RainSphere Games
カイとゲーム 幼少期編
カイがゲームと出会ったのは1983年頃 ゲームセンターでパックマンと出会ったのが最初でした。
←パックマン(ナムコ)
このゲームが実に魅力的に見えたのは、今思えば敵キャラの色使いが素晴らしかったからだと思います。
よく見れば敵のおばけはかわいくて、主人公のほうがなんだか気持ち悪い卵の黄身みたいなキャラなんですけど、
当時は地元のデパートの屋上に、インベーダー時代に流行ったであろういわゆるデパート屋上系ゲーセンがあって、
そこでよく見ました。当時当然幼児期ですので、最強にゲームは下手で、一面もクリアできない状況でした。
(実は現在もパックマンはヘタクソなんですけど(
゚∀゚))
そしてデパート屋上系ゲーセンといえば、忘れてはならないのがメダルゲームです。
ルーレットゲームの一種であるピカデリーサーキット(レジャック製(現コナミ))が大好きで、いつも100円200円のお小遣いを
もらって遊びました。カイは最初からゲーセンデビューしてたゲーセンゲーマーだったんですね(゚∀゚;)
1984年〜86年になると、記憶に残るのは京都の近鉄百貨店、コマヤやレジャックのエレメカで非常に遊んだ記憶があります。
代表的なものとしては、コマヤのロックンロール、チャンスボール、ベースボール(大阪の阪急百貨店にあった)
レジャックといえば国盗り合戦です。
他にもたくさんエレメカは遊んだんですが、幼少の頃の話ですので会社名やゲームタイトルまではさすがに覚えてないのが残念です。
1985年頃にやったビデオゲームといえば、ディグダグ(ナムコ)が代表的です。ディグダグはパックマンほど難しくないので、
何回かやったら6面くらいまでいけるようになり、自分でもわくわくしながらやっていた記憶があります。
そして忘れてはならないのがギャラガ(ナムコ)なのです。当時ギャラガのデモ画面の、敵を撃破したときの得点説明の画面で、
敵が襲ってくる音のヒュルルルルル〜っていうのがあるのですが、あれがとても好きだったんですけど、
幼少のカイの胸中として、シューティング(当時シューティングゲームという言葉すら知らないですけど)はとても難しそうというイメージが
あったらしく、ギャラガを初プレイするのはこのあと1987年以降になるのです。
←ギャラガのデモ画面(ナムコ)
さらに魔界村も妙に魅力的に見えてやりましたが、当然太刀打ちできませんでした( ゚∀゚)ノ
しかしシューティングには目もくれずアクションばかりやるあたりが根が生粋のアクションゲーマーなことを示してますね(゚∀゚;)
1984年85年と幼稚園だったのですが、84年のときはすでにファミコンは発売していたにもかかわらず、全く誰ももっていなかったのか、
話題にならないので、そういう家庭用のゲーム機が存在していたことすら知りませんでした。
変わりに85年だと思いますが、ゲームウォッチのドンキーコングjr?と忍者ハットリくんを買って遊んだ記憶があります。
1985年当時、家にはPC88が置いてあったんですが、PC88の変なゲーム(今思えば同人ゲームのような気がします)をたくさんしました。
トムとジェリーのパチモンのようなものや、卵に足が生えたようなロボット?を動かして人間の基地を破壊するEGI(エギ?)
さらにはマリオブラザーズの改造版とさまざまな変態ゲームが存在していました。(今全部無いのが残念です)
パソコンだからキーボードでの操作でしたね(゚∀゚;)
しかし85年ともなると、ファミコンを持っている友達がぽつぽつと出現してくるのです。
一番最初に見たゲームが恐らくマリオブラザーズだったと思いますが、そのときどういうことを思ったのかは残念ながら覚えていません。
衝撃を受けたのはスーパーマリオブラザーズを見たときです。このゲームは本当に衝撃的で、とてつもなくおもしろく見えたのです。
当時遠慮しがちで、見てるだけでもおもしろいのでいいんですけどっていう私に友人Tがとりあえずやってみろ!と、
無理やりコントローラを渡し、とてつもなくあたふたしているんですけど、時間は無情にも待ってくれません。
←スーパーマリオブラザーズ(任天堂)
↑カイ 記念すべきスーパーマリオブラザーズ初プレイ時の再現完了(゚∀゚;)
初プレイは最初のクリボーで死んだのですね(゚∀゚;)
この事件はあまりに強烈すぎて鮮明に記憶に残りすぎです。最初のクリボーで死んで友人Tに笑われて終わりました。
コノヤロー
その後確か幼稚園を卒園する1986年3月までに確か別の友人Fの家で一度やって1−2のエレベーターまでは行けるようになった記憶があります。
←1−2のエレベーター付近
1986年4月に小学校へ入学すると兄がゲーマーな友人Aと仲良くなり、そこの家に通うようになりました。(実は家からかなり遠いんですけど(笑))
85年の秋にスーパーマリオが出たことで、スーパーマリオ大盛況の時代です。友人Aの家には常に友人Aの兄の友達もいて、
マリオを占領している状態でしたが、カイは別にマリオをやりにいっていたわけではなく、とりあえずマリオをずっと見ていたかったのです。
あの世界を眺めていると本当に楽しく、優雅に感じられました。そしてとにかく当時ゲームがうまくないので、自分よりうまい人のプレイを見たかったので、
友人Aの兄&友達がずっとマリオをやってくれているのはとてもありがたいことでした。実際自分がやるときおしえてもらえますし好都合(
゚∀゚)ノ
でも友人A兄達は本当にいい人たちで、ずっと自分たちで占領せずにやっていいよって言ってくれるんですけどね(゚∀゚;)
とりあえずあんたら見本みせろやっていう感じでした(゚∀゚;)
そしてなぜか友人A兄の世代ではサッカーが流行っていて(キャプテン翼のせいかな)当時誰もが嫌がるキーパーにカイが率先してやっていて、
友人A兄の世代ではカイの存在は都合がよかったようです。キーパーはおもしろいと思うんですがみんなはやっぱり球蹴ってるほうがいいんですね(゚∀゚;)
おかげでサッカーはキーパー技術だけどんどん向上して、その後キーパーとして学校で活躍できるようになるんですが、
現在の反射神経のよさはこのときのキーパー特訓のおかげだったように思います。
特に土曜日の午後は
3時間目が終わる(AM11:45)
↓
一斉下校(PM0:00)
↓
帰宅〜ひるご飯を食べる(PM0:05〜PM0:50)
↓
友人A宅へ行く(PM1:00)
↓
友人A宅でひたすらゲーム(〜PM3:30くらいまで)
↓
ゲームにつかれたらサッカー(〜PM4:30くらいまで)
↓
サッカーにつかれたら(〜PM6:00)
↓
帰宅(PM6:10)
という形が完全に確立されていました。運動もゲームもこなすという非常に高橋名人的子供の理想的な遊びの形といえましょう。
ここまで触れていませんでしたが、ファミコンを語る上でどうしても忘れてはならない存在が
高橋名人(当時ハドソン企画担当・現ハドソン営業部チーフ)です。
←高橋名人
やはりインベーダーから日本のゲーム文化は始まったということもあって、シューティングゲームがメインでした(スーパーマリオが出て以降はどうかしりませんが)
当時高橋名人というゲームがうまい人がいるというのは知ってましたが、実際に高橋名人のプレイを当時見ることができなかったのが残念です。
というのもうちの家が非常に厳しく、少年雑誌の類を一切買ってもらえなかったために、情報を得ることができなかったのです。
高橋名人=1秒間16連射できるすごい人というのが先行した情報になりましたが、結局16連射に意味のあるゲームといえば
よくよく考えればシューティングゲームだったんですね(゚∀゚;)
高橋名人といえばスターフォースとスターソルジャー(両ハドソン)ですが、カイは実はスターフォースというゲームをよく知りませんでした。
誰か持っていたような気もするのですが、スターソルジャーのほうがイサムラ近辺では持っている人が多かったと思います。
←シューティングの超名作・スターソルジャー(ハドソン)
1986年中盤に自分がファミコンを持っていないんですけどなぜかファミコン関係の雑誌を買ってもらえるという奇跡が起こったのです。
そこに書かれていたのは高橋名人の実物の写真からマンガのようなふきだしでスターソルジャーの写真について解説をしているというものでした。
おお!これが高橋名人か!!!
冷静に見るとただの太いおっさんなんですが、写真で見る明るそうなキャラクターと(実際とても明るい方です)頭脳的な攻略法(゚∀゚;)がとてもすごく、
名人といわれていることもあって、自分の中でも本当にネ申ランク的に位置付けられたのは間違いありません。
今思えば、あの太くてぼうしかぶってて明るい少年のようなキャラが子供受けがよくてよかったんですね(
゚∀゚)ノ
高橋名人は今でもネ申ですヽ(`∀´)ノもう一度表舞台で何かやっていただきたいところです。
今になって、当時の高橋名人の出演していたテレビなどを見るのですがやはりネ申です。
当時こういうものをリアルタイムで見れなかったのが悔やまれてなりません。
あと忘れてはならないのが、高橋名人詐欺疑惑、&詐欺で逮捕疑惑などです。
これぜーんぶウソなんですけどね。うちの学年では、私がスーパーマリオを生まれて初めてやって最初のクリボーで死んで爆笑された友人Tが
最初この情報を流したんだとおもうんですけど、
実際最初聞いたのは、高橋名人の16連射ってコントローラに磁石仕込んでやってたらしいぞ!
というものでした。実際これコントローラの構造しってる人には一発でウソだってばれるんですけど
何も知らない小学生は信じ込んで一気にウワサは広まったことでしょう。
さらに 16連射の詐欺で警察に捕まった!
これを聞いたカイ・レインフォレストはかなりショックだったと思います。
あの高橋名人が逮捕されてしまうとは(;´Д`)
しかしその後
高橋名人の16連射って腕に電極仕込んでやってたインチキだったらしいぞ!
やら 挙句の果てに
高橋名人が麻薬やって捕まった!
やら
いろいろな情報が錯綜してきたので、子供心にすごく「なんかうさんくさいな」と思うようになってきました。
その後真相は結局わからずじまいだったんですけども、SFC版で高橋名人の大冒険島が出たあたり、
あの時捕まってたらこのゲームでてないよなと思いましたが実際の真相は最近になるまで知りませんでした。
最近高橋名人が当時ゲームをプレイしていた映像を見ましたが、
本当に連射やってますやん!マジはやいし(゚∀゚;) しかも高速の連射しながらも左手ではジョイスティックを華麗に操作(゚∀゚;)
←笑福亭鶴瓶の番組で忍者ハットリくんの攻略法を紹介
そして笑福亭鶴瓶との共演!
やはりネ申
実は高橋名人が警察に捕まったという話は、一応0から話が作られたわけではなく、
当時人気絶頂だった高橋名人が、一日警察署長を務めたことがあり、
高橋名人が一日警察署長を務めた
↓
高橋名人が警察に行った
↓
高橋名人が警察に捕まった
↓
高橋名人が詐欺で警察に捕まった
↓
なぜかというとあの16連射は詐欺だった
↓
16連射は磁石をしこんでいた
↓
以下略(゚∀゚;)
と、どこぞのアフォが勝手に話を作り替えて広まっていったようです。これは本人もえらい迷惑だったことでしょう。(゚∀゚;)
実際に高橋名人本人が、「本当に捕まっていたら今もこうしてハドソンにいません」と言っておられました。ヤハリナ
うちの学年で広めまくった友人T イッテヨシ( ´Д`) というかやつは友人ではない(゚∀゚;)サッ
それから当時シュウォッチがはやりましたね。
←シュウォッチ
10秒間何回の連射ができるかというのが計測できる、ファミコンのコントローラー型の時計ですが、
現在の高橋名人がシュウォッチで連射測定されたところ、
なんと130回(途中2回ぬけたらしいので抜けていなければ132回)(゚∀゚;)
やはり今でも高橋名人はネ申です
歌もうまいし
ゲームは一日一時間
高橋名人の永遠のライバルといわれる毛利名人
実はこの人すごい知名度だったらしいんですけど、知らなかったんです(゚∀゚;)
でも本当にゲームはうまくて、太い兄ちゃんの高橋名人に対して、細くて80年代初頭のアイドルのような顔立ちの毛利名人は
力の高橋(ゲームなのに何が力の高橋なんでしょうか?(゚∀゚;))技の毛利と人気を二分していたそうです。
実際毛利名人は本当にゲームがうまかったようで、高橋名人と毛利名人は映画でスターソルジャーで対決するのですが、
映画の上では引き分けとなっていますが、実際毛利名人がギリギリで勝利しているのです。
秒間14.2連射の技の毛利名人。イサムラでは知名度は低そうだったけどあなたもネ申
毛利名人は今ではファミ通の編集部に在籍されておられるようですが、……フトッタノネ(゚∀゚;)
それに比べて各社が自社の製品の売り込みのために製造?(゚∀゚;)した各名人たち
バンダイの橋本名人やらナムコの河野名人、テクモの辻名人
はっきり言って当時この方達の名前知りませんでした(゚∀゚;)やはり高橋名人、毛利名人に比べたらザコだったのでしょう(゚∀゚;)
(まぁ毛利名人も顔しか知りませんでしたが)
1986年中盤になってくるとディスクシステムを購入する人がぽつぽつと現れ始めます。
最初に見たのは友人Tの家でのスーパーマリオブラザーズ2とバレーボールでした(゚∀゚;)
マリオ2はちょっと高級っぽくなった地面のグラフィックと毒キノコがなんといっても衝撃的でした。
←スーパーマリオブラザーズ2
For Special Players(任天堂)
友人Aの家に行くとなんと任天堂の中では結構バランスが悪く失敗作という評価をやや受けているパルテナの鏡がありました。
なんだかんだと時は過ぎていき、86年の12月25日 クリスマスプレゼントということで、なぜかツインファミコンを購入することができるのです。
ここまで長かった…(゚∀゚;)
そんなこんなで幼少期のゲームライフは過ぎていくのであります。