暑中見舞い申し上げます。
近々、正当なブックレビューをあげたいと思っているのですが、夏休み中に是非とも読んでいただきたい危険な作家たちをわたしなりご紹介!
百害あって一利なし!
「死ぬ前に読め」ではない。「読んで死ね」だ!
1人1冊、計10人分をどうぞ!
※読後の人生がどうなっても一切の責任はとりましぇん
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【デミアン】 著者=ヘルマン・ヘッセ
※友情も愛情も大切にしたいのに、できないあなたへ
『車輪の下』で有名な作家ヘッセ。わたしがもっとも愛する作家で、彼の作品の中でもとりわけ中毒性の高く問題作と言われるのがこの『デミアン』。
最初から友達がいないとか家族が崩壊しているような話はもう読む必要ありません。
主人公シンクレール10歳が、家族の世界――『明るい世界』と友人デミアンの世界――『暗い世界』を揺れ動くという、現代人好みのダークストーリー。しかし、文学!おそらくは現在出版されているショーセツが束になっても敵わない、永久不滅の問題作だ!
ヘッセが『デミアン』を書く動機になったのは執筆時に起こっていた第一次世界大戦であって、この作品をさかいに、それまでの作風がガラリと変わってくるのです。
ちなみに、「デミアン」という語は「デーモン」と同じく、「悪霊に取り憑かれたもの」から出ているとヘッセ本人が語っています。ふふふ
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【ドリアン・グレイの肖像】 著者=オスカー・ワイルド
※女性は読んではいけません (私はちょっと後悔してます)
悪口の天才オスカー・ワイルド。デカダンの旗手として有名な彼の代表作が、今もっと読まれていいはずだ。(※責任は取りません)
美少年ドリアン・グレイが快楽主義の超逆説家ヘンリーウォットン卿に、まさに【毒されていく】破滅へのロンド!
デカダンというと、「虚無的で気取った」雰囲気だと思われるかもしれませんが、なにをおっしゃる。
試しに赤えんぴつ片手に読んでみるといい。気がつけば本が赤線だらけになっている。
「結婚などということはしないに越したことはない、ドリアン。男は疲れたからといって結婚し、女は好奇心に駆られて結婚する、そして、両方とも失望する」byヘンリー卿
「ああ、きみ、女性に天才などあるはずがない。女性とは装飾的な性だ。言うべきことをなにひとつもっていないのに、ともかく魅力ある言いかたをするのが女性というものだ。精神にたいする物質の勝利を象徴しているのが女性だ、あたかも、男性が、道徳にたいする知性の勝利を象徴するようにね」byヘンリー卿
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【春琴抄】 著者=谷崎潤一郎
※「佐助、わてそんなこと教せたか」「あかん、あかん、弾けるまで夜通しかかったかて遣りや」「阿呆、何で覚えられへんねん」
小説というのは、おおよそ、誰がどう読もうがどう感想を述べようが自由であり、それこそが物語の凄みでもある。
が、しかし、まれにその民主主義が通用しない天才がこの国にお生まれになるのである。
その1人、誰あろう谷崎潤一郎である。彼の作品について、個人の意見を述べることは許されない。
「ボクはこう思う」「ボクはとても共感した」系の谷崎ヒョウロンを言っている人が巷に居たら、直ちに鼻で笑っていいともだ。
大谷崎の前では只々ひれ伏すのみ。
盲目の美女春琴と、彼女に仕える佐助の愛・・・?
句読点を廃した独特のリズムと完璧な物語の美しさに、我、イク!
間違っても、文学入門書に載っているような「耽美の人」というざっくり論や、「ただのエロじゃんワロタ」みたいな2ちゃんのテクスト論になってはいけない。(ドリアングレイの肖像を紹介した流れで谷崎も、という思惑はまったくありません。)
「なんでよ、小説なんてたかが物語でしょ?皆好きなように読めばいいじゃん」という優しい価値相対主義者さえも許されない。
とかく、谷崎読まずんば、読書家にあらず。
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【桜桃】 著者=太宰治
※おまえの部屋の本棚にあるラノベを直ちに一掃せよ
20世紀最大のストーリーテラー。
日本で最も売れた純文学文庫は太宰治の『人間失格』(正確にはわからんらしいが)。だから日本は面白い。
「これは俺だ」と思わせ、ときには女を装い、読者を狂わせながらも、己のみが死んで見せるある種の「救世主」が太宰治。
女性もきっとハマるでしょう。なにせ話自体がめちゃくちゃに面白い。
この『桜桃』は私小説の延長線上にありながらも、家庭のあり方を批判的に問い、親への期待と卑劣な現実を描いている。デミアンと同じく、家族に対して揺れ動く心を持つ人にはもうズキュン!わたしは一発でやられた。
超短いからそっこーで読めるよ!ちなみに、(いや大事なことだが)太宰の絶筆作品である。
ライトノベルや深夜のアニメでしか友達と会話できない人、どうか勇気を振り絞ってその友達に太宰の文庫プレゼントして、太宰サークルを作ってしまおう!
もっと刺激的な生活がやってくる!
新潮文庫で買い揃えるのもけっこうですが、この文春の傑作選は最高。
はっきり言おう。くどくどと、あちこち持ってまわった書き方をしたが、実はこの小説、夫婦喧嘩の小説なのである。――『桜桃』
太宰治は、冒頭から読者を引きずり込んでやろうと思っている。芸術性なんて二の次だ!反・志賀直哉だった彼の一行目をさくっと紹介!
恋をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであった。
――『ダス・ゲマイネ』
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かしておけねえ。 ――『駈込み訴え』
拝啓。
一つだけ教えて下さい。困っているのです。
――『トカトントン』
やはり、かっこいい。メロスも走るわな、そりゃあ。
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【不道徳教育講座】 著者=三島由紀夫
※「エグザイルもAKBもRADWIMPSもONE OK ROCKも好きになれないけど別にインディーズな音楽が好きなわけでもなく、かと言って友達の前で批判するほど俺は腐っちゃいない、いやしかし、俺は・・・」というあなたへ
もちろん小説の方を読むのがいいのですが、今回は中毒性という観点からしてエッセーをおすすめします。
とくに「内田樹病」を患っているブロガーなんかは、三島のエッセーを全部読んでレベルアップしていただきたい。
どれか一冊、ということでこの『不道徳教育講座』を選びましたが、
行動学入門 (文春文庫)や若きサムライのために (文春文庫)もオススメです。
「割腹自殺した極右の人」と認識するとイマイチみえてこないので、「男はくしゃみをしてはならない」系のマッチョイズムを想像しておられる方は、その先入観を捨ててひっそりとくらーい自室にこもって読んでください。
本著は延べ69の命題を様々なエピソードと逆説的レトリックを駆使して書かれた連載ものです。(しかも女性向き大衆週刊誌)
章題も『教師を内心バカにすべし』『喧嘩の自慢をすべし』『毒のたのしみ』・・・等々、本記事に最適な逆説的言霊だらけである。
流行の中から自分に似合うものだけを摂取する、というのは一見賢明な態度ですが、流行のほうでは、別にあなたに似合うかどうか考えてくれるわけではありません。
(中略)
数年前の夏に氾濫したサック・ドレスの中で、一体何人がお世辞にも似合っていたと言えるであろうか?
似合っても似合わなくても、流行には従うべきなのであります。それはあなたの最上の隠れ蓑であって、思想をよく隠すのは流行の衣装だけだと言ってもよろしい。
――『流行に従うべし』
去年流行ってた男性のミニミニ短パンスタイルも、無闇に否定しちゃだめだったんだね✩
このエッセーは主に、『流行に乗ったことのない、いや、乗る勇気もない高校生』に向けて書かれているといっていいでしょう。だから人によっては落ち着いてどこか懐かしい心情で読めると思いますが、そんなかっこいい人は少ないだろうにゃー。私は今でもこの本を読むと痛いところつかれた気分になる・・・・・・
割腹自殺はまだ、この連載の10年後ということもあって、エスプリとユーモアが絶妙に絡み合ってます。
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【黒猫】著者=エドガー・アラン・ポー
※脱法ドラック?そんなもん買わんでも、ポーがある!
黒猫・アッシャー家の崩壊―ポー短編集〈1〉ゴシック編 (新潮文庫)
- 作者: エドガー・アランポー,巽孝之
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2009/03/28
- メディア: 文庫
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小説家、詩人、批評家、ジャーナリスト・・・様々な肩書に〈なる〉エドガー・アラン・ポーの作品は、麻薬の如き成分が含まれていると方方で聞く。
一度その魔力に取り付かれると、外を出歩くだけでも自分が幻想的な人間になった気分になる。
愛する黒猫に激烈な憎悪を抱いて妻諸共ぶっ殺す!人間に満ちた矛盾の精神――と言ってしまったらあまりにも稚拙だが、それを物語の中に堂々と流し込み、読者の脳裏に永遠に焼き付ける。
個人的には、巽孝之訳が最高です。
かくも激越なる苦しみに押しつぶされたあげく、ほんのわずか残っていた良心のかけらもけし飛んでしまった。悪の想像力こそは、唯一の親友となった――それも闇の奥、悪の奥をきわめる想像力だ。いつもの不機嫌な気質はますます増長して、ついには森羅万象、人類のすべてをも憎悪するようになった。
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【外套】 著者=ニコライ・ゴーゴリ
※読んだのち、気づく、あっ、これは、わたしのことだ。
「わたしたちは皆、『外套』から生まれてきた」
ドストエフスキーはそういった。
主人公アカーキイ・アカーキエヴィッチは下級官吏。単純作業を繰り返すだけの仕事を来る日も来る日も繰り返す。長年使い古した外套は同僚からの笑いの種となっていたが、ある日、その外套を新調する。アカーキイ・アカーキエヴィッチにとっても、また職場の同僚にとっても、いやいやロシア全土にとっても大事件!
しかし、その新調したばかりの外套は、夜街にのさばるヤンキーどもに呆気無く奪われる。そして、その外套の主人はあまりの悲劇に嘆き、そんでもって、風邪をひいて死ぬ(笑)
―もうすっかりぼろぼろになっている、以前の《半纏》をわざわざ引っぱり出した。それを一目ながめて彼は思わず笑き出してしまった―何という似ても似つかぬ相違だろう!それからもずっと長いこと、食事を認めながらも、例の《半纏》のみじめな現在の身の上を心に思い浮かべては、絶えずくすくす笑っていた。
訳者の平井肇さんは、死の直前まで、枕頭にゴーゴリの原書を離さなかったそうです。
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【くっすん大黒】 著者=町田康
※「豆腐屋でござい。わたしは豆腐屋ですよ」なんて。
ちょっぴり 古典色が濃くなってきたので、現役作家さんをご紹介。
町田康さんは元パンクロッカー。いや、今でもパンクしている。
『くっすん大黒』の話の筋はあってないようなもので、妻から逃げられた無職の主人公が家に置いてある大黒さまを捨てようと思うのだが、なかなか捨てられず、友人菊池と途中で謎の古着屋でアルバイトをしたり、『伏線→回収』のパタンが好きな方にはなかなか読めない作品かもしれません。
しかし、文章のリズムや登場人物の滑稽さは、小説に慣れてくればくるほどハマります。
自分は菊池に訊いた。「おまえ、この公園知ってたか」「いや、知らなかった」「なんだか気味悪くねえか」「悪いね」ほら、菊池のごときも気色悪いのである。菊池は言った。「あのさあ、さっきの大黒、ここに捨ててってもいいかなあ」「やめろ馬鹿」「なんで、いいじゃん、あそこほら、お地蔵もあるし」と指差すところを見ると、地蔵が六体並んでいる。公園に地蔵があるなんておかしいじゃないですか。変じゃないですか。「早く行こう」って、自分は菊池を促して公園を後にしたのである。
「自分はなんで面白い話ができないんだろう?こんなに色々考えているというのに」なんて悩みがある人は、町田康を読めば万事解決!
滑稽な人間は、総じて真面目であるのだ!
ちなみにわたしは、町田康をパクって何やら散文を作ってみたことがあるが、惨憺たる結果に絶望した。
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【国のない男】 著者=カート・ヴォネガット
※それでも全てを笑い飛ばしたい。だって人は死ぬのだから。
- 作者: カートヴォネガット,Kurt Vonnegut,金原瑞人
- 出版社/メーカー: 日本放送出版協会
- 発売日: 2007/07/25
- メディア: ハードカバー
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爆笑問題・太田光さんがあの村上春樹を批判する理由の一つに、ヴォネガットの作品解釈の違いがある。
有名なタイタンの妖女 (ハヤカワ文庫SF)も読んでいただきたいのですが、ヴォネガットが残した最後のエッセーをまず読んでみては。
原発がイカれても、地方議員が泣き叫んででも、STAP細胞があろうとなかろうと、人間ありがとうな人、ヴォネガットにハマるでしょう。
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【生誕の災厄】 著者=E・M・シオラン
※健全な人はもちろんのこと、性根が360度曲がりきったひねくれ者でも閲読注意。最凶の思想家シオラン。
タイトル通りですよ、もう。
表題を直訳すると『生まれてきたことの不都合について』。すべてアフォリズム――断章で綴られた奇書である。尾木直樹が読んだら悶絶したあと昇天するほどぶっ飛んでます。これを真面目に読もうとかしないでいいでしょう。
訳者の出口裕弘さんもこう仰られています。
この本を埋める断章は、反論する気になればいくらでも反論できそうな、無垢といってよいほど隙だらけな構えで書かれている。だが私たちは、シオランのかずかずの〈放言〉に、あれこれと根拠ある反論を加えたあとで、黙ってその反論を吸収してしまうシオランの無防備の完璧さに、心をゆさぶられるにちがいない。反論に成功した者のほうが、最後には、論破したはずの当の断章に一瞬にして呑みこまれてしまうのである。
ほんとうのデカダンというのは、『生の否定』すらも否定します。死の賞賛について、シオランのお言葉を――言霊を拝借
「死は、失敗の好みを持ち、天分を持つような人間の庇護者である。成功を収めなかった者、成功への執念を燃やさなかったすべての者にとっては、一個の褒章である。・・・・・・死はその種の人間のほうに理ありとする。死は彼らの勝利なのだ。逆に死は、成功のために骨身を削り、ついに成功を収めた人間たちにとって、なんという残酷な否認、なんという痛烈な平手打ちであることか!」
どうですかこの全裸でディズニーランドを走り回るような言いっぷり!
ああ、この言葉がイデオロギーに縛られず自由に楽しめる平成の世!イイね!
この本をクスクス笑いながら読めるようになれば、あなたも芸術家の仲間入り。