私にとって言葉とは、溢れてくるものじゃない。
ぺたんこになった歯磨き粉のチューブをぐるぐるに丸めてひねり出して、やっとちょぴっと、申し訳程度に出てくるようなもの。
対面で話す時もそう。ブログを書くときだってそう。もう捨てていいようなチューブをケチくさくいつまでも搾っている。中身なんてないのに。
……
おばちゃんのコミュ力ってのはすごくて、初めて会ってもまるで十年来の友人みたいに親しげで、「今日の天気」っていう話題からいくつもの枝が分かれて無限の宇宙を作り出す。
会話っていうのは連想ゲームなのかなぁと思う。でも、自分が連想しようとしても、うまくいかない。
「いい天気ですね」
「そうですねー」
「……」
終了。それ以上話が膨らまない。世界が一ミリも広がらない。なぜ。
……
あぁ、みんな私には見えないものが見えて、感じないものを感じているんだなって思う。
私にとってこの世界は無味無臭でなんの面白味もなくて、そしてひたすらに狭い。だから、しょーもないことでゲラゲラ笑ってる人とか何が可笑しいんだか、全然意味わからない。けど、「他人に合わせる」という修行だけは小さい頃から積んできているから、とりあえずタイミングを合わせて笑うことはできる。
でも、それってつまらないバラエティ番組で、白々しい笑い声のサウンドエフェクトを流しているよりもずっと、空虚だ。
……
そういえば、テレビを見ても、漫画を読んでも、面白いと評判の芸能人のエッセイを読んでも、何をしても口角がぴくりとも上がらなくなった。
あれ、私って何をすると楽しかったんだっけ。
何を面白いと思うんだっけ。
とか、全然分からなくなってきて、
あーこれはもしや、セロトニンが不足していることによるアレかなぁ、なんて思ってたけど、最近「うんこ」の話題ですごい笑ってしまったからよく分からない。