作ったようになるかもしれない。 そういう暗示を受けたな。 それで胡耀邦さんを守らなければならないと思った。 それもあってやめたんです。( 中曽根康弘 元総理 ) |
答: | 外国の友人の立場をよくするために、自分の国の戦死者をないがしろにするという馬鹿な首相を持ったことを日本人として恥と感じます。 結局、胡耀邦も失脚した。 |
Q72: | A級戦犯合祀は中韓との関係でのどに刺さったトゲになっている。( 谷垣禎一 財務大臣 ) |
答: | 日本がトゲを剌したのではなく、中韓が勝手に自分で刺したのです。 自分で抜きなさい。 |
Q73: | A級戦犯をまつった靖国神社ヘの日本の指導者による度重なる参拝が中国やアジアの人々の感情を傷つけている。( 温家宝 中国首相 ) |
答: | 毛沢東や周恩来や蒋介石や鄧小平が傷つかなかった のに今の連中が傷つくとすれば、そういうふうに仕組んだ 江沢民以降の中国の政策が悪い。 外に敵を作ることによって内政をまとめようとする、卑しい、また危険なことを中国はやっているのです。 |
Q74: | 靖国問題の解決なくして両国関係の順調な発展は極めて困難だ。( 温家宝 ) |
答: | 毛沢東や周恩来の墓の前で言ってみてください。 |
Q75: | 1985年の中曽根氏の靖国神社公式参拝後、日中間で首相らの参拝は自粛するとの 「 紳士協定 」 があ った。 国と国の付き合いにおいては、お互いに約束を守ることは何より大事である。( 王毅 ) |
答: | 王毅大使が指摘したことに対しては、中曽根さん自身が、 「 事実に全く反する。 そのような協定を行ったことは全くない。 大使の記憶違いではないか 」 と全面的に否定し、中国大使館側に電話で抗議している。 紳士協定なるものは存在しません。 |
Q76: | 中国は1985年、A級戦犯が靖国神社に祭られているのが世界に知られた時から、日本の指導者の靖 国参拝に反対してきました。( 王毅 ) |
答: | そもそも他国の内政問題に口を出すのはやめていただきたい。 何度も言いますが、A級戦犯というのは日本にはいません。 左翼の 朝日新聞が書いたことに中国が反応した だけのことです。 朝日新聞に関係なく、A級戦犯とは何であったか、また靖国神社とは何であるか、ということをよく考えてください。 |
Q77: | A級戦犯の扱い方は日本の内政問題ではない。( 王毅 ) |
答: | 確かに内政問題だけではありません。 サンフランシスコ講和条約第11条の後半を読んでください。 王毅大使は外交官なんですから。 サンフランシスコ条約の11条を当時の外務省は訳は間違っていたけど概念は正しく理解していました。 11条の後半を正しく使って、諸外国と手続きし、同意も得て、日本の議会の支持も得てA級も含めて戦犯を釈放した のです。 釈放できなかったのはそれ以前に死刑になっていた人だけです。 |
Q78: | これまで日本を国賓として訪問された諸外国代表が靖国神社を参拝した例はあるのか。( 辻元清美 ) |
答: | そんなことは調べればすぐわかる。 この人は本当に無知です。 1961年にはアルゼンチンのフロンデシ大統領が戦後初の元首として参拝されています。 また、国賓ではないですが、1980年には、チベットのダライ・ラマ法王が慰霊に訪れています。 1960年にはビルマのウー・ヌー前首相、81年にはインドネシアのアラムシャ宗教相とアジアからも参拝されています。 アメリカのブッシュ大統領も来日時に参拝したいと言ったのに、日本側が波紋を恐れて断ったという話もある。 また、各国の軍人がよく参拝していることも確かです。 まだ来ていない諸外国代表に靖国神社を参拝してもらうよう働きかけるのは日本政府の義務でしょう。 |
Q79: | 13憶の中国国民が最も目にしたくないことをあえてして、その悲惨な戦争の記憶をもう一度思い出さ せることは、隣の国の民衆が喜んで受け入れることは到底できない。( 王毅 ) |
答: | 悲惨な戦争をもう一度繰り返したくないならば、あの悲惨な戦争を引き起こしたのは中国だ ということをもう一度思い出して頂きたい。 盧溝橋事件を起こしたのは中国共産党です。 上海の戦争もそうです。 ユン・チアンの 『 マオ 』 もそのことをハッキリ書いている。 中国共産党が国民党に息の根を止められそうになって、日本と国民党を戦争させて、国民党の戦力を削ぐためにやったことです。 毛沢東も中国が今日あるのは日本のおかげだ、日本に感謝する と言っている。 少し毛沢東の発言でも調べてみてください。 |
Q80: | 中国にはA級戦犯が合祀される靖国神社への首相の参拝を快く思わない国民感情があり、日系企業への 悪い影響が出る懸念もある。( 北城恪太郎経済同友会代表幹事 ) |
答: | A級戦犯は日本にはいません。 毛沢東政権は、サンフランシスコ講和条約に参加さえしていない。 蒋介石政権を受け継いでいるというのなら、蒋介石はサンフランシスコ講和条約の翌年に、すべて賠償を放棄した。 毛沢東も周恩来も蒋介石も靖国神社への首相参拝について、あれこれ言いませんでした。 |
Q81: | 経済界の多くの意見だと思うが、首相には今のような形での靖国参拝は控えていただいた方がいい。( 北城恪太郎 ) |
答: | IBMは中国に一部の事業を買ってもらって、そういう姉妹会社のことを考えてこうおっしやるのかもしれませんが、それはやめたほうがよい。 今の中国は体制としては、一番ナチスに似ている。 政治的には独裁、経済は解放、軍事費は拡大、これはナチスがやったことです。 当時、イギリスの銀行家はナチスに投資なんかをしたものだから、手遅れになったと言われている。 あなた方はイギリスの二の舞になるが、それでもよろしいのですか、と言いたい。 自分が儲けるために、日本人の魂まで売るのは情けない。 |
Q82: | 韓国国民が受ける意味も考慮しなければならない。( 慮武鉉 ) |
答: | 韓国は戦時中、日本の一部であって、たくさんの方が特攻隊にも志願して亡くなりました。 その人たちも靖国神社に入っています ので、それを考慮してください。 |
Q83: | 中国、韓国しか非難していないじゃないかという認識ならば、国際情勢を読み誤っている。 シンガポー ルの首相も批判している。( 辻元清美 ) |
答: | シンガポールの首相は華僑なので、そちらからの情報でそう言ったのかもしれません が、シンガポールのシナ人たちは本当は日本に感謝すべきです。 イギリス人、ノエル・バーバーの 『 不吉な黄昏シンガポール陥落の記録 』 ( 中公文庫 )にも、日本が来る前のシンガポールでいかにシナ人がイギリス人に虐げられていたか が書いてあります。 今、一人前の顔ができるのは、日本がマレー沖でプリンス・オブ・ウェールズとレパルスを沈め、イギリス極乗車司令官パーシバルを無条件降伏させたからです。 |
Q84: | 靖国問題に対する米国政府や主要マスコミの視線は厳しい。 靖国は中韓にとどまらす日米関係にも問題を及ぼす恐れがある 「 パンドラの箱 」 だ。( 姜尚中 ) |
答: | 嘘八百です。 アメリカはそんなことを言ってはいません。 アメリカ下院国際関係委員長のヘンリー・ハイド議員が 「私は( 小泉 )首相の( 靖国 )神社参拝に強く反対しているわけではない( つまり反対ではない )」 と明言しているのを TBSの筑紫哲也氏の番組 が正反対の意味に 「誤訳」 しました。 「参拝に強く反対だ」 と訳した。 TBSはその後 「訂正」 を流しました。 こういうものに踊らされてはいけません。 学者ならすぐに訂正すべきです。 |
Q85: | 中国は日本の経済協力を必要としているし、将来にわたって友好的な関係を発展させたい。 しかし、首 相の靖国参拝がネックになっている。( 胡錦濤 ) |
答: | それだけ 経済協力や日本の技術が必要ならば、そもそも首相の靖国参拝を問題にしなければいい のではないですか。 それくらい、気を遣うべきは中国でしょう。 経済や技術協力をしなくても日本は少しも困らない。 |
Q86: | 靖国神社に参拝した後に 「 中国・韓国等アジア諸国とひざを交えて対話をしたい 」 と言われても、不 信は深まるばかりだ。( 土井たか子 ) |
答: | 友好条約を結んでいる国ですから、長い間、問題なくやってきました。 韓国が朝鮮戦争後立ち直ったのは、ほとんどが日本のおかげ だと言ってもいい。 それを今になって対話もできなくなったというのはおかしい。 『 土井たかこ 』 は 『 李高順 』 という名を持っているという資料があります。 いったいどちらの立場でものを言っているのか明確にしてほしい。 |
Q87: | ( 北朝鮮ミサイル批判に関して国連憲章第7章を明記できなかったことについて )中国ときちんと話が できない。 大きな原因が靖国問題だ。( 山崎拓 元自民党副総裁 ) |
答: | 仮に小泉さんが参拝をやめ、靖国問題が解決していたからといって、中国が北朝鮮のミサイルをめぐる国連憲章7条に賛成する保障など全く無い。 そもそも中国は蒋介石の後に居座っただけで敗戦利得者そのものなのです。 まだ総選挙もできない国が、安全保障理事会の常任理事国 という、株式会社で言えば代表権を持った重役のような重要なポストにいるべきでないのです。 |
Q88: | 日本が発動した対外侵略戦争の歴史問題を正しく認識することが、両国関係の健全かつ安定した発展に とって重要な政治的基礎だ。( 曾慶紅 国家副主席 ) |
答: | 日本が侵略戦争を行ったということを言っているのは東京裁判だけ です。 その東京裁判はマッカーサーの権威だけで行われました。 その マッカーサーがそれを取り消した ことをもう一度繰り返して言います。 そして 東京裁判の唯一の国際法の専門家であったパル判事は、全員無罪にしています。 その判決文を読んでください。 |
Q89: | 分祀するのが一番いいが、時間がかかる。 ならば参拝をやめるのも1つの立派な決断だ。( 中曽根康弘 ) |
答: | 首相時代にわざわざ懇談会や研究会を開いて 「政教分離ではない」 という結論を出して いながら、自分の中国の友人の立場を悪くしないために参拝をやめたような情けない女々しい男 が 今更何を言っている のでしょうか。 |
Q90: | 政府は首相その他の国務大臣がその資格で参拝することは、憲法20条第3項との関係で問題があると の立場で一貫している。( 宮澤喜一 元総理 ) |
答: | 宗教と政治の関係で言えば、ある宗教をたてにとって他の宗教を迫害するか、逆に特定の宗教を強制すれば政教分離違反になる。 しかしそれ以外の宗教行為は政教分離には反しません。 首相が靖国参拝をしたからといって、国民にも参拝を強要しているわけではないですから、政教分離違反とはお門違い です。 |
Q91: | A級戦犯を分祀し、靖国は宗教法人格を外して純粋な特殊法人とすべきだ。( 野中広務 元官房長官 ) |
答: | 神道では分祀は不可能だということくらい、日本のりーダーには知っておいてもらいたい。 宗教法人格を外すと言っていますが、それこそ政治の宗教介入です。 |
Q92: | A級戦犯分祀を念頭に、慰霊対象者は国会審議で議論を尽くし、決断すべきもの。( 麻生太郎 外務大臣 ) |
答: | 麻生までが分祀と言っていることが嘆かわしい。 分祀は神道的に不可能です。 分霊なら可能ですが、それは小型の靖国神社があちこちに出来ることになるだけです。 日本中に八幡神社がありますが、宇佐八幡宮が大元で、それを方々に分社、分霊しているのであって、鶴岡八幡宮ができたからといって宇佐八幡宮の霊が減るわけではありません。 国会審議で議論など尽くす必要はない。 結論ははじめから出ています。 |
Q93: | 分祀はできない、というのは真っ向から国際社会と対決することになる。( 加藤紘一 ) |
答: | 国際社会は決して宗教問題には立ち入らないはずなのであって、国際社会と対決することになるなどと言っている 加藤は無知なのです。 加藤の言う国際社会とは中韓だけ なのでしょう。 |
Q94: | 政教分離を徹底することによって、 「 国家機関 」 としての靖国神社を名実ともに廃止すること。 首相や天皇の参拝など国家と神社の癒着を完全に絶つこと。( 高橋哲哉 ) |
答: | 政教分離を徹底せよと言いますが、そもそも1945年12月15日にGHQが日本に対して発した覚書、神道指令がウエストファリア条約違反 であり、占領軍の占領政策が入り込んできた政治の宗教への干渉です。 靖国神社の名前を廃止しろ、などというのは、宗教干渉の最たるもの です。 明らかに天皇は神道です。 敗戦憲法にすらも統合の象徴とされている。 統合の象徴の宗教は日本の宗教です。 日本の神道というのは教義がない。 だから、他の宗教と相反しないという特徴がある。 これがわからないと、イスラム教やキリスト教の国の場合のような政教分離を考えてしまうわけです。 |
Q95: | 無宗教、政教分離は当然として、憲法9条、つまり武力行使をしないということとセットでなくてはなら ない。( 福島瑞穂 ) |
答: | 靖国神社は宗教ですから、無宗教だと言ってもらっては困ります。 武力行使をしない、というのはそれこそ政治の分野の話で、国のために戦った方への感謝と慰霊は全く別次元の話 です。 また憲法9条自体がナンセンスな条項です。 こんな条項は、宗主国が植民地に与える条項です。 フィリピンがまだアメリカの植民地だった頃に、アメリカがフィリピンに独立を許した場合、こんな憲法でどうだと言った中に似たものがあります。 1日も早く、廃止すべき条項、本来なら独立とともに無くなるべき条項です。 ついでに言っておくと、福島、辻元のような社民党の方は、昔の社会党の系統です。 社会党というのは、日本の独立回復に反対した党です。 サンフランシスコ講和条約に対しては 「単独講和だから」 と言ってインチキ宣伝して反対陣営に回り、吉田茂の切なる誘いにもかかわらず、ついに署名にも参加しなかった。 |
Q96: | 「 第二の靖国 」 の出現を防ぐには、憲法の 「 不戦の誓い 」 を担保する脱軍事化に向けた不断の努力が必要である。( 高橋哲哉 ) |
答: | 「 不戦の誓い 」 はやってはならない。 国というものは個人と同じく、自衛の権利がある。 国のために亡くなった方に対して国民が敬意を払わなければ近代国家は成り立ちません。 靖国神社に行って不戦の誓いをすることなどもってのほかであって、感謝と慰霊をすることが重要 です。 不戦の誓いはやりたい人がどうぞやってください。 |
Q97: | 戦争による犠牲者すべてを慰霊し、不戦の誓いを行う追悼碑を国として建立すること。( 経済同友会 ) |
答: | 不戦の誓いと言いますが、誓ってはいけない。 絶対に戦争をしないというのは宗教団体ではクエーカー( キリスト友会会員 )なんかが言います。 しかしクエーカーでさえ戦争になったら、武器はとらないが、その代わりの仕事はします。 独立国は侵されたら戦って守らなければならない。 日本が戦後、60年にわたって平和であったのは、何も不戦の誓いをしたからでも平和運動をしたからでもない。 アメリカ軍がいたからです。 アメリカ軍がいなければ、1960年代から70年代にかけては、ソ連がポート・トゥ・ボート、港から港へかけて、日本へ上陸することができたはずですし、その準備をしていました。 それをしなかったのはアメリカ軍がいたからです。 この現実を、現実を扱っている経済団体がわからないということは、きっとマネートラップにでもかかっている のでしょう。 |
Q98: | 戦没者追悼の施設としては一宗教法人たる靖国神社よりも干鳥ケ淵戦没者墓苑の方が適切。( 辻元清美 ) |
答: | この人は本当にどうしようもない無知です! 関西の言葉で言うなら “アフォ~” です。 靖国神社は戦死者の霊を祀っているのです。 千鳥ケ淵のほうは、無縁仏の墓地なんです。 墓地と神社は両方あってもいいですが、全く性質の違うもの です。 |
Q99: | 天皇陛下も参拝されない宗教施設が国の唯一の中心的な追悼施設とはいえない。( 山崎拓 ) |
答: | 戦後はずっと参拝されていたものを、外国にとやかく言われるからといって、神道の中心である天皇が神社に参拝できないでいるのは政治の責任です。 うるさく言っているのは中韓だけですが、韓国は中国にくっついているだけですから、要は中国さえ言わなくなれば済む話なのです。 |
Q100: | 天皇メモ( 富田メモ )で分祀論に弾みがつく。( 加藤紘一 ) |
答: | これも加藤は自分の意見が補強されたという気持ちで言っているのでしょうが、間違いです。 日本では他の宗教を攻撃してはなりません。 それは神仏習合以来のルールです。 宗教と政治が喧嘩した例はキリシタンや信長と一向宗の関係などがあげられます。 しかし宗教同士の対決は仏教が伝来したときに少しあったくらいのものです。 そういう国にいて、プロテスタント系の加藤や仏教系の神崎あたりが神社に口を出すのはよほどの注意が必要で、ややもすれば宗派の対立と思われます。 天皇メモについて言えば、メモの真偽について判断する材料を持ちません。 しかし本物だという前提にしても、メモに関する報道を見ていると、その姿勢は朝日新関はじめ加藤たちのダブルスタンダードの典型です。 昭和48年に 「天皇を政治に利用するな」 と言って、増原恵吉防衛庁長官を辞職に追い込んだ。 その彼らが今、富田メモ を 「天皇のお気持ちだから従うべし」 と社説で持ち上げている状況は、恥を知っていたらできることではない。 資料の扱いに関して、社会学者や通常の歴史学者はいい加減な場合が多い。 数年前マックス・ウェーバーの研究で山本七平賞を取った羽入辰郎という学者は、マックスの脚注がどうも俯に落ちず、徹底的に調べてみたところ、引用の間違いや歪曲が多々あったそうです。 マックス・ウェーバーを研究している学者は日本に限らずたくさんいるにもかかわらず、一人もその注釈の原典に当たった人がいないという恐るべき状況だったのです。 そんなことは英語学や独語学では考えられないことです。 もうひとつ例を挙げましょう。 戦後、オックスフォード大学の欽定近代史の専門にトレバー・ローパーという教授がいました。 この人がヒトラーの日記を取り上げて、筆跡鑑定までして、 「 これは本物だ 」 と断定した。 ところがその後、本物の文献学者が研究したら、日記帳の背表紙の糊が戦後発明された糊だったと判明したのです。 今回の富田メモも文献学的研究が必要です。 まず外的証拠、エクスターナル・エビデンスとしては、その原稿がどういう状況で、どういう人が持ち出し、どういう経過で表に出てきたかをできるだけ明らかにしなければならない。 万一作為が入り込む余地があるとすればどこだったのか、そこまで考える必要があります。 また、メモは手帳に糊で貼ってあるようですから、その糊の年代をあきらかにし、さらにインキも写真で見る限り、日記帳のものとは違うようです。 そのインキと同じインキで書いたのは手帳のほかのページではどこに当たるのか、というところまで調べなければならない。 そこまでやれば、仮に昭和天皇がおっしゃったことだとしても、どの時点のご発言だったのかが分かります。 手帳に書いてあれば日付が飛ぶ可能性も少ないのでしょうが、メモはどこにでも貼れるので、余計に調査の必要性が増すでしょう。 インターナル・エビデンス( 内的要因 )は、そこに使われている昭和天皇のお言葉です。 昭和天皇がいつも使われていた言葉とこのメモの言葉を比べると、どうしても同一人物とは思われない。 もし同一人物だと言うならば、相当の錯乱状態であった可能性もあります。 それまでの天皇の言い方と全く違う。 しかも あの手帳を見る限り、 「天皇曰く」 とは書いていない。 誰の発言なのか分からない ということも指摘できます。 また、天皇が 「参拝」 しないとおっしゃられていますが、この言葉は天皇にとっては普通ではありません。 神社に位を与える立場の天皇は、神社よりも偉いのです。 天皇より偉いのは明治神宮や伊勢神宮であり、天皇のご先祖様に当たる神様だけです。 だから 天皇陛下が、いくら国のために亡くなった兵士を祀ってあるからといって、 「参拝」 とは言わない。 実物を見ていないから判断するのはおこがましいが、間接情報だけでもこれだけの疑問がある。 こんなことではしゃいでいる加藤が実に哀れです。 |
一国の政治指導者が、国民を代表して自国の戦没者に対して尊敬と感謝の念を表するのは、どこの国でも当然の義務であり、権利であって、他国がいささかなりとも干渉すべき事柄では断じてない。 その意味で、世論調査の結果、中韓の姿勢に 「 納得できない 」 が67.7%( 納得できるは23.3% )、アメリカの 「 失望 」 表明を 「 納得できない 」 59.2%( 納得できるは31.6% )という数字が報告されているのは、概ね健全な反応と言えよう( 1月4~5日実施、産経新聞社・FNN合同世論調査 )。 しかるに、例によって多くのマスコミは異常と評するほかない論調を掲げた。 新聞では 「 読売 」 「 朝日 」 「 毎日 」 などが批判的論調で足並みを揃えている。 だが、批判の根拠は薄弱だ。 つきつめると、二つだけ。 一つは、憲法に定める 「 政教分離 」 原則との関係。 もう一つは、いわゆる 「 A級戦犯 」 合祀の妥当性をめぐる問題だ。 「 またか 」 である。 たとえば前者について、 「 朝日 」 は 「 国内からは憲法の政教分離原則に反するとの問題も指摘される 」 ( 平成25年12月27日付朝刊 「 信頼の礎 壊しかねない 」 編集委員・前田直人氏 )、 「 2004年の福岡地裁や05年の大阪高裁の判決( いずれも確定 )は、小泉純一郎元首相の参拝を …… 違憲と判断している 」 ( 同3面記事 )などとの記事を載せている。 だが、昭和52年の津地鎮祭訴訟をめぐる最高裁判決以来、すでに判例として確立している 「 目的効果基準 」 に照らせば、首相の靖国参拝が合憲であるのは明らかだ。 参拝の 「 目的 」 は戦没者の慰霊・顕彰と遺族の慰謝であるから、宗教的意義をもたず、その 「 効果 」 も靖国神社への援助、助長や他の宗教への圧迫、干渉にはならないからだ。 現に、小泉首相の靖国参拝について、各地で計8件の訴訟が起こされたものの、すべて原告側の敗訴で確定している。 福岡地裁と大阪高裁でも、もちろん同様だ。 ただし、この2件は 判決の結論とは直接、関係のない 「 傍論 」 で違憲との見解を示していた。 だが、傍論は判例として法的拘束力をもたない。 むしろ、結論とは無関係の傍論を判決中に書き込むことの 「 違法 」 性さえ指摘されている。 28件の訴訟がすべて原告敗訴で確定している事実を隠し、法的効力のない傍論を 「 いずれも確定 」 などと記して、判例として “確定” しているかのように報じるヤリ口は、ほとんど詐欺に近い と言うべきだろう。 |
「 A級戦犯 」 合祀についても各紙は、以下のようにあげつらった。「 首相は参拝後、 『 戦犯を崇拝する行為であると、誤解に基づく批判がある 』 と語ったが、戦争を指導して東京裁判で責任を問われたA級戦犯が1978年に合祀された現実は重い。 それ以降、昭和天皇は靖国神社に参拝しなかった 」 ( 「 朝日 」 前出・前田氏 )一読、あまりの無知と理不尽さに開いた口が塞がらない。 そもそも毎年、終戦記念日に天皇陛下のお出ましを仰ぎ、日本武道館で開催されている政府主催の 「 全国戦没者追悼式 」 でも、いわゆる 「 A級戦犯 」 は追悼対象に加えられている。 にもかかわらず、そのことが 「 すべての問題をこじらせている 」 だの、 「 国際約束を覆す行為 」 だの、 「 戦没者を追悼する場としてふさわしくない 」 だのと、これまでに一度でも批判されたことがあったか。 全国戦没者追悼式は完全にスルーする一方で、靖国神社についてだけ口を極めて非難するのは、恐るべき無知か、そうでなければダブルスタンダードも甚だしいと言わねばならない。 また、 「 朝日 」 は 「 A級戦犯が1978年に合祀された現実は重い 」 と述べる。 だが、たとえばその翌年、当時の大平正芳首相はその頃、普通に行われていたように4月と10月の春秋の例大祭にあわせて2回、参拝している。 その時、中韓をはじめ世界中のどこかの国から抗議を受けた事実を 「 朝日 」 は報じていたのか。 ぜひ自社の縮刷版で点検すべきだ。 あるいは、 「 毎日 」 は 「 国際約束を覆す行為 」 と指弾するなら、その国際約束とはサンフランシスコ講和条約にほかならないので、同条約締結国( 中韓はもちろん含まれない )のなかで、わが国の首相の靖国参拝を 「 約束 」 違反として非難した国が過去に一ヵ国でもあるか、はっきりと明示する責任がある。 事実はむしろ逆だ。 それらの国々を含む世界中の多くの国の大統領・首相・閣僚・軍人・学者・宗教家などが多数、いわゆる 「 A級戦犯 」 合祀後も変わりなく参拝を続けてきたのである。 具体的には、アメリカ・イギリス・ロシア・オーストリア・ポーランド・ルーマニア・フィンランド・ドイツ・イタリア・エジプト・イスラエル・インド・パキスタン・インドネシア・フィリピン・タイ・台湾・アルゼンチン・ブラジル・チリ等々。 もともとサンフランシスコ講和条約での 「 約束 」 ( 第十一条 )とは、軍事裁判での刑の執行について責任を負う以上の制約を受けるものではない。 だから昭和33年に 「 戦犯 」 とされた人々がすべて釈放された時点で、その約束はすべて果たし終えているのだ。 なお、 「 朝日 」 が 「 靖国神社に対する政治家のこだわりが、すべての問題をこじらせている 」 というのも、奇妙な言い方だ。 靖国神社は事実として、戦没者を網羅して恒常的に慰霊と顕彰の祈りを捧げる唯一の国民に開かれた 「 聖地 」 である。 だからこそ、遺族や戦友、さらには戦没者に思いを寄せる多くの国民がこの神社を訪れるのだ。 それ以前に、戦没者自身が 「 死ねば靖国神社に祀られる 」 と信じて亡くなられたのである。 首相が国民を代表して参拝するのならば、靖国神社以外には考えられない。 |
「 読売 」 は 「 靖国参拝が政治問題化した背景には……いわゆる 『 A級戦犯 』 が合祀されていることがある 」 と言う。 もちろん、事実は違う。 合祀以前の昭和50年、三木武夫首相が歴代首相で初めてメディアが注目する終戦記念日に参拝しようとして 「 政教分離 」 違反だと騒ぎになり、この時に 「 政治問題化 」 したのだ。 しかも、その余波があろうことか同年11月の昭和天皇のご親拝にまで及び、それまで戦後だけで7回も何ら問題視されることなく重ねられて来たご親拝が、にわかに国会で論議される事態にまで立ち至った。 これによって、天皇のご親拝はやむなく中断に追い込まれることになった。 したがって、天皇のご親拝はいわゆる 「 A級戦犯 」 合祀によって中断したのではない。 それ以前の時点で、すでにご親拝が至難となる状況が生じていたのだ。 元来、靖国神社への 「 A級戦犯 」 合祀は、国民多数の要望により、軍事裁判による死者も戦死者に準じた扱いを受けられるように、遺族援護法の改正が、国会で全会一致によって可決されたのに基づく。 だから合祀後も靖国神社の春秋の例大祭には、昭和天皇はそれまでどおり勅使のご差遣を続けておられる。 皇族方のご参拝にもまったく変化はない。 第一、中韓が首相の靖国参拝に抗議するようになったこと自体、実は 「 A級戦犯 」 合祀が直接のきっかけではなかった。 それは合祀後、7年間もの歳月が経過し、首相の参拝が20回も続けられたあとだった事実により明らかだ。 両国にとっても、 「 A級戦犯 」 合祀は “後づけ” の理屈でしかない。 かくて、首相の靖国参拝を批判する根拠は、まったく取るに足らない虚妄であることが明らかだ。 ところが、その虚妄の上に立って、靖国神社に代わる 「 新たな追悼施設 」 を作ろうとの提案が、またぞろ出されている。 「 軍人だけでなく、空襲や原爆や地上戦に巻き込まれて亡くなった民間人を含むすべての死者をひとしく悼むための施設を、新たにつくってはどうか。 どんな宗教をもつ人も、外国からの賓客も、わだかまりなく参拝できる追悼施設だ 」 ( 「 朝日 」 前出社説 )ふざけた議論だ。 本気で戦没者を追悼する気持ちがあるとは到底、思えない。 「 誰もがわだかまりなく参拝できる 」 「 無宗教の追悼施設 」 と言われても、戦没者への追悼・慰霊の施設なのに 「 無宗教 」 形式という点に、決定的に 「 わだかまり 」 をもつ人は決して少なくないはずだ。 また、 「 どんな宗教をもつ人も …… わだかまりなく参拝できる 」 “新たな追悼施設” について、 「 朝日 」 は責任をもって美辞麗句以上の具体的なプランを提出できるのか。 ただ 「 靖国神社はイヤだから、それ以外の何か 」 と主張しているだけではないのか。 占領下にカソリックのブルーノ・ビッテル神父らが靖国神社を 「 神道の単なる霊廟ではなく、国民的なモヌメント 」 として熱心に擁護した事実や、実際にこれまで神道・仏教・キリスト教・イスラム教・無宗教などの別なく広く参拝を受け入れてきた事実などから、靖国神社こそ戦没者を心から追悼しようとする 「 どんな宗教をもつ人も …… わだかまりなく参拝できる 」 場と言えるのではないか。 何よりも、戦没者の方々ご本人が 「 靖国で会おう 」 と誓い合って亡くなられているのだ。 それなのに、生者の勝手な政治的思惑で、しかも 中韓のご機嫌を伺うために、靖国神社に代わる官製施設を作ろうなどとは、死者に対してこれ以上の冒涜はないだろう。 そんな 中韓への政治的屈服の記念物以外の何ものでもないような施設 に一体、誰が好き好んで参拝するというのか。 「 読売 」 は 「 無宗教の国立追悼施設 」 を提唱する一方、 「 首相は …… 千鳥ヶ淵戦没者墓苑に参るべきではなかったか 」 とも言う。 こうなると、 “靖国神社でなければどこでもOK” と言っているようにしか聞こえない。 だが、千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、全戦没者を象徴するいわゆる 「 無名戦死の墓 」 とはまったく性格が異なる。 身元の判明しない戦死者、遺骨の引き取り手のいない戦死者の遺骨だけを納める施設である。 よって、首相がここだけに参ることは、圧倒的多数の戦没者をあえて無視し、偶然に氏名不詳となったごく一部の戦没者だけを特別扱いする不公平を犯すことになる。 「 読売 」 の社説の書き手は、自分が何を主張しているか分かっているのか。 |
このたびの安倍首相の参拝をめぐって特に注目すべき点の一つは、中韓の抗議が予想よりも遙かに 「 静か 」 だったことである。 中国の反応は、尖閣諸島の国有化を決めた時( 平成24年 )に各地でデモが起こり、手のつけられない暴動にまで発展したのとはまったく異なり、平穏そのものだった。 口先では 「 国際的な正義を公然と挑発するものだ 」 ( 王毅外相 ) 「 日本は、これ( 靖国参拝 )が引き起こす、あらゆる結果を引き受けなければならない 」 ( 国防省の耿雁生報道官 )などと過激なことを言っても、日本にダメージを与える実効性のある具体的な対抗策を何ら取れなかった。 「 朝日 」 は、尖閣国有化の時に湖南省で日系デパートが放火されて燃えあがる写真をカラーで載せ、 「 日本にとって、中国は最大の貿易相手国だ 」 などと中国側の経済制裁をほのめかすような記事を書いたものの、完全な空振りに終わった。 反日暴動や経済制裁はかえって自らの首を締めるだけであることに、中国もようやく気づき始めたのだ。 打つ手がないので諸外国に連携を求めようとしているものの、これまでのところ成功していない。 韓国さえも距離をとろうとする始末だ。 そこでやむなく、 「 安倍個人 」 への批判に絞り込んで何とかメンツを保とうとしているように見える。 “反靖国疲れ” とでも呼ぶべき現象が浮上しているのだ。 その傾向は、韓国のほうがより顕著だろう。 昨年12月31日の中韓外相の電話会談の内容について、両国の発表がまったく食い違っていた事実が、その何よりの証左だ。 中国側の発表では、中国の王毅外相が 「 中韓は安倍首相の行為を厳しく非難した。 われわれの反応は正当だ 」 と発言したのに対し、韓国の尹炳世外相も 「 参拝に反対する韓国政府の厳しい立場 」 を表明したはずだった。 ところが韓国側の発表では、 「 最近の北東アジア情勢など関心事を協議した 」 と述べるに留まり、安倍首相の靖国参拝に関しては一切、具体的な言及がない。 そのことは、朴槿惠大統領のこれまでの発言でも同様だ。 一般的な歴史問題への非難は行っても、具体的に靖国参拝に踏み込んだ攻撃はない。 「 靖国参拝 」 が問題として拡大することを避けようとしているとしか考えられない。 たとえ安倍首相の靖国参拝があったとしても、これ以上、日本との関係を悪化させては、韓国自身の国益を大きく損なう、との判断が強く働いているようだ。 とても中国なんかと歩調を合わせていられないということだ。 そもそも、韓国が靖国参拝を批判する理由が分からない。 靖国神社に合祀されている 「 戦犯 」 は、誰も韓国併合とは何の関係もない。 しかも、日本と韓国( 朝鮮 )が戦争した事実もない。 むしろ大東亜戦争では、朝鮮半島出身の多くの若者が自ら志願して日本軍人となった。 そのなかで戦死した人々は、靖国神社で差別なく丁重に祀られている。 日本の首相はそれらの方々の御霊にも、分け隔てなく慰霊と顕彰の祈りを捧げているのだ。 韓国における靖国参拝批判は、それらの死者の心情を踏みにじる振る舞いだ。 |
韓国の世宗研究所日本研究センター長の陳昌洙氏は靖国参拝について、こんな批判をしている。「 境内にある 『 遊就館 』 を見れば、靖国神社が日本の帝国主義を美化していることは明らかで、戦犯もまつられている。 そこに首相が参拝すれば、韓国では日本が植民地支配を反省していないことの象徴と映る 」 ( 「 朝日 」 昨年12月28日付朝刊 )陳氏は、本当に遊就館の展示を見たことがあるのか。 一体、どの展示が 「 日本の帝国主義を美化 」 していると言うのだろうか。 「 美化 」 以前に、そもそも事実と異なる展示がどこにあるのか。 もしあると言うなら、具体的に指摘してみせるべきだ。 また、神社で付属の展示施設を備えているのは靖国神社に限らない。 たとえば、首相が正月に参拝するのが恒例となっている伊勢の神宮にも、付属の博物館が複数ある。 だからと言って、それらの博物館の展示にある神話の理解や歴史の見方などが、そのまま首相によって公認されたと考えるべきでないのは自明だろう。 さらに、陳氏は韓国とは無縁であるはずの 「 戦犯もまつられている 」 と問題視する。 だが、いわゆる 「 戦犯 」 ( ABC級 )、正確には軍事裁判関係死没者の合祀は、昭和34年から始まって同53年に終わっている。 この間、韓国がそのことを問題視したという事実はない。 昭和60年に中国が騒ぎ出して以降、その尻馬に乗って抗議の声をあげ始めた という経緯に照らして、氏の言い分は説得力をもたない。 しかも先に述べたように、これまでに諸外国の要人が多数、靖国神社に参拝している。 これらも 「 日本の植民地支配 」 を正当化する行為なのか。 こんなレベルの低い作文を、そっくりそのまま多くの紙面を割いて掲載した 「 朝日 」 の寛大さ( ! )には頭が下がる。 陳氏には、もう少し熱を入れて正確な 「 日本研究 」 に打ち込まれることをお勧めする。 しかもどうやら陳氏の意見は、韓国内でもあまり相手にされていないようだ。 というのも、韓国の 「 中央日報 」 中国語版サイトが報じたところでは、安倍首相の靖国参拝後の世論調査でも日本との 「 協力 」 を重視する意見が断然、多数を占めているからだ。 具体的な数字としては、日韓の安全保障をめぐる協力が必要との回答が63.9%だったのに対し、反対の回答は37.3%に留まった。 そのうえ、日韓の関係改善に朴大統領が積極的に取り組むべきとの回答も57.8%に達している( 反対は33.8% )。 日韓首脳会談の実現についても賛成が49.5%で、反対の40.7%を上回った。 こうした民意の動向を見れば、韓国政府が声高に靖国参拝を非難できないのも当然だろう。 |
中韓両国については、反靖国の動きは峠を越えつつあるように見える。 だがその一方で気になるのは、アメリカやEUなどのこれまでにない反応だ。 もちろん、アメリカもEUもいまのところ、靖国神社への参拝という行為それ自体を 「 悪 」 と見るような立場に与しているわけではない。 戦没者に対してどのような追悼の仕方をするかはそれぞれの国の自由であって、それに対して他国があれこれ干渉すべきではないという、中韓にはない成熟した意識があるからだ。 ただ、その行為が近隣の国々との関係を悪化させるのであれば望ましくない ── という態度である。 しかしアメリカについて言えば、このたびの 「 失望 」 表明は、明らかに失策であった。 アメリカ自身は、東アジアの安定を望んで今回の表明を行ったはずだ。 だが、アメリカの表明は中韓の理不尽な靖国参拝攻撃を勢いづかせることで、逆にこの地域をより不安定化する結果にがる。 このことは、親米派の重鎮と見られている岡崎久彦氏が 「 日米関係だけでなく、日中、日韓の関係悪化に拍車をかけるだけで、その改善に何ら役立たない。 …… 今回の米国のコメントは米外交の faux pas( 踏み誤ったステップ )であった 」 ( 「 産経 」 1月13日付 「 正論 」 )と断じられたとおりだろう。 ただし、それをアメリカの単純なケアレスミスと見ることはできない。 「 faux pas 」 の背景には、二つの構造的要因があったと考えなければならない。 一つは、アメリカの威信の低下と中国の 「 擡頭 」 である。 アメリカは昨年、国際社会に醜態を晒す場面が相次いだ。 シリアに対し、オバマ大統領は 「 化学兵器を使用すればレッドライン( 越えてはならない一線 )を越えたと見なす 」 と厳しく言明していた。 にもかかわらず、実際に化学兵器が用いられてもロシアの提案に応じて軍事介入を断念し、その言行不一致ぶりを世界に見せつけてしまう。 その結果、中東で最大のパートナーだったサウジアラビアの信頼も失った。 内政面でも、議会で与野党が予算で合意できず、16日間にわたって連邦政府機関の一部閉鎖を余儀なくされた。 そうした内政のゴタゴタの煽りを受けて、TPP( 環太平洋戦略的経済連携協定 )やAPEC( アジア太平洋経済協力会議 )の会議に大統領が参加できず、アメリカの 「 弱み 」 を一層、印象づけた。 それらに加えて、元CIA職員のエドワード・スノーデンが国家安全保障局( NSA )の大がかりな盗聴を暴露。 国内の怒りを買ったのはもとより、多くの国々との信頼関係に傷がついた。 アメリカの地盤沈下は著しい。 その一方で、中国の軍事的・経済的な強大化は決して侮れない。 もちろん、だからと言ってアメリカがこのまま衰退してしまうとか、中国がすんなり 「 一人勝ち 」 状態になってしまうと考える必要はおそらくないだろう。 しかしそうであっても、日本は東アジアにおける米中の均衡が望ましくない方向で変化する可能性を常に念頭に置きつつ、自らの力と才覚で 「 筋を通す 」 覚悟と万全の準備が求められているのを、リアルに自覚する必要がある。 もう一つの要因は何か。 いまさら言うまでもないことながら、東西冷戦がとっくに終焉しているということだ。 これは、アメリカにとって日本がもはや絶対に死守すべき国ではなくなっていることを意味する。 日米同盟は維持されていても、その性格がはっきりと変わっているのだ。 日本がアメリカに対してかつてもっていた死活的な重要性は、すでに失われている。 だからこそ、首相の靖国参拝という 「 米大統領のアーリントン墓地訪問と同じく当然のこととして定期的に行われる 」 ( 岡崎氏 )べき行為に対して、 “失望” を表明するという faux pas も生じることになるのだ。 これは実は、ヨーロッパでの反応も考え合わせて、一般に想像されている以上に厄介な事態への “入り口” になりかねない。 東西冷戦の終焉が日本に与えるデメリットは、 アメリカにとっての重要性の大幅な低下だけに留まらない。 より危険なのは、東西対立によってしばらく見えにくくなっていた 「 もう一つの対立 」 が再浮上しかねないことだ。 それは、第二次世界大戦における戦勝国( 連合国 )と敗戦国( 枢軸国 )の対立である。 中国はすでに、その対立図式を戦略的に再浮上させようと手を打ち始めている。 |
もともと戦後の国際秩序を規定するはずだったのは、この戦勝国 ─ 敗戦国の対立構図である。 戦勝国は 「 正義 」 と 「 平和 」 を重んじる民主勢力であり、 「 侵略 」 的で 「 好戦 」 的なファシズム勢力だった敗戦国を打ち破った。 こうした見方( 東京裁判史観 = 連合国史観 )が、戦後世界のスタート時点の主流をなすイデオロギーに他ならない。 このイデオロギーに立脚して誕生した国際組織が国連( ユナイテッド・ネーションズ = 連合国 )である。 そうであれば、その憲章で日本が 「 敵国 」 と見なされ( 第五十三・百七条 )、差別的待遇を与えられるのは当然だった。 一方、勝者によって強制された日本国憲法では、戦勝国はその前文で 「 平和を愛する諸国民 」 と呼ばれ、逆に日本は自らの 「 安全と生存 」 をそれらの国々の 「 公正と信義に信頼して 」 全面的に委ねることとし、 「 陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない 」 ( 第九条 )と約束させられた。 ところが、 「 平和を愛する諸国民 」 がたちまち西( 資本主義陣営 )と東( 社会主義陣営 )に分裂して冷戦に突入したため、戦勝国 ─ 敗戦国の対立図式は一旦、後景に退いた。 国連は、一番重要な安全保障についてまったく機能不全に陥る。 日本に関しては日米安保条約が締結される一方、 「 戦力 」 未満の自衛隊が発足することになった。 だが注意すべきは、それによって戦勝国 ─ 敗戦国の対立図式がすっかり解消したのではない、ということだ。 サンフランシスコ講和条約には、通例に反して独立回復後も 「 戦犯 」 受刑者の刑の執行継続を義務づける条文( 第十一条 )が加えられた。 日米安保条約に基づく在日米軍についても、日本の再 「 軍国主義 」 化を抑止するための “ビンの蓋” であるとの性格づけが根強くある( ヘンリー・キッシンジャーほか )。 さらに国連憲章の 「 敵国 」 条項を削除することに対し、こんな反対論も残っている。 「 敵国条項の削除は日本の過去の侵略行為が許されたという明確な象徴ともなりうる 」 ( ラインハルト・ドリフテ 『 国連安保理と日本 』 ) 東西冷戦時代、本来、国際的 「 戦後レジーム 」 を支えるべき戦勝国 ─ 敗戦国の対立図式は後景に退きつつも、厳然と存続していた。 だから日本は、自らが 「 西側の一員 」 に位置づけられていたこの時期に、果たすべき役割は積極的に果たしつつ、一方で主張すべきことは冷静かつ丁寧に繰り返し主張して、戦勝国 ─ 敗戦国の対立図式を完全に 「 過去のもの 」 にする努力を怠るべきではなかった。 そうすれば冷戦終了後の世界で、日本の国力と実績にふさわしい地位を約束されたはずだ。 だが、現実はそうではなかった。 東京裁判史観が国際社会から一掃されるどころか、国内にも頑強に根を張っていることは、今回の安倍首相の靖国参拝に対する多くのマスコミの反応を見ても明らかだ。 |
そこで、国内マスコミの一時的な喧噪などとは比較にならない深刻さをもつのは、いまだ清算されていない東京裁判史観に基づく国際秩序観が、今回の靖国参拝に引き出される形で大きな影響を回復する兆しがあることだ。 具体的に指摘しておこう。 アメリカ下院外交委員会の元首席補佐官デニス・ハルピンは、靖国参拝は真珠湾攻撃を指示した東條英機らを崇めるに等しい行為で、真珠湾攻撃は9・11テロに次いで米本土に甚大な被害をもたらした奇襲攻撃だから、東條を崇めるのはウサマ・ビンラディンを崇めるのに等しいとまで非難したらしい。 これについて、米戦略国際問題研究所のJ・バーク・ミラー研究員は 「 あまりにも極端で奇妙な批判 」 とコメントしているので、まだ一般的な見解ではないのだろう。 だが、十分な警戒は必要だ。 イギリスではBBC( 電子版 )が、安倍首相が 「 靖国第二次大戦神社を参拝した 」 との見出しで報じていた。 無知丸出しで、かつ悪意ある表現ながら、まさに東京裁判史観の端的な露呈として注意すべきシグナルだろう。 春香クリスティーンというタレントが、靖国参拝を海外では 「 ヒトラーの墓参り 」 のようなものとの受け止め方があると発言して、国内で激しい非難を浴びた。 しかし油断していると、実際にそうした見方がいつの間にか動かしがたい世界の大勢になってしまう可能性は十分、ある。 中国はいち早く、それを狙って動き始めている。 国際社会では、はっきり反論しなければ同意したものと見なされる。 「 南京大虐殺 」 も 「 “従軍” 慰安婦 = 性奴隷 」 との見方も、国内では完膚なきまでに論破され尽くしていても、海外では自明の事実と見られている。 政府が明確に反論せず、むしろ認めるような態度を取ってきたからだ。 靖国参拝についてもいま、しっかり日本の立場を主張しなければ、 「 靖国参拝 ≒ ヒトラーの墓参り 」 「 靖国参拝 ≒ ビンラディン尊崇 」 などといった荒唐無稽な認識が、国際常識として定着してしまう危険性がある。 だが、ここでくれぐれも注意すべきなのは、そうした日本からの 「 主張 」 には、必ず靖国参拝の継続という裏づけがなければならないということだ。 一旦、参拝を中断し、海外に説明して理解を得たうえで参拝を再開すればよい ── などと決して考えてはならない。 なぜなら、この局面で参拝を中断すれば、海外からは 「 靖国参拝 = 悪 」 ということを日本の首相自身が認めたとしか見えないからだ。 「 悪いこと 」 だから中断した。 そうでなければ中断する理由などないはずだ、と。 それはそのまま、 「 靖国参拝 ≒ ヒトラーの墓参り 」 との見方を勢いづかせることになる。 あるいは中断という形で、いつでも中韓に譲歩できる事案との間違ったメッセージを発信することにもなる。 だから、一時は海外からの風圧は強くなるかもしれないが、参拝そのものは粛々と継続しながら丹念に根気強く参拝の主旨を広く伝えていく努力を積み重ねるべきだ。 幸い、中韓には “反靖国疲れ” の気配が見えている。 |
振り返ってみると、靖国参拝は中断すればするほど事態の悪化を招いてきた。 中曽根康弘首相が初めて中断した結果、小泉首相が参拝を再開した時は、中韓からより強烈な外圧がかかることになった。 さらに第一次安倍政権で再び中断したために、アメリカやヨーロッパにまでネガティブな反応が広まりかねない局面を迎えた。 国内でも参拝中断が続くと、それが “常態” であるかのような錯覚が生まれ、やがてそのまま定着してしまう。 すでに今回の参拝についても、世論調査で 「 評価しない 」 が53%にも達している( 前出産経・FNN合同調査 )。 明らかに “危険水域” に入りつつある。 ここが踏ん張りどころだ。 靖国参拝をめぐる最大の岐路に立たされていると言ってもよい。 ここで中断すれば、おそらくその再開はほとんど不可能になろう。 海外からは、やっぱり靖国参拝は 「 ヒトラーの墓参り 」 に等しかったと見られてしまう。 国内でも、無理をして事を荒立てるほどのことではないとの見方が “常識” 化する。 逆に、参拝を続けて一時は苦境に陥っても、勇気を奮い、知恵を絞って難局を突破すれば、靖国参拝をめぐる昭和60年以来の不正常状態に最終的なピリオドを打つことができる。 さらに 「 戦後レジーム 」 からの脱却に向けて、真実の一歩を踏み出すことにもなる。 戦没者なんか忘れてしまえばいい。 首相の参拝が永遠に行われなくなっても( そうすれば当然、天皇陛下のご親拝も無限に遠ざかる )それでいい、と考えるのなら別だ。 そうでなければ、安倍首相に参拝中断という選択肢はないはずだ。 4月には、靖国神社の春の例大祭が行われる。 この時の安倍首相の決断が何より大切になろう。 |