福家司
2014年8月14日03時00分
「昔は穴があいていたんだろうが、今はよくわからない」。瀬野研三さん(85)=舞鶴市南田辺=は着弾地点と思われる、緑に覆われた山を見つめた。
太平洋戦争の終戦まであと半月余りの1945年7月29日朝。同市にあった旧海軍の工場、舞鶴海軍工廠(こうしょう、現・ジャパンマリンユナイテッド舞鶴事業所)が米軍機の爆撃を受けた。
原爆模擬弾として投下された4・5トンの大型爆弾1発で、97人が犠牲になった舞鶴空襲の1日目だ。
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