茎に銘がうっすらと残る。
共に刺客の襲撃を受けながらも、二日間生き永らえた中岡慎太郎の証言では、龍馬は刺客の三太刀目をこの吉行で鞘ぐるみに受けた。
しかし、そのあまりの斬撃の凄まじさに、鞘が割け、刀身は大きく凪ぎ削られたと伝わる。
峰にはその傷があるはずなのだが、一見したところ判らない。
少なくとも小栗流の目録を受け、寺田屋では伏見奉行所の捕り手の囲みを破った程の剛の者を、刀を抜く間も与えず斬り倒した実行犯は幕臣今井信夫でほぼ間違いはなさそうだが、それを指示した黒幕は未だ明らかにはなっていない。
今後の研究が進み、それが明らかになったとき、維新史の定説も大きく覆ってしまうに相違ないだろう。
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