東京レター
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【社会】「平和」訴える青い目の人形 戦中焼却の危機免れ2014年8月14日 13時58分
昭和初めに米国から日米親善の証しとして贈られた「青い目の人形」の一つが、千葉県香取市の香取小学校で保管されている。太平洋戦争中は敵国の人形として大半が焼却や破壊処分されたが、当時の女性教師が目立たない服に着替えさせ、職員室の戸棚の奥へと隠して難を逃れた。戦争を生き延びた人形は、今も子どもたちに平和のメッセージを届けている。 ブロンドの髪に、ぱっちりとした青い目。真っ白な顔は所々にひび割れが生じ、時の流れを感じさせる。高さ約四十センチで、名前は「メリー」。校長室に置かれ、児童らが「先生、人形見せて」と会いに来る。 メリーを迎えた日の記録が、一九二七(昭和二)年の学校日誌に残されている。「アメリカより送られたる人形と児童面会す」(四月二十八日)、「米人形の歓迎会をなす」(五月四日)。到着した日は、学校の下の道まで全児童が下り、整列して迎えたという。 だが太平洋戦争が始まると、全国で競うように青い目の人形が焼却された。同校では、教師の香取静枝さんが処分されたらかわいそうと、豪華なドレスを脱がし、目立たない布きれで洋服と帽子を縫って着せ替え、校長室の戸棚に保管。終戦の際に、包んで職員室の戸棚の奥の分からないところに隠した。 戦後しばらくして見つけ出され、陳列ケースに保存された。香取さんは九四年に亡くなったが、同校の百周年記念文集にこう寄せている。 「何時の間にか年月がたち、忘れていた頃、みつけ出され、人形を写真に撮り、額に入れて、校長先生が拙宅に持参されました。感激しました。(中略)人形の思い出が胸を過ぎる時、何時も世界中の平和を祈っております」 香取さんのめい、松平喜美江さん(80)=市川市=は「おばは『お人形さんに罪はない』『見つからないかと、はらはらした』と話していた」と振り返る。 メリーは今、同校で平和を伝える教材として使われている。戦前、子どもの未来を憂いて贈られた人形。その歴史を授業で調べ、平和の大切さを学ぶ。 今月十一日の登校日、平山嘉之校長(59)が児童らに、人形を守った先生がいたことを紹介した。平山校長は「戦争したのは国であり人は悪くない。目の色、肌の色が違っても、お互い分かり合うことが平和に結び付く」と話している。 (村上一樹) <青い目の人形> 1927年、米国で盛んだった反日運動を心配した親日家の米国人宣教師シドニー・ギューリック博士の呼び掛けで、全米各地から約1万3000体が集められ、日米友好の親善使節として日本に贈られた。仲介役は実業家の渋沢栄一で、全国の幼稚園・小学校へ配られた。太平洋戦争中は「敵国人形」などと呼ばれ、竹やりで突くなどして多くが処分された。現存するのは全国で約300体、東京都と千葉、埼玉、神奈川県では計約35体とされる。 (東京新聞) PR情報
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