機密の潜水艦内写真、肌身に 滋賀・草津の旧海軍機関兵
太平洋戦争末期に旧日本海軍の潜水艦「呂50」の機関兵だった滋賀県草津市上笠4丁目の小山敏男さん(90)が、艦内で撮影された写真を保存している。8月15日の終戦直前に沖縄に向けて出撃した小山さんは「命令が数日早ければどうなっていたか」と平和のありがたさをかみしめている。
写真は、潜望鏡をのぞく艦長の周囲で、乗員たちが所狭しと並ぶ計器類をチェックしている。上官からもらったが「重要機密の艦内で、誰が何の目的で撮ったか分からない」。防衛省防衛研究所や広島県呉市の市海事歴史科学館(大和ミュージアム)によると、潜水艦内部、とくに中型の呂型の写真は珍しいという。
18隻あった同型艦のうち、当時残っていたのは呂50のみ。舞鶴港からの出撃は「14日か15日だった」というが、国内で確保できる燃料では足らず、補給で立ち寄った中国・大連で終戦を知ったという。小山さんは「多くの同僚が『国のために』と死んだ。自由に暮らせる平和が一番」と話す。
【 2014年08月15日 14時30分 】