ピピピピピがブログを書きますよ。

運動もせず、ヘタレ顔でキーボードに手を置くピピピピピがブログを書く。野人の如き豪快さが欲しいね。

何をやっても孤独感が募るようになって来た。これは27歳特有の病気なのか

僕は極端な内容の記事を長文で書いたりしている訳だけど、終えた瞬間に孤独感がやって来る。
別にこれはブログだけの話ではなくて、ある程度タイプの子と遊んで貰えたり、本を一冊読み終わったり、山を登り終えてもそうなんだ。
衰退国日本と重なり合ってしまったかのように、僕は墜落の最中にいる気がする。
ひゅーっと地面に叩きつけられたら痛い事は分かるけれど、それでもジタバタすらせずに、もはや脳天気ですらなくって、無表情無思考で立ち尽くしている気分。

本当の意味での感情開放などせずに、普段から喜怒哀楽を出すふりをして、下手な大根芸を繰り広げる毎日を送ってきたせいで、とうとう感情が欠落してしまったのか。
そう思った瞬間もいくつもある。
けれど、それは全く持って違う事が分かった。

たとえば、ソフトキャバクラに遊びに行って、女の子を膝の上に乗っけて楽しんだ帰り。
問題意識の欠片もない空気を出す大学生が、すこぶる可愛い女の子を連れているのを見掛ける。
「ふざけんなよ。こっちは金を出して女とお喋りして来たんだ。それもお前が手を繋いでる女より遙かにブスな女とな!」
怒りが止まらなくなるのだ。
胸の辺りがモヤモヤし、歩みを止めてしまうと手足が小刻みにぷるると震えてしまう程に。
つまり感情はいつだって待機中であり、もしかしたら常に溢れ続けているかもしれない。

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世の27歳は僕と同じような感覚を持ち続けながら生きているのだろうか

喜びが継続せず、どこかでかくれんぼをしていて、探さなきゃならない。
面白い事があると、「さぁこれは面白いんだ笑おう!」と、一拍間を置いてから爆笑している気がしてくる。
脳の性質的問題であれば仕方ないな。
抱腹絶倒な場面を脳が勝手にデフォルメして、無味乾燥な白紙のページとして僕に渡している可能性もある。

どれだけ見目麗しい乙女でも、言葉に詰まるほどに老けるものだ。
老化現象の速度には個人差がある。
これはそっくりそのまま感情にも言える。
僕の輝かしくピカピカだった感情は急速に老化に向かい、もはや足腰に力が入らず立っているのがやっとなのかもしれない。

恵まれすぎているのが原因か

孤独感、これはつまり感覚的なものであるし、端から見れば僕は大勢の人間に囲まれているように映るだろう。
虚無主義者を気取りながら、バイトしては辞めてを100回ほど繰り返し、働くのに向いていないと思って引きこもり生活をスタートし、怠惰グランプリのチャンピオンに輝いた。
社会人としては最低ランクであり、企業側から見れば切り刻んで処分したくなるような労働者だ。
にも関わらず親のお陰で無事就職をして今に至る。
ドロップアウトして雪崩式にクズへと向かったにも関わらず、気づいたらお花畑の真ん中で蝶々と戯れているんだ。
タンポポの匂いが優しくて、晴れなのに降ってきた雨がおかしくて、なんだか全てが作り物の世界に見えてきてしょうがない。
狐の嫁入りに参加しているような感覚の日々なんだ。

どうして孤独感が押し寄せる

出会いの経験が少ない非モテの中には、どんな女の子と会っても運命の人だと思ってしまう人がいる。
これを元に考えれば、僕は恵まれすぎている土台により、その絶対的な安心感に潰されそうになっているのかもしれない。
『何とかなるさ』だけで、何とかなる日々を過ごして来て、これからも何とかなる未来がやってくる。
まるでハッピーエンドの決まった小説、映画、アニメなのだ。
人の温かみの入らない機械的なRPG世界だ。
10年ぐらい前にダウンロードしたフリーゲームのように、血の臭いを感じない。

きっとニートを脱出してしまったせいなんだ

27歳が原因の病気なんかじゃない。
急激に仕事と勉強の時間が増えすぎて、ギャップの衝撃により目玉が転げ落ちて視界が真っ暗になっているだけなんだ。
一日中布団の中にいたり、お菓子を食いながらスト4やグラセフの世界に入り込んだり、可愛い女の子が出ているニコ生を見てお色気ボーナスタイムを見つけてはキャプったり、急にスケボーを買ってみたり、楽して稼げる方法を探してみたり。
そんな綺麗な色の毎日が終わってしまったからなんだ。


あの頃の空はいつも爽やかだった。

 

百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))

百年の孤独 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1967))