社会保険労務士として日々実務を行っていると、逆に社員数10人未満の会社では、法的義務がないという認識からか、就業規則の作成に消極的な会社が多いと感じる。
ところが、これは非常に残念なことである。本来、就業規則は法律に定めがあるからイヤイヤ作るものではなく、会社をコントロールするための経営者の武器であり、また会社を守るための防具でもあるのだ。社員数に関わらず、就業規則があることによって会社が享受できるメリットは計り知れない。
本稿においては、就業規則を作成することによって得られるメリットを、逆に就業規則を作成しなかった場合に生じてしまうリスクにも触れながら説明したい。細かいことを挙げれば枚挙にいとまがないので、代表的な4つのメリットに絞って説明することとする。
なお、経営者以外の方も、本稿を参考にしてぜひ自社の就業規則をチェックしてみてほしい。
■長期欠勤者の退職に関するトラブルを防ぐ
就業規則を作成する第1のメリットは、私傷病や精神疾患等によって長期欠勤に陥った社員をトラブルなく退職させられるということである。
就業規則において、長期欠勤時の会社の対応が定められていれば、それは労働契約の一部となる。すなわち、実際に長期欠勤が発生した場合、就業規則に定められた手順に従って休職をさせた上、休職期間が満了しても復職ができない場合には、契約上当然に自然退職扱いにできるということである。
就業規則に定める文言を工夫すれば、出勤と欠勤を繰り返す社員や、心身が安定しておらず出社をしても労務の提供が不完全な社員についても、同様に上記の「休職→退職」の流れに乗せることができる。
逆に就業規則がなかった場合は、退職のタイミングや復職の可否を巡って労働者と使用者の間で争いが生じ、最悪の場合には不当解雇訴訟に発展する恐れさえ生じる。もしこの不当解雇訴訟で会社が敗訴した場合には、数年分の賃金補償を行わなければならないケースもありうるのだ。
また、社員が欠勤している間も社会保険料の支払は引き続き必要なので、解雇ないし退職が確定するまでは延々と保険料の負担が積み重なるし、復職するかしないかあいまいな状態のままでは、後任者を採用することも難しい。
これらの点も、休職期間満了で自然退職となれば、直ちに社会保険料の支払はストップし、後任者の採用も計画的に行うことができる。
■最低限の道義的配慮さえ欠く身勝手な退職を防ぐ
就業規則を作成する第2のメリットは、身勝手な自己都合退職の抑止である。身勝手な退職とは、突然退職を申し出て、最低限の引継ぎも行わないような場合のことを指す。
一般的にはあまり意識されていないかもしれないが、自己都合退職には、「合意退職」と「辞職」の2種類があることをご存知だろうか。
合意退職とは、社員からの退職の申出に対して、社員と会社で退職日を調整し、双方が合意をしてはじめて成立するタイプの自己都合退職である。
一方、辞職とは、法律上の権利として一方的に社員が申出ることによって成立するタイプの自己都合退職である。例えば、時給制で契約している社員ならば、辞職の申出から14日経過後に、法律上当然に辞職が成立する。
会社としては、後任者の採用や引継ぎの手間を考えると、2ヶ月くらい前には退職の申出をしてほしいと考えるであろう。したがって、会社にとっては社員が辞職ではなく合意退職の形で退職してくれることが望ましい。
この点、辞職は法律上の権利なので、就業規則を作成しても排除はできないが、就業規則を作成する際、同じ自己都合退職でも、合意退職者と辞職者の退職条件を差別化することで合意退職へ誘導することができる。
具体的に言えば、退職金のある会社ならば、同じ自己都合退職でも、合意退職者よりも辞職者の退職金を少なくするのである。退職金がない会社の場合は、退職時点で残っている有給休暇を合意退職者は買取るが、辞職者は買取らないといったような形で退職条件に差を持たせることができる。
また、合意退職であれ辞職であれ、引継ぎを行わない場合、懲戒処分を行うという規定や、退職金を減額するという規定を置くことも効果的である。これらの措置は、引継ぎのことに全く配慮をせず、退職の申出と同時に有給消化だけで頭がいっぱいになるような者に対する強力な牽制になるのだ。
さらには、「退職時の最後の賃金及び退職金は、会社の判断により手渡しで支給する場合がある」という規定も就業規則に入れておきたい。電話やメールで一方的に退職の意思を告げて、以後の出社に応じない社員や、会社からの貸与物を返却しない社員を、賃金や退職金を「人質」にして半強制的に出社させるためのテクニックである。
■就業規則がなければ懲戒処分はできない
就業規則を作成する第3のメリットは、懲戒処分である。
社員が不正行為を行った場合や勤務態度が不誠実な場合、懲戒処分を行いたいと考えるのが通常の経営者であるが、法律に違反しなければ刑罰を課せないのと同様、就業規則に違反しなければ懲戒処分はできない。すなわち、就業規則がない会社は、法的には始末書を書かせることさえもできないのだ。
始末書はまだよいが、就業規則がないまま懲戒処分を行った場合に実務上問題となるのは、減給の制裁や降格処分を行って賃金をカットした場合である。処分された社員から、就業規則の根拠なく行われたこれらの処分は無効として、未払い賃金の差額精算を求められる可能性がある。同様に、懲戒解雇を行った場合も不当解雇となる恐れがある。
また、就業規則に懲戒規定を定めることのメリットを別の角度から見ると、「こういうことをしてはならない」という経営者の考えを反映させることで、社員に対する意識付けにもつながるということが言える。
私自身が実務家としてこれまで就業規則を納品させて頂いた会社様においても、私は経営者様の価値観を反映させた懲戒規定を作成するよう心がけてきた。例えば、無事故が何よりも大切な運送業の会社様では交通違反に関しては「公私を問わず」厳正に処罰することとし、また、若い女性社員も多いIT企業様では母性保護のためにも事業所内を完全禁煙としていたので、事業所内での喫煙が発覚した場合には懲戒処分を課すこととした。
■就業規則で自社に見合った有給休暇日数を付与する
就業規則を作成する第4のメリットは、有給休暇の付与日数を企業規模に見合った日数に(実務上)調整できるということである。
有給休暇は法律上の権利であるから、社員から申出があった場合には原則として取得させなければならない。しかし、社員数名でギリギリ回している零細企業が大企業と同じように有給休暇を気前よく20日も付与することは事実上難しい。
そこで、労使協定を結べば会社が定めた日に5日を超える部分の有給休暇を取得させることができる「有給休暇の計画的付与」という制度を戦略的に活用するのである。
例えば、もともと土日祝日を所定休日にしようとしている会社であれば、就業規則上の所定休日は土日だけにして、祝日は「有給休暇の計画的付与日」とするのである。
こうすれば、「土日祝日」は不就労日にするという目的を達成しつつ、祝日のたびに有給休暇が自動的に減少していく仕組みが構築されるのだ。
なお、いちど制定した就業規則を社員にとって不利益に変更することは大きな困難を伴うので、初めから有給休暇の計画的付与を前提とした就業規則を作ってしまうことが重要でる。
就業規則の作成と同時に、締結が必要となる労使協定についても、社員の過半数代表者の署名または記名押印が必要となるが、創業期であれば社員は社長の腹心ばかりなので同意を得ることは難しくないであろう。
会社の規模が大きくなり、様々な価値観を持った社員が混在するようになった後で、有給休暇の計画的付与を事後的に導入することは実務上非常に困難である。だからこそ、会社がスタートしたばかりのときに、就業規則を固めてしまうべきなのだ。
■総括
以上のような理由から、私は「1人でも社員がいれば就業規則を作りましょう」と呼びかけている。
もっと言えば、小規模な会社ほど就業規則をしっかりと作成すべきである。
大企業であれば誰かが急に退職しても人員をやり繰りしてその穴を埋めることは可能であるし、万一不当解雇訴訟などが起こった場合でも、それに耐えうる資本力もある。
しかし、「ヒト」「モノ」「カネ」を含め、さほど余裕のない中小企業では、1人の社員の身勝手が大きな経営リスクになることも充分ありうる。また、就業規則が未整備なことに目をつけ、モンスター社員が金目当てで確信犯的に会社をひっかき回すような事件が発生していることにも用心したい。
会社だけでなく、真面目に頑張ってくれている多くの誠実な社員を守るためにも、しっかりとした就業規則を作成し、これに基づいた労務管理を行えるような体制を構築したいものである。
《参考記事》
■ デートの日に残業命令。残業を断って大丈夫!?: エンプロイメント・ファイナンスのすゝめ
http://blog.livedoor.jp/aoi_hrc/archives/31690024.html
■起業する人も基本手当を受給できるようになりました。 : LAOアライアンスのブログ
http://lao-jp.com/media/?p=161
■京都の市バスで足の不自由な女性を介助しようとして罵倒された運転士が気の毒だった件。 榊 裕葵
http://sharescafe.net/39775536-20140710.html
■社員のためのフェラーリ!?株主総会で知った島精機流「強い会社」の作り方 榊 裕葵
http://sharescafe.net/39610027-20140629.html
■すき家の美しすぎる求人票と労働条件開示のあり方 榊 裕葵
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特定社会保険労務士・CFP 榊 裕葵
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