そこに、朝日新聞が日本メディアとして「挺身隊としてだまされ連行」と書いた。韓国がこれを強制連行の根拠して飛びついたのはいうまでもない。
富山県の軍需工場に教え子の女子小学生を勤労奉仕に出した日本人先生が、教え子を案じている話を聞きつけた韓国メディアが、『小学生も挺身隊に』『12歳の小学生が戦場で性的玩具にされた』と書き立てた。誤解は一気に拡大して『天と人が憤怒する日帝の蛮行』『人面獣心だ』(東亜日報社説)と世論は沸騰、植村氏の挺身隊連行の誤報は反日の火に油をそそぐことになった。
金さんが貧困の不遇な境遇から慰安婦にさせられた経緯は、金さんが名乗り出た91−92年当時に明らかだった。また植村氏はその後も金さんの記事を書いたが、挺身隊連行の誤報は正さず、身売りの話も一切、書かなかった。
今回の朝日の特集では、すでに退社している植村氏に事情を聴いているが、「テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」「意図的に触れなかったわけではない」との弁明だけを載せた。また、「韓国で慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏も誤用した」と釈明したものの、大きな波紋を呼んだ誤報とは認めず、これまで放置してきた理由も書かなかった。
■大阪社会部記者、植村氏はなぜ、ソウルに飛んだのか? 義母は元慰安婦の賠償請求訴訟の原告団体の幹部だった
金学順さんは、植村氏の記事が掲載された91年末に来日、日本政府を相手とする戦後補償を求める裁判を起こし、日本全国で講演活動も行っている。金さんら元慰安婦を支援し、この裁判の原告となったのが、韓国の戦争被害者支援団体「太平洋戦争被害者遺族会」(遺族会)である。そして、「遺族会」の幹部、梁順任さんは植村氏の義母、つまり夫人の母なのである。
裁判の訴状にも、金さんは生い立ちについて『14歳からキーセン学校に通い、17歳で養父に連れられ中国に渡った』と書いた。植村氏が金さんの事情を知らないわけがない。しかし、誤報は訂正されなかった。