RainSphere Games
カイとゲーム 80年代後半編
12月25日 待望のファミリーコンピュータを手に入れる?つもりがなぜかツインファミコンヽ(゚∀゚
)ノをゲット
しかし実はツインファミコンは出力が今は常識なAV出力式(黄 白の端子)だったので、
当時はAV入力のあるテレビというのは最新型のものしかありませんでした。当然うちの家にあったテレビも
AV入力があるものではなく、HITACHIのチューニングを自分で手で回してチャンネルを選ぶタイプの懐かしのものだったのです。
よってNationalの(当時まだpanasonicではない)ステレオテレビを一緒にゲット(゚∀゚;) なんちゅー高い買い物だ。
そして最初に購入したソフトが、ディスクカードA面がスーパーマリオ2 B面がスーパーマリオ1
とここまではまぁ当然の選択なのですが、
謎の購入スターソルジャー(゚∀゚;) なぜ当時スターソルジャーを買おうと思ったのか、今考えても当時の心理はわからないのですが、
今思えばスターソルジャーを選んだのは間違いなく正解でした。むちゃくちゃおもしろいしヽ(゚∀゚
)ノ
しかし当然高橋名人の「ゲームは一日一時間」(゚∀゚;)という言葉もあって、
一日60分(90分だったかもしれないけど)しかも確か一週間に2回とかいう恐ろしい制約がついていたように思います。
この制約もいつのまにかうやむやになりましたが、最初はとてつもない壁として立ちはだかりました。
マリオ1&2両方所持してはいましたが、ずっとマリオ2ばっかりやっていました。
しかもなぜかルイージで(゚∀゚;)
当時マリオ2を素でクリアするほどの腕はないので、当然のごとくワールド1-1の最初のキノコのある場所で、無限1UPをして
命を120程度まで増やしてからのスタートです(゚∀゚;)
←当時のスタート時の再現 ここでルイージ残機を120くらいにヽ(゚∀゚
)ノ
確かに幼少期は最初ゲームは下手だったんですけど、幼少期からピアノ&エレクトーンをしていて、
指が多少他の友人に比べて器用になっていたと思います。そのこともあってか、ゲームが上達するスピードが抜群に速かったようで
(幼少期は脳で考えたことが指に伝達されるのが遅いでしょうから、ピアノやってると伝達の感覚が鍛えられるわけですね)
すぐに友人よりもゲームがうまくなって、
そのうちファミコン○○やらファミコン○○○○やら言われるようになりました(笑
ざまーみさらせヽ(゚∀゚ )ノ特に友人T というかファミコン買ったの最近なんですけど。○○○度ならあんたらのほうが上のような気が(゚∀゚;)
二つ目に買ったソフトが記憶によるとディスクシステム・ゼルダの伝説(任天堂)だったと思います。
こちらも良作ヽ(゚∀゚ )ノ結構ゲーム見る目ありますね。まぁ適当に選んで買ったんですけど(笑
ゼルダの伝説は結構ダンジョンの音楽とか表現が恐いっていうのが印象的でしたね。
そして次に買ったソフトが、今でもこよなく愛するリンクの冒険でした。
←リンクの冒険(任天堂)
はっきり言ってこのゲーム 最高ですヽ(゚∀゚ )ノ 続編が出なかったのが悔やまれてなりません。
その後夢工場ドキドキパニック(フジテレビ) とびだせ大作戦(スクウェアDOG) グリーンベレー(コナミ) SDガンダムガチャポン戦士(バンダイ)
と、ディスクシステムを中心に良作を次々と買っていきました。今思えばクソゲーをつかまされなくてよかったですね(゚∀゚;)
ディスクシステムのクソゲーって本当にイタイですからネ(゚∀゚;)
↑左:夢工場ドキドキパニック(フジテレビ) 右:とびだせ大作戦(スクウェアDOG)
↑左:グリーンベレー(コナミ) 右:SDガンダムワールド
ガチャポン戦士(バンダイ)
さて いったん家庭用ゲームのほうから離れて業務用のほうに話は移行しますが、
小学1〜2年の時といえば、やはり相変わらずメダルゲームだったと思います。特にツインファミコンを買ってからは、
ビデオゲームは家でやるっていう感じで、メダルゲームばかりに走っていました。
まぁミッ丸ストアーというスーパーマーケットのちょっと大きいような店のゲームコーナーに置いてあったパックランド(ナムコ)が
妙におもしろそうに見えて、とりあえずやってみたという程度でしょう。パックランドは左右移動すらレバーで入力せずに
ボタンで移動するのでそれに手間取って全然先に進めなかったような記憶がありますが(゚∀゚;)
このころの地元のデパートの屋上は
ルーレットゲームは、ピカデリーサーキット以外にゴールドメダルを採用している魔界村(カプコン)のものや
(ゴールドメダルを1枚当てると確か5枚の銀メダルに交換してもらえたような)
通常の当たり時の配当が0倍〜3倍になったりするちょっとイカしたシステムの妖怪道中記(ナムコ)のものなど
各社多彩なルーレットゲームを出していました。
他にもウォンテッド(会社名不明)などありましたが、どうもこのゲームは配当が調整されている!というのを子供心に感じまして
(まぁ実際はルーレットゲームも本当に初期のもの以外は全部配当調整はされてるんですけど(゚∀゚;))
あまりやりませんでした。はっきりいってゲーム的にもつまらなかったですしね(゚∀゚;)
←ウォンテッド(製作不明)
地元のデパートといえばやはりいつもソフトを購入させていただいていたおもちゃ売り場です。
ディスクシステムが出て以降、ゲーム売り場には書き換えのためのディスクライターが置いてあり、
そのディスプレイに移っているマリオとルイージがディスクの書き換えを説明している映像が
とても楽しく、印象に残っています。
実際書き換えをしたのは、ゼルダの伝説→ドラキュラ2 という1回だけで、
そもそもやってきたディスクシステムのゲームは全部良作で大好きだったので、書き換えする気は起きなかったのです。
(ゼルダを書き換えしましたが、ゼルダに愛着がなかったわけでは決してありません(゚∀゚;))
↑左:ゼルダの伝説(任天堂) 右:ドラキュラII
呪いの封印(コナミ)
1987年になると、ディスクシステムがやや衰退を見せ始めたのか、ロムカセットのほうも良作が次々と飛び出し、特にドラゴンクエスト2の存在が
大きかったと思います。
特に好きになったのがドラゴンスイレイヤー4(ナムコ/日本ファルコム)です。このゲーム、説明ないと意味不明なゲームなんですけど
世界観とキャラそれになんと言っても音楽がすばらしく、とにかく大好きで、説明書の無い状態から、ひとつひとつアイテムの効力などを
自分で調べてクリアまでこぎつけました。いやーナムコってすごいなー と思ったんですけどこれって製作は日本ファルコムだったんですね(゚∀゚;)
←ドラゴンスレイヤー4(ナムコ/日本ファルコム)
当時任天堂 ナムコ コナミ エニックス バンダイ くらいしかゲーム会社の名前なんて知りませんでしたので(゚∀゚;)
他にも大魔司教ガリウス(コナミ)などRPG要素の入ったアクションゲームで良作なものが次々と現れ、
一般的にこの時代のFCのゲームを見ても、アクションゲーム シューティングゲームともに、名作、良作が飛び出しまくった黄金時代だったと思います。
←魔城伝説2
大魔司教ガリウス(コナミ)
良作ソフト抜粋(テキトー(゚∀゚;))
グーニーズ(コナミ)
1987年の後半になると同級生たちの影響を受けてついにドラゴンクエスト2に手を出すことになります。
このころになるとすでに高橋名人は表舞台から姿を消してしまっていたんでしょうか?
ドラゴンクエスト2で初めてRPGというものをやったんですけど(最初に挑戦するソフトにしては難易度が高すぎますが(゚∀゚;))
最初は「そうび」の意味もわからずに素手でスライム相手に戦ってボコボコにされるというおきまりのパターンで
(実は装備の一般的な意味は知ってたと思うんですけど、確か記憶によると、装備して外したら武器は当然ボロくなっていくので消えると思ってて、
よーし、最初は素手でレベルを上げて銅の剣は売って、もうちょっと強い武器を最初から装備してやる!
という素人とは思えないわけのわからん戦略を考えていた記憶があります。まぁ装備の実際のシステムを知らない自体素人ですが(笑))
おおなめくじ×1にすら勝てないありさまヽ(゚∀゚
)ノ スライム×1のみ倒せるというすさまじく弱い状態でした。
スライム×1を撃破して入手できる経験値は1 レベルアップに必要な経験値は12なので、
一匹倒したあと、あと11回これを繰り返せばらくになる!(゚∀゚;) とか思いながらやってました(゚∀゚;)
結局装備を外しても武器が消えないとわかったのがそれから数日後だったような……ナム
←ドラゴンクエスト2(エニックス)
しかしなんといってもドラクエ2はむずかしいです。ムーンペタまではごり押しでなんとかいけるんですが、
ムーンペタ周辺にでるマンドリルがとにかく強くて、サマルトリアのヘタレ王子がすぐに死んでしまうんです(゚∀゚;)
こいつ弱すぎ( ´Д`) むしろマンドリル強すぎ
←サマルトリアの王子死亡 なむ
その後ムーンブルクの王女のラリホーがマンドリルに対して有効だと知るのがそれから結構後のこと(゚∀゚;)
まぁそんなこんなで、秘技「もょもと」に走ったり、最強技「はかいはやぶさ」に走ったりして、なんとかシドーを倒すのは、かなり後になってからだったと
思います。
当時はRPGも下手で(まぁ最初にやった作品だから当然なんですが)戦闘戦略がやっぱり下手なので、ロンダルキアの洞窟なんて
抜けるだけで精一杯なわけです。だからロトの鎧やいなづまの剣なんて見つけている余裕なんてなくて、
(そもそもロンダルキアの洞窟にそんなものがあることすら知らないうえに、あの洞窟を探索する勇気なんてないヽ(゚∀゚
)ノ)
ひかりの剣でロンダルキアの敵と戦っていたわけです。いなづまの剣でも難しいのにひかりの剣でいきなりやれといわれてできるかと(゚∀゚;)!
しかし「ふっかつのじゅもん」には泣かされました。何度間違ったことか。ふっかつのじゅもん入力時の曲が
かの名曲「LOVESONG探して」ですが、ふっかつのじゅもんを間違った時何度あの曲に慰められたことでしょう。
←ドラクエ2といえばコレ(゚∀゚;)
まぁなんにせよDQ2は最高です。中盤のバランスの悪さを除いても、やはり終盤の面白さがそれを打ち消してくれています。
エニックスさんこんな作品をあたえてくださってありがとうございました(
゚∀゚)ノ
そんなこんなでこの後ディスクシステムから良作がでなくなってしまったこともあって、しばらくロムカセットに走るわけです。
この間に仮面ライダー倶楽部(バンダイ)やウルティマ恐怖のエクソダス(ポニーキャニオン)などのクソゲーも体験する一方で、
SDガンダム2カプセル戦記という良作とも出会いました。
そしてついに1988年にドラゴンクエスト3が出ました。
ドラゴンクエスト2のときは全くその知名度を知らなかったんですけど、今回はドラクエ2をやったこともあり、
さらにテレビでメディアが騒ぎまくっているせいもあって、いつ発売するとかいう情報は家にいてもわかるくらいの世間の盛り上がりようです。
実際にドラクエ3は欲しいと思いましたが、発売日当日に買うという気合いまではありませんでした。
(現在も発売日に並んで買うなんてことはしませんね)
そもそも非常に慎重な性格なのか、とりあえずしばらく放っておいて友人達の反応を見ようという些細なセコイ計画なんだと思います。
それでも発売日になんとなく地元のデパートにでかけていったんですけど、1Fの入り口に入った瞬間に店内放送が流れまして、
「本日ドラゴンクエスト3は予約のお客様のみへの販売となります」
という放送がいきなりあるわけです。
おもわず「おおーーーっ すげー!」ていう感じになって
家に帰ってテレビをつけてみると、夕方のニュースで東京ですごい行列作ってる映像が映ってるんですよ(笑
ゲームでここまで大事になるなんて!と思ったんですけど、スーパーマリオブラザーズの時もうちょっと大きかったら2回目だし慣れてるとは思うんですけど。
次の日学校へ行ってみると同級生でドラクエ3を手に入れることができたのは、確か二人くらいだったような。(同級生の兄とかが買ってるんですけど)
で、評判聞いて、4人パーティーだぞ!と聞いた時に、おお!3人が4人になっていれば絶対におもしろいな!と、現在こんなこと言ってたら
アホだといわんばかりの単純な考えて欲しくなって、
次の週にまたデパートにいったんですけど、やっぱり予約されたお客様のみへの販売となっております。って1Fの入り口に書いてあるんです。
まぁ別にいいやと思ってゲーム売り場に予約しにいったところ、なんと予約キャンセルした人がいたらしく、あっさりドラクエ3ゲット!やったーヽ(
´▽`)ノ
買って帰る時に、もしやキャンセルした人はテストの点が悪すぎて親に予約を取り消されたのだろうか(゚∀゚;)とかそういうことを考えながら
電源ON!
画面が暗いんですけど…
←ドラゴンクエスト3(エニックス)
ドラクエ2のタイトル画面のイメージがあったので、なんていう静けさだ!と思いましたね(笑
実際にドラクエ3はおもしろかったです。エニックスも確かに失敗したといっていたドラクエ2の中盤に対して、
ドラクエ3は最初からじょじょに魔法も増えて武器も強くなってじわじわとおもしろくなってきて、バラモス戦で最高潮〜っ!となるように
ちゃんと作られていましたから、本当によかったですね(
゚∀゚)ノ
しかしバラモスを倒した後は………以下略(゚∀゚;)
終わりよければすべてよし=終わりが悪ければ………以下略(゚∀゚;)(゚∀゚;)(゚∀゚;)
←4人パーティーでおもしろい中盤
またもや話は業務用に、88年=小学3年生ともなってくると、それなりにゲームが出来るようになっていましたので、
温泉などに行ったときに温泉旅館にあるゲームコーナーで業務用のビデオゲームにも多少挑戦してみようかなっていう気になってきたりします。
その1……天橋立編(京都府宮津市)
日本三景の一つにも位置付けられている天橋立は、幼少の頃よりよく行きました。福知山から車で90分くらいなのでお手軽だったんですね。
海は汚いです(゚∀゚;)
天橋立グランドホテルのゲームコーナーでは幼少期にプレイを回避していたギャラガをついにプレイ(
゚∀゚)ノ
何回かやったらすぐに10面くらいまではいけるようになって、「お!結構いけるぢゃん!」とか思いながらやってました。
ギャラガやってたら別の宿泊客のおばちゃんに声かけられた記憶がありますね(笑 どこからきたの?っていう質問でしたが、
ゲーム中に声かけられると結構あせりましたね(笑
さらに橋立ビューランド(例の股の間からのぞくと龍が天をのぼっているように見えるという遊園地)
では1プレイ50円なのでさらにギャラガをプレイ。その回の旅行でギャラガは一気に20面近くまでいけるようになりました。
50円でこれだけの時間を楽しめたらいいなヽ(゚∀゚
)ノとか思ってましたね。
次の時に橋立に来た時、天橋立グランドホテルが満席で部屋がとれなくて、ホテル文殊という旅館っぽいところに泊まりました。
ええーっこんなちっちゃいところじゃゲームコーナーなんて無いにきまってるよ〜(;´Д`) とか思ってたんですけど、
なんと地下1Fと地上1Fの中間みたいな微妙なエリアに ありました!ゲームコーナー。
そこで出会ったのがフェリオス(ナムコ)です。
←フェリオス(ナムコ)
ちっちゃいゲームコーナーで中央にテーブル筐体が4×2の8台 外壁にはパチンコやエレメカなんかがあって、こじんまりとしていましたが、
とても静かでいかにも温泉旅館ゲームコーナーらしい、いい雰囲気でした。
フェリオスはヒロインのアフロディテのかわいさに惹かれたのも当然ですが(笑 デモ画面で見ると、グラディウスのオプションみたいなのがついてて
縦シューになっててライフがあって、しかもグラフィックが妙に中世的で綺麗ヽ(゚∀゚
)ノすげー と思ったんですけど、
幼少期にギャラガを見た時と同じように、むちゃくちゃ難しそうだからとりあえずこの時はプレイせず(笑 かなり弱気ですね(゚∀゚;)
横のテーブル筐体にディグダグがはいってたのでそっちばっかりやってましたね(笑
でも次の日やっぱり気になって、朝さっさと起きてフェリオスの待つゲームコーナーへヽ(゚∀゚ )ノそして100円を入れてプレイ
なんかため技までできるんですけどヽ(゚∀゚ )ノ なんかすごいぞこのゲーム!
結局最初のプレイは2面で死亡。もっとやりたいぞ!(゚∀゚;) もう朝ご飯&チェックアウトする時間が迫っていたので、
名残惜しいんですけど旅館「文殊」を後にしました。
実はこのあとフェリオスとは1998年に京都のナムコワンダータワーで出会うまで再会できないのです(゚∀゚;)
まさに幻のゲームといえましょう。
また、天橋立の最も中心街にある橋立大丸という大きめのお土産屋の奥のほうにエレメカが10台ほど置いてあったのですが、
現在はあるんでしょうか?(゚∀゚;)気になりますね。ピカデリーサーキットは当然のことながら、ラッキークレーン(ユビウス)や
ジャンケンマシーン?(じゃーんけーんぽーんズコーっていうやつ(笑))などがあったんですけど。
そういやたしたし城もあったような。
その2……城崎編(兵庫県城崎町)
かの文学者・志賀直哉も訪れたという名温泉地。そうはいってますが志賀直哉って誰やねん(笑 そんなやつは知らん!
いや 紹介の便宜上名前を利用させていただいただけであります。
城崎はもとから温泉街だったこともあってか旅館が乱立していて、インベーダーブームの名残からか、ゲームコーナーが置いてある旅館が
多数あったようです。根本的に射的やスマートボールなどの遊技場が現在も残っていますし、温泉=ついでに遊戯っていうのが
今も昔もかわらないんですね。
城崎といえば、「ホテル・ブルーきのさき」です。ここは城崎温泉街の中心からは徒歩10分くらいとやや離れているんですけども、
ホテルの規模自体が大きく、6階建てでいろいろな施設(宴会場とか以外にも屋外プールなど)があり、当然のことながらゲームコーナーも
都会の中くらいのゲームセンターレベルの広さを誇っています。
広いのでゲーム自体もわりと数があり、それなりのゲームセンターらしいにぎやかさですが、売店と大浴場通路の間のこじんまりしたところを
とおっていくこともあり、雰囲気がとてもよかったです。売店まで近いので、ゲーム→売店でアイスクリィム→ゲーム という豪遊を繰り返していました(笑
ゲームコーナーとは別に大浴場の手前になぜかエアホッケーが置いてあったのもイカスゼ
この時代のブルーきのさきではピカデリーサーカス(レジャック現コナミ)を中心としたメダルゲームを楽しみました。
またこういう場所に必ず置いてあったモナコGP?とかいうゲームは車と車がぶつかったシーンがこわくて近づけませんでしたね(笑
それはモナコGPよりも新しい時代のポールポジション2(ナムコ)も同様です。あの爆発シーンはえげつなすぎます(゚∀゚;)
また城崎といえば、日和山です。城崎駅から車で15分ほど日本海側にいったところに、日和山マリンワールドというのがあるのですが、
ここは、マリンワールド本体、レストラン街 お土産屋 ホテル金波楼のビルなど建物が乱立しており、それぞれにちっちゃなゲームコーナーが
ありました。
ここでもピカデリーサーキットがあってやってたんですが、ほかに記憶に残っているのは、
レストラン街の通路になぜか国盗り合戦(レジャック現コナミ)がぽつんと置いてあったのが印象的です。
1プレイ30円と安いので当然のことながらプレイヽ(゚∀゚
)ノ
ランプが綺麗ですヽ(゚∀゚ )ノ
何回かプレイしてようやく全国制覇ヽ(゚∀゚ )ノ!景品はやはりボンタンアメか(゚∀゚;)
さらにお土産屋の地下(地下といっても海が見える地上なんですけど)にあったゲームコーナーに
1942(カプコン)の大型筐体があったのでプレイしました。
←1942(カプコン)
現在日和山のゲームコーナーはまだあるのでしょうか…… あっても全部スト2とかになってるんでしょうね
城崎といえばもうひとつ忘れてはならないのが、西村屋グランドホテル(現招月亭)です。
ここは別館の1Fが全てゲームコーナーという気合いの入れようで、ブルーきのさきのゲームコーナーに比べて抜群の広さを誇ります。
メダルゲーム、ビデオゲームともに充実しており、
メダルゲームはルーレットゲームのソンソン(ゴールドメダル仕様タイプのもの)があり、
ビデオゲームはなんといってもスパルタンXの業務用というのをここで初めて見ました。
←スパルタンX(アイレム)
やった感想 (ファミコン版に比べて)操作性わるっ!しかも斜めジャンプはいらんし(゚∀゚;)
現在この西村屋招月亭は改装されて超高級ホテルとなり、とてもノリで一般人が近づけないようなところになってしまいました。
今でもゲームコーナーあるんですかね(゚∀゚;) 昔みたいに別館にあれば、宿泊しない場合でも入りやすいんですけど。
その3 京都編(京都府京都市)
京都でいつも宿泊していたホテルのひとつとして京都ロイヤルホテル(三条河原町)があるのですが、
ここは本当にホテルという感じでゲームコーナーはありませんでしたね(゚∀゚;)かわりに一部屋に一台のファミコンと
ファミコン初期のソフト(スーパーマリオ F1レースなど)がわんさかとついてくる豪華なホテル??(゚∀゚;)でした。
もうひとつよく利用したのがホテルサンフラワー(近鉄グループ/丸太町北白川)です。現在はつぶれちゃいましたけどね(゚∀゚;)
(現在はどこかの会社が買い取って、一応ホテルとしては機能しているようです)
地下1階の大浴場に通じる前の広間にあり、妙に真っ暗な空間にゲームが何台が置いてあるという最高の空間です。
テーブル筐体は確か2台くらいとかなりすくなかったのですが、山登りゲーム(こまや) ライオン型ピカデリーサーキット
スウィートランド(ナムコ)などが置いてありました。
テーブル筐体にはワルキューレの伝説とテトリスという組み合わせで置いてあったように思います。
↑左:ワルキューレの伝説(ナムコ) 右:テトリス(セガ)(猿)
当時パズルゲームというものの存在を知らなかったので、テトリスはどういうゲームなのか全くわかりませんでした。
猿の記憶しかないですね(゚∀゚;)その後テトリスのルールを知るのは、ゲームボーイが出て数ヵ月後です。
その頃の京都近鉄百貨店は相変わらずの盛り上がりようで、エレメカからスマートボール ビデオゲーム メダルゲームまで
充実しまくりでした。スマートボールは球ためるとお菓子と交換してもらえますヽ(゚∀゚
)ノ
エレメカ=ロックンロール カエルのなんちゃら? ルーレットゲーム系 くんふー老子 その他もろもろ
その4 大阪編(大阪府大阪市)
直接大阪に旅行に行くということはなかったのですが、京都でロイヤルホテルに泊まった時は、なぜか夏の高校野球を見に行くという習慣があり、
高校野球を見た帰りに大阪梅田の阪急百貨店に寄ってゲームを楽しむということをしていました。真夏で暑いですが夕方でいい感じでしたね。
そこで出会ったのが、エレメカなんですがコマヤのベースボールです。何回空振りしてもいいからとにかく3アウトになるまでに20点以上いれると
もう一回ゲームができるという素晴らしい仕様になっていて、ボールをバットボタンを押して飛ばして穴に入れるという野球盤みたいなやつなんですけど、
中央のルーレットの穴に入れてあとはルーレットがアウトのところにとまらないように祈るばかりです(笑
1プレイ50円(なぜか10円硬貨5枚)だったんですけど、案外簡単に20点までいけたので長時間プレイできて重宝しました。
あとでわかったんですけどこれ本当は1プレイ30円のゲームなんです。阪急百貨店ぼったくってますね…
あとこの頃からUFOキャッチャーが流行りだしたんですけど、初代のUFOキャッチャー(セガ)がここにおいてありました。
当時は100円2プレイだったんですけど、まぁ別にやろうとは思わなかったんですけど、筐体から流れてくるファミコンっぽい音で流れてくる曲が
ものすごくよくて、UFOキャッチャーの前にずっと立って聞き入っていました(笑
この曲はPOLICEのEvery Breath You Takeだったんですけど、この曲名とアーティストを知るのはそれから8年後の1996年のことでした(笑
現在(2004/11)阪急百貨店の屋上は子供向け乗り物だけになってしまい、ゲームは無くなってしまいましたが、
向かいの阪神百貨店のほうに、ベースボール ベースボール2 チャンスボール 坊主めくり 山登りゲームなど、いろいろなエレメカが多数残っています。
しかも当時の値段で遊べますヽ(゚∀゚ )ノヽ(゚∀゚
)ノずっと残しておいて欲しいですね。
(この前行ったらスペースハリアー(セガ)の大型筐体は壊れたのか電源を落として隅のほうに置いてありました。残念です)
88年の後半になってくるとスーパーマリオブラザーズ3が発売され、前作からの飛躍的なグラフィックの変化に、時代は進んだなと思わされました。
←スーパーマリオブラザーズ3
さらに89年〜90年になってくると、ファイナルファンタジーシリーズと初めて出会いました。ファイナルファンタジー2だったんですけどヽ(゚∀゚
)ノ
ドラクエと違って経験値でのデジタル式のレベルアップでなく、戦えば戦うほど強くなっていくというシステムはレベル上げを楽しくさせてくれました。
そしてドラクエとは違ってゲームの中にドラマがあり、しかもFF2はそのドラマがとても感動的で、ゲームって本当にすごいなと思った瞬間です。
←ファイナルファンタジー2(スクウェア)
スーパーマリオ3は友達とも盛り上がりました。89年=小学4年生の夏休み この年の夏休みは妙に気合いが入っていて、
夏休みが始まる前にすでに夏休みの一研究以外の宿題を全て終わらしてしまうという状況でした(笑
記憶によると、終業式の2日後の7月23日にその日プールに行かずに、友人T&Kと昼から夕方までずっとマリオ3やってました(笑
しかもこの年の4月にゲームボーイが発売されており、友人Tがゲームボーイを持ってきたので(彼の最初に購入した家庭用ゲーム機らしい)
盛り上がりまくりでしたヽ(゚∀゚ )ノ
周りを見てみると、PCエンジンがNECから発売されていたんですけど、目もくれませんでした(笑
唯一地元のデパートのデモでやっていた赤い光弾ジリオンが気になりましたが(笑
90年=小学4年生も終わろうかという2月頃にドラゴンクエスト4が発売し、こちらもやはり予約して買うほどの気合いがありませんでしたね(笑
DQ3のときのように行列ができているニュースがやっていましたが、今回は数日後にDQをめぐってひったくりどころか放火とかいうニュースが
やってましたね(゚∀゚;)どこまで進むかゲーム界ヾ(゜〜゜ )ノ
学校に行って前回と同じく同級生にDQ4の評判を聞くのですが、なんか章で分けてあるとのこと(なんぢゃそりゃ(゚∀゚;))
第1章はライアンとかいう戦士だ!という情報が。なんのこっちゃわけわからないんですが、
数日後、今回はたくさん生産していたのか、あっさりDQ4をゲット。
やってみて、第1章……ホイミンがかわいいだけでいまいちつまらん 第2章……そこそこおもしろいんですけど、むちゃですな
第3章……ツマラネー(゚∀゚;) 第4章……曲が妖しいですね(
゚∀゚) 第5章……以下略(゚∀゚;)
90年になると、ダウンタウン熱血行進曲(テクノスジャパン)がブームになり、多人数で盛り上がれるゲームとして重宝しました。
この頃86年頃のように良質のアクションゲームやアクションRPGに出会えなくなっていたので、RPGに手を出すことが多くなっていました。
代表的なのが、ファイナルファンタジー3 そしてデジタルデビル物語女神転生2です。
ファイナルファンタジー3は1を経験していないカイ・レインフォレストにとってはジョブシステムは斬新でした。また、通常のデジタル式レベル上昇型に
なっていましたので、普通のRPGとしてとらえることができました。序盤から敵がブライン・ポイズンなどの補助魔法をバシバシ使ってくるあたり
すばらしいですね。ミニマムで全員小さくなっての魔法戦など、かなりいいアイデアが序盤には詰め込まれています。
中盤がやや作りが悪い点が多く見受けられ、最終盤も結構むちゃくちゃなんですけど、それを差し置いてもわりとまとまった作りになっていて、
いい作品だったと思います。ニンテンドーDSでリメイクされるようですけど楽しみですねヽ(゚∀゚
)ノ変にポリゴンとかになってないことを願います。
あと難易度は下げないでねヽ(゚∀゚ )ノさすがに主人公に個性が無いのでドラマ性という点では明らかにFF2よりは落ちるんですけど、
それでもデッシュ エリアなどのサブキャラが存分に盛り上げてくれました。
←ファイナルファンタジー3(スクウェア)
FF3もやった頃、同じイサムラに住む歳下の某K氏がなぜか女神転生2(ナムコ)を持っていました。なぜ女神転生2を買ったのかは知りませんが
本人小学1年くらいなので、当然のことながら意味わかっておらず、そのソフトを放置状態だったようです。
それを友人が借りてきたらしく、プレイしているのを見て、「むちゃくちゃおもしろそう!」と純粋に思いました。
←デジタルデビル物語
女神転生II(ナムコ)
当時RPGの敵といえば、経験値と金にかわるだけの存在だったのに、なんか敵と話せるんですけど(゚∀゚;)
しかも仲間にできるんですけど(゚∀゚;)(正確には仲魔ですネ)
さらに仲魔同士合体して別の悪魔にできるんですけど(゚∀゚;)
ドラクエ当時から結構敵キャラにも愛着があったので、このゲームのシステムは画期的でした。
好きな敵は仲魔にして、絶対に殺さないヽ(゚∀゚
)ノ仲良く行こう( ゚∀゚)ノ
なんかこんな感じでゲームしてました(笑 やはり子供心にエルフやルサールカを殺すのは気がひけました(゚∀゚;)
本当ならピクシーも倒したくはなかったんですけど、序盤は彼女を経験値にしないと時間がかかるので残念ながら経験値になっていただきました。
そして3D視点のダンジョン。これも初体験。3D視点で移動してたら画面変わらずに敵が上から降ってきたり、下からわいてきたりと
妙にリアリティーがあって、自分が体験してるぞ!っていう感じがとてもすばらしいです。
DDS=これはゲームではありません(゚∀゚;)
女神転生2 かなり気合い入りまくりでがんばってプレイしてたんですけど、
東京のバエルを倒した後、爆心地にピラーを立てたところまではよかったんですが、その周りをぐるぐる回るという行為を知らず、一旦断念(゚∀゚;)
(ぐるぐる回るというのを知らないので、シブヤのハチ公を回ってワープする先のナーガの存在や、上野の西郷さんの周りを回ったりすることも知らなかった)
確かぐるぐる回るっていうのはシブヤのBARにいる腐った男が「ほれ、あんたもいっしょにハチ公の周りを3回まわってワンと鳴け!」
っていう感じの話を言ってたんですけど、これ本当にハチ公の周りをまわったら何か起きるなんて思わなかったんです。アホ(゚∀゚;)
←シブヤのハチ公
←シブヤのBARの腐った男
後に同級生Iの兄が攻略本を入手していたので、それを見せていただいて魔界へ辿り着き、魔界の強い悪魔をなぎ倒しながら
クリアにこぎつけました。ラスボスが実は魔界ではなく東京にいたというのもイカスゼ
女神転生の中では一番いい作品だとおもうのですが、MPの上限が99というのが非常に痛かったですね(゚∀゚;)
さらに良作のアクション、アクションRPG、シューティングなどを見つけられなかった当時、ついにディープダンジョン4(アスミック/スクウェア)という謎のゲームにまで
手を出してしまうのです。
←ディープダンジョン4(アスミック/スクウェア)
このゲーム、女神転生と同じく3D視点のRPGなのですが、敵を倒しても金が手にはいらない(゚∀゚;) 金0になったら終わりですか(゚∀゚;)
しかも戦闘でこっちの攻撃全然あたらないし(゚∀゚;) 一回の戦闘で何回攻撃みすっとんねん!しかも何分かかんねそ!(゚∀゚;)
なんか知りませんがよほどやるゲームがなかったのでしょう。ディープダンジョン4途中でやめずに最後までクリアしました(゚∀゚;)
こういうRPGライフを繰り返しながら(高橋名人はいずこ(゚∀゚;))1990年11月のスーパーファミコン発売へと時代は流れていくのです。
当然いきなり手を出したりはしないので、1991年になってから購入するんですけど(笑
その間は一人の時はRPG、多人数のときはダウンタウン熱血行進曲 だったと思います。
またこの頃になるとツインファミコンに結構ガタがきてたような記憶があります。ACアダプターは何度か壊れるし、AVケーブルも
結構限界がきてました。そこまで激しい使い方したつもりもなかったんですけど…
みなさんゲームは丁寧に扱いましょう(゚∀゚;)
90年はゲームボーイを購入した年でもありました。まぁ今思えばゲームボーイのハード性能自体は終わってるんですけど、(特に液晶(゚∀゚;))
それでもちゃんと名作が生まれてきているので、やはり購入してよかったと思います。
最初に購入したのが魔界塔士SAGA(スクウェア)とテトリスでした。ここではじめて