2014年08月13日

ロビン・ウィリアムズが自分の意思で死んでしまったことについての英語圏の報道のメモ

昨日は、俳優のロビン・ウィリアムズが亡くなったことで、Twitterの画面が埋め尽くされていた。当初から「正式な確定はされていないが自殺と思われる (apparent suicide)」と報じられていた。



あまりに「そればかり」なのでしばらくTwitter見ないで別の作業をしていたのだが、数時間後にイラクやガザについてのニュースをチェックしようとTwitter.comを見てみたら、英国・アイルランドのみなさんが朝起きたタイミングで、やっぱり画面は相変わらず驚きの声や自殺防止のメッセージで満たされていた。








英国・アイルランドが朝を迎えた時間……












「自殺防止 suicide prevention」という考え方も日本では通じないけど、英語圏では誰かが自殺したようだというニュースがあるとだいたい必ず、ソーシャルネットでは「話したいことがある人はここに電話を」といったメッセージが出る。報道記事の最後に電話番号などが書かれていることもある。(「自殺」そのものを基本的に認めないアイルランドではこの限りではない。「自殺」は、非常に微妙な問題なのだ。)

例えば、上でツイートを参照しているShea Wongさんのブログは、彼女がどのように訃報を知ったか、彼女がいかにロビン・ウィリアムズのファンだったかを導入部として、次のように展開している。
I’m not interested in the how pertaining to his manner of death – it’s been ruled consistent with suicide. I’m not even interested in the why – it was openly acknowledged he’d battled sobriety and addiction issues for years, and his publicist had stated he’d been going through a severe depression. I’m writing this to remind you…to remind myself that mental health affects 1 in 4 of us regardless of our socio-economic status, or talent, or gifts. It does not discriminate. And while the resources we have or can access (such as having the saved cash to take time off work, or having comprehensive health care) can often facilitate a speedier forward momentum through the mental health issue, “perks” like money, fame, adoration, support aren’t guarantees that you’ll get “better”. Everyone is still facing a challenge.

つまり、「ウィリアムズがどのように、なぜ自殺したかは興味がない。深刻な欝を抱えていたことは明らかにされている。ブログを書いているのはそんなことのためではなく、私たちの4人に1人は精神の健康が問題となるということを改めて強調したいからだ。社会・経済的地位や才能は関係ない。それは誰であれ差別しない。お金や名声などがいくらあっても『回復』するという保証はない」。

The tributes have begun pouring in, and I’ve already noticed a theme, the phrase ‘a sudden loss’. It’s sudden, yes…for the people left in the wake of suicide. It’s almost never sudden for the person who has killed themselves. I’ve written about my suicide ideation before, as have many others, and while our stories all differ due to our circumstances, one thing is shared – suicide would not have been ‘sudden’ for us. It would have been the end of a very long battle.

「故人を悼む声が次々と入ってくるが、一貫して『突然の悲報』というフレーズが用いられている。確かに、残された人にとっては突然のことだ。だが、自殺した本人にとっては、突然、などということはまずない。……自殺しようとしていた人にとって、自殺は『突然の』ものではない。とても長いたたかいの結末としてそれがあった」



If you are going through a mental health issue, please know you aren’t alone. UK people can call the Samaritans day or night at 08457 90 90 90 or email jo@samaritans.org. Americans, you can call the Samaritans hotline at 1 (800) 273-TALK. If you are really in a jam and can’t remember that number, dial 211 and tell them you need to talk to someone now – 211 is a nationwide health directory number who will connect you to someone who can listen. Everyone around the world can use Befrienders.org’s directory to find their local organization to listen.

「MHの問題を抱えている方、どうか、あなたは一人ではないということを知ってください。英国にいる人は1日時間を問わず、サマリタンズに電話できます。メールの受付もあります。米国の方のサマリタンズの番号はこちら。本当にどうしようもなくなっていて番号を思い出すこともできなかったら、(英国にいる場合は)211とダイアルして、誰かと話をしないとならないと告げてください。この番号で全国どこからでも、話し相手につないでくれます。全世界各国のこのような相談窓口の一覧は、Befrienders.orgにあります

これはとびきり詳しくて丁寧だが、このような「一言」が「著名人の自殺のニュースを聞いて私が思ったこと」についてのブログに添えられていることは、ごく普通だ。日本ではあまり見ない。

社会の制度としても、上のSheaさんのブログにある「211」の番号のようなものは、私は日本では聞いたことがない。むしろ、「自殺防止」は「個人の心がけ」の問題と見なされていて、いろいろ、放置されてると感じる。スキャンダルの渦中であることないことマスコミに書かれ、ものすごいプレッシャー下にある人を現場から外すこともせず、そのまま「部署の責任者」にしておいて、挙句職場で自殺させてしまう (「させる」は make ではなく let) のが日本のありかたであり、「最悪の結果」が何度繰り返されても、その問題点を「指摘する声」すらあがらない。どんなにあからさまに「自殺させないようにすることが放棄されていた」ようなケースでも、「個人の問題だから」で片付けられてしまう。

ところで、東京でひとりの男性が政治的主張をして焼身を図ったときには、「こんなことを報道して、後追いが出たらどうするんだ」とか「通行人に迷惑だ」とかいうのがものすごくやかましかったけど、suicide preventionの取り組みで典型的な「自殺しても何も解決しない」という言葉は、私が見てた範囲が狭かったのだろうが、見なかった。「相談窓口」(いのちの電話)を紹介するツイートは1件見たと思うけれど、そのツイートは「報道するな」論を主張するアカウントからではなかった。「NHKはガイドラインにのっとっているので自殺は報道しない」というデマを吹聴してまで「報道するほうがおかしい」って言う人は、いったい、何を主張したいんだろうな、単に「マスコミ批判」をしたいのかな……と思ったものだ。

そこまで極端に政治的(でないふりをしているが、実は単に政治的)でなくても、「日本のマスコミはWHOガイドラインを無視しているが、海外の[原文ママ]マスコミはそれを守っているので、自殺は報じない」と無邪気に信じている人もいるだろう。というわけで、簡単だが記録だけはしておきたい。



「下品なタブロイド」は、どこだったか覚えていないが、ザ・サンかデイリー・ミラーかデイリー・スターだろう。誰かが「まだ確定していないのにこんなにでかでかと書くのはどうよ」的に一面のスキャンを回覧してきたのだが、二度と見る気がしなかったのでそのまま流した。確認しようと思えばできるが、ちょっとまだそんな気分ではない。

でかでかと「自殺」と書くのとは対極的な、遠まわしな表現。宗教的に保守的(カトリックもプロテスタントも)な北アイルランドで「自殺」という言葉は、報道の見出しに出るとショックすぎるような語だ。



ここにある "found dead" という表現は、「ひとりでいるときに心臓発作で倒れ、帰宅した家族が発見した」など病死や事故死でも用いられる表現だが、「自殺」の第一報がこの表現ということも多い。

日本での「警察発表」は、情報の受け手からすれば「マスコミがそういっているから信じている」ようなものだが、英語圏では注目度の高い件ではメディアがその文書を公開することがある。今回私がたまたま見たのは、(米国ではなくなぜか)アイルランドのラジオ局のツイートだが、検死当局のステートメントがそのままツイートされている。(たぶん米メディアでもやってる。)



このステートメントに基づいて、最初期の報道で「窒息による自殺」と言われていたのだ。



そして「興味本位でのしつこい取材」は日本だけのものではない。ウィリアムズが死に場所に選んだのは自宅だった。ご家族が「そっとしておいてください」と言っているにもかかわらず、意味のない中継ヘリが出た。



そして、人々がそのあまりにショッキングなニュースについて一通り話をして、受けた衝撃を吸収し終えたころに、報道の第二波が来る。これが危険なんだ。つまり、第一報では「確定」していなかった(apparentという形容詞で語られていた)ことが「確定した」という報道。これは、「事実の確定」ということで重要なことだが、情報の受け手としてはその中身は「既に知っていること」に過ぎない。そして、昨日は消化できたと思っていたショックがぶり返す人もいる。



BBCは見出しやTwitterのフィードでは非常に抑えたトーンだが、そうでないメディアもある(特に「タブロイド」というわけではない)。




この調子なので、こういう批判も出てくる。




一方で、「クリック数が稼げる美味しいネタ」だから、好奇心をあおる形容詞をちりばめて、特にネタでもないネタをあちこちにばら撒くという低劣な行為も散見される。記録したのがたまたまインディだけど、インディ(ここはもう、完全にタブロイド化して「左翼のデイリー・メイル」になってしまった)だけではない。テレグラフなんかもやってる。「自殺の原因はこれか」みたいなくだらないゴシップも多い(人気映画の「パート2」に乗り気ではなかった、など)。





こうやって、ひとつの「突然の悲報」はクリックを量産する「ゴシップ」へと変わっていき、当事者(ご遺族)は「ファン」からの「なぜ気づかなかったんだ」系の言葉の標的となり、言葉は傷つけ、傷口を開くものとなる。もちろん、「後追い自殺」も広い世界のどこかに出るだろう。特にファンじゃなくても「あんな有名な人が」という衝撃は大きい。

「解説」をどれか1本読むなら、「同じ側」にいるラッセル・ブランド(彼はLAに住んでたこともある)の文章がよいだろう。「笑いと狂気、薬物依存は紙一重」ということは、彼は自分のこととして知っている。



deadpoetssociety.png

ロンドン地下鉄、アールズコート駅のホワイトボード(ロンドン地下鉄は、「今日の言葉」みたいなのを各駅で職員が書いていることが多い。車内の広告のところにもPoetry on the Undergroundというのがあったくらい、「ことば」好きだ)。



NIウォッチャーには注目のこのフィード↓。何を見ても罵倒してばかりでヘイトの煽動と陰謀論だけで構成されているようなA Tangled Webのデイヴィッド・ヴァンスも人間だったらしいということは一種の朗報だ。ただそれを知るために、ロビン・ウィリアムズの自殺などというひどいニュースが必要だったことは残念だ。



「LAのセレブ」同士でおそらく面識はあったのではないかと思うが、デイヴィッド・ベッカムがとても素直な追悼の言葉を書いている(彼のことを「バカ丸出し」などとバカにしている日本人のアルファツイッタラーがいるそうだが、「教養がない」のと「バカ丸出し」とは違うということもわからないのは、かわいそうな人だと思う)。



ぐっと若い世代で、ゴルファーのロリー・マキロイ。







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訃報
posted by nofrills at 22:00 | TrackBack(0) | i dont think im a pacifist/words at war
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おひとりおひとりに感謝申し上げます。


【2003年に翻訳した文章】The Nuclear Love Affair 核との火遊び
2003年8月14日、John Pilger|ジョン・ピルジャー

私が初めて広島を訪れたのは,原爆投下の22年後のことだった。街はすっかり再建され,ガラス張りの建築物や環状道路が作られていたが,爪痕を見つけることは難しくはなかった。爆弾が炸裂した地点から1マイルも離れていない河原では,泥の中に掘っ立て小屋が建てられ,生気のない人の影がごみの山をあさっていた。現在,こんな日本の姿を想像できる人はほとんどいないだろう。

彼らは生き残った人々だった。ほとんどが病気で貧しく職もなく,社会から追放されていた。「原子病」の恐怖はとても大きかったので,人々は名前を変え,多くは住居を変えた。病人たちは混雑した国立病院で治療を受けた。米国人が作って経営する近代的な原爆病院が松の木に囲まれ市街地を見下ろす場所にあったが,そこではわずかな患者を「研究」目的で受け入れるだけだった。

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EXPOSING WAR CRIMES IS NOT A CRIME!


詳細はてなダイアリでも少し。