人間革命展

はじめに

1964年(昭和39年)12月2日、池田大作創価学会第3代会長(現名誉会長)は、沖縄の地で小説『人間革命』の執筆を開始しました。「戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない」との書き出しには創価学会歴代会長の平和への信念が込められています。同小説は93年(平成5年)全12巻が完結し、現在、続編となる「新・人間革命」の執筆が進んでいます。「聖教新聞」の連載回数が2005年(平成17年)3月現在、『人間革命』を含め4500回を超えました。外国語への翻訳も進み、『人間革命』は全世界の人々に読まれています。執筆開始から40周年の節目にあたり、執筆原点の地である沖縄の青年部が、『人間革命』に込められた平和への信念を継承しゆくため小説『人間革命』展を企画・開催致しました。

第一章 執筆への道

池田大作創価学会第3代会長は1964年(昭和39年)12月2日、沖縄の地で小説『人間革命』の執筆を開始しました。「戦争ほど、残酷なものはない」との書き出しには、軍部に立ち向かった恩師や、戦火を逃げ惑った沖縄の人々の叫びが込められています。

創価学会沖縄本部の第一和室1964年(昭和39年)12月2日、人類史を覚醒させゆく“平和の光”が全世界へと放たれたのは、小さな一室だった。小説『人間革命』の執筆が開始された創価学会沖縄本部(当時)の第一和室。

第二章 沖縄

「最も不幸に泣いた人こそ、最も幸せになる権利がある」---。それは、小説『人間革命』を貫くテーマの一つであり、創価学会の信仰の基本原理です。しかし、真の幸福、平和を勝ち取ることができるかどうかは、最終的には、私たち自身にかかっています。

核も、基地もない、平和で豊かな沖縄になってこそ本土復帰である---それが、沖縄の人々の思いであり、また、伸一の信念であった。(『新・人間革命』第13巻 楽土)

沖縄の海戦争の辛酸をなめた人ほど、平和を渇望している。いな、最も不幸に泣いた人こそ、最も幸せになる権利があるばずだ。(『人間革命』第1巻 旭日の章)

第三章 人間革命とわたしたち

創価学会は、一人の人間革命が全人類の宿命の転換を可能にすると考えます。だからこそ、徹して一人を大切にし、励まし続けるのです。民衆の蘇生劇を描いた小説『人間革命』は、世界中の会員を命の底から勇気づけ、奮い立たせる羅針盤となってきました。

一人の人間に光を当て、人間に内在する善性を、創造的な生命を開花させ、欲望や環境に支配されることなく、何ものにも挫けない確固不動の自己自身をつくり上げていくことを、私たちは”人間革命”と呼ぶ。
(『新・人間革命』第5巻 開道)

瓦屋根学会を貧乏と病人の集まりだなんて悪口を言うものがいたら、こう言ってやりなさい。「それでは、あなたは、貧乏人と病人を、何人救ったのですか」
(「新・人間革命」第2巻 先駆)

第四章 不屈のペン

40年間にわたる激務の中での執筆活動は、まさに命を削っての闘争でした。それは偏に、恩師の正義と真実を歴史にとどめたいとの一心からでした。ここに、創価学会の永遠不滅の“師弟の精神”が流れているのです。

サトウキビ畑平和ほど、尊きものはない。
平和ほど、幸福なものはない。
平和こそ、人類の進むべき、根本の第一歩であらねばならない。
(『新・人間革命』第1巻 旭日)

「新・人間革命」は、完結までに三十巻を予定している。その執筆は、限りある命の時間との、壮絶な闘争となるに違いない。しかし、自身のこの世の使命を果たし抜いてこそ、まことの人生である。かのゲーテも、ユゴーも、また、トルストイも、八十余歳にして、なお、生き生きとして働き、信念のペンを執りつづけた。...私も、『新・人間革命』の執筆を我が生涯の仕事と定め、後世のために、金剛なる師弟の道の「真実」を、そして、日蓮大聖人の仰せのままに「世界広宣流布」の理想に突き進む尊き仏子が織りなす栄光の大絵巻を、力の限り書きつづってゆく決意である。 (『新・人間革命』第1巻 はじめに)

平和の源流 世界に広がる「人間革命」展

○「人間革命」展は沖縄研修道場・池田平和記念館にて常設展示を行っております。

那覇からのアクセス

●お車で
  高速道路・沖縄自動車道利用(石川I.C下車)で約60分。
    石川I.Cを出て右折し、国道58号線に合流後、名護市向け直進。
    リザンシーパークホテル(進行方向左手)通過後すぐの信号で右折、約400M直進左手。
●路線バスで
  「那覇バスターミナル」から20番名護西線、
   名護バスターミナル行「谷茶の丘」で下車(所用約95分)、徒歩5分