論説委員・加戸靖史
2014年8月16日00時22分
「福島」が消えた。
原爆投下から69年の今月6日、広島市の松井一実市長(61)が読み上げた平和宣言は、東京電力福島第一原発事故に触れなかった。
昨年まで過去3回の宣言は事故に言及し、エネルギー政策の見直しを国に迫った。なぜ今年はないのか。事前の記者会見で尋ねると松井氏は言った。「原発の依存度を減らし、安全性を確保できれば再稼働するという方向が出ている」
安倍政権は、原子力規制委員会の基準に適合した原発は再稼働する方針だ。産業界は歓迎し、九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)が第1号になるとみられる。そうした中での発言だった。
核と人間の関係はいかにあるべきか。事故の直後から多くの人々が問い始めた。広島、長崎、ビキニと3度も核の被害を受けた日本で、核の「平和利用」として生まれた原発が被害をもたらしたことをどう考えるべきなのか、と。
松井氏は、原発事故が起きた2011年の平和宣言では「『核と人類は共存できない』との思いから脱原発を主張する人々がいる」と語った。人々が抱いていた疑問を代弁していた。
原発事故から3年5カ月たった今も、12万人以上の福島県民が家に帰れないでいる。多くの人々が暮らしを破壊され、放射線の恐怖は消えない。
被爆地が訴えてきた核軍縮も停滞気味だ。米ロ関係は冷え込み、中国は核の近代化を進め、北朝鮮は核実験を繰り返す。新興国で原発ブームが起き、日本も輸出に前のめりだが、核拡散の懸念はぬぐえない。
壁のような現実を前に、被爆地が立ちすくんでいるかのように見える。
「それでいいはずがない」と森滝春子さん(75)は考える。「核と人類は共存できない」という思想を75年に打ち出した哲学者・森滝市郎(1901~94)の次女だ。
原爆で右目を失った父は戦後、原水爆禁止運動の先頭に立った。豪州のウラン鉱山で働く同胞の被曝(ひばく)の危険性を訴えた、先住民の女性との出会いが、核の「絶対否定」を確信させた。
父の没後、反核運動に入った。核兵器だけでなく、ウラン鉱山や劣化ウラン弾といった被害にも目を向けた。ただ、原発の問題には力を入れてこなかった。結果として、新たな核の被害が生まれた。「私は加害者側にいた」との悔いが胸を離れない。
事故後、何度も被災地を訪ねた。旧警戒区域で牛の放牧を続ける男性は「原発がなくならない限り、救われない」と語った。自分たちが問われていると感じた。
人類がこれ以上核に脅かされないためにと、春子さんは言った。「核兵器も原発も根は一つ。そう考えていかなければ」(論説委員・加戸靖史)
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