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 戦後は消費が花開いた時代でもある。「消費者」は社会をどう変えたのか。

 カラーテレビの値段が高すぎる。そう言って消費者が全国的な不買運動を起こし、メーカーを震え上がらせたことがある。高度経済成長まっただ中の1970年のことである。

 高卒の平均初任給が約2万7千円だった時代に19型カラーテレビは20万円近くした。それが店によっては2割引き、3割引きで売られ、米国への安値輸出も疑われていた。定価は不当ではないかと、全国地域婦人団体連絡協議会など消費者5団体が引き下げを求め始めた。冷蔵庫や洗濯機などをすでに手に入れた人々の欲求は、カラーテレビに向かっていた。

 火に油を注いだのはメーカーの高圧的な態度だった。価格は生産者が決める、それが当たり前の時代だった。最大手の松下電器産業は「値下げはしない」と主張した。

 「押しても引いてもびくともしない感じでした。こっちも、負けないぞとがんばりました。とにかくボーナスが出てもカラーテレビは買わないと」。5団体の一つ、主婦連合会の会員として運動の輪の中にいた和田正江さん(83)は振り返って言う。街頭でビラを配ると、次々に立ち止まってくれた。「やりがいのある運動でしたね」

 運動は松下製品のボイコットにまで発展。松下は数カ月で大幅値下げに動く。「このままにはしておけない。買ってくれる人の気持ちをくみ直さないといけない。それでも利益は出せるように努力しろ」。それが松下幸之助会長からの指示だったと、当時、本社の営業本部にいた土方宥二さん(81)は言う。生産から販売まで見直しが求められ、社内はひっくり返るような騒ぎになった。消費者側の完全勝利だった。

 カラーテレビ不買運動は一見、あの時代ならではの特異な出来事である。インフレで食費や家賃も上がり、人々はいらだっていた。東大安田講堂での学生と機動隊の攻防や公害反対運動など、時代の空気も騒然としていた。

 それは同時に、戦後日本経済の大きな場面転換だったのではないか。かたまりとしての消費者が初めて、社会に現れた。消費者運動がそれを体現した。

 しかし、そこにもうひとつの担い手が登場した。大型流通企業である。

 迷路に入り込む、種がまかれた。