「強制連行」追悼碑や史跡説明、各地で撤去求める動き
戦時中の朝鮮人労働者や朝鮮人の戦争犠牲者を追悼する碑や史跡の説明について、行政が用地提供の契約更新を拒んだり、撤去したりする動きが各地で出ている。
群馬県高崎市の県立公園内にある、戦時中に徴用・動員された朝鮮人犠牲者を追悼する碑について、群馬県は7月22日、10年の設置許可を更新せず、碑を管理する市民団体に撤去を求めた。碑を管理する「『記憶 反省 そして友好』の追悼碑を守る会」はこれに応じず、10月にも大沢正明知事を相手に提訴する構えだ。
碑は、2004年に建立された。「強制連行」を「労務動員」とするなど県と文言を調整した上で、県有地内で期限付きの設置許可を得た。県側は、守る会が開いた集会でなされた発言が「政治利用」にあたると判断したという。
守る会が12年まで碑の前で開いた追悼集会で、来賓の在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)関係者が「日本政府は強制連行の真相究明に誠実に取り組まない」などと発言したことが「政治利用だ」と批判された。県の許可更新の審査は、この発言の有無を確認する形で進んだ。
(朝日新聞デジタル「朝鮮人追悼碑撤去、きっかけは抗議・批判 群馬県」より 2014/07/22 05:10)
その背景には、排外主義的な主張を掲げる団体の街宣活動などでトラブルが起きていたことがあった。
県によると、12年5月、碑前で守る会が開いた集会の様子がネット上で紹介された直後から、「碑文が反日的だ」と撤去を求めるクレームが県に寄せられ始めた。
さらに同年11月、排外的な主張を繰り広げる団体が撤去を主張する街宣活動後、公園内にプラカードなどを持ち込んだため、公園管理職員が伏せるよう指示。だが、団体側は碑前で横断幕を広げて写真撮影しようとし、制止する職員と小競り合いになり、県警高崎署員が駆け付けた。
県の古橋勉・県土整備部長は取材に対し、「撤去を求める団体が来て騒いだ事実があり、今後も起きる恐れがある。論争の場になることは都市公園としてまずい。不許可は公園管理者としての責務だ」と話した。
(毎日新聞「群馬・朝鮮人犠牲者追悼碑:排外団体と職員もめ事」より 2014/07/29 07:10)
群馬・朝鮮人犠牲者追悼碑:排外団体と職員もめ事 - 毎日新聞 http://t.co/0Xu92008kI これは在特会ではなくそよ風・村田春樹系統。完全に市民運動然としたたたずまいに注目。→https://t.co/KngdJvHJD8
— C.R.A.C. (@cracjpn) 2014, 7月 29
奈良県天理市では戦時中の軍事施設、柳本飛行場跡に1995年に設置された説明版が、2014年4月に市によって撤去された。
説明版はステンレス製、縦80センチ、横1メートルで、同市遠田町の公園内に設置されていた。市史から抜粋した飛行場の説明に加えて、「多くの朝鮮人労働者が動員や強制連行によって、柳本の地へつれてこられ、きびしい労働状況の中で働かされました」「『慰安所』が設置され、そこへ朝鮮人女性が、強制連行された事実もあります」などの記載があった。当時の朝鮮人労働者らから聞き取りした証言の一部も引用されていた。(中略)
市は4月22日、検討会を開き、説明板への問い合わせに対する回答文をまとめた。それによると、どのような資料を根拠に設置されたのか、どのような経緯で現在の場所に設置されるに至ったのか、調査したがはっきりしない▽さまざまな歴史観がある中で、「強制性」については全国的に議論されており、国もあらためて検証する方向を示している▽国の動向も見ながら専門家による検証を見守る▽設置しておくと、市、市教委の公式見解としてとらえられるので、いったん取り外し保管している―などとした。
(ニュース奈良の声「奈良県)天理市が柳本飛行場・朝鮮人強制連行の説明版撤去 設置から20年、何が変わったのか」より 2014/07/26)
同様の例は、福岡県飯塚市、大阪府茨木市などでも起きている。飯塚市は右翼的な主張を掲げる政治団体の日本会議が市に撤去を求め、茨木市は「国を挙げて、河野談話を否定していただきたい」との主張を掲げる木本保平市長が大阪府に撤去を要請している。
一方で長崎市の平和公園内にある「長崎原爆朝鮮人犠牲者追悼碑」とその説明版も、「日本が朝鮮を武力で威かくし、植民化し、その民族を強制連行し、虐待酷使し、強制労働の果てに遂に悲惨な原爆死に至らしめた戦争責任を、彼らにおわびする」との記載を問題視した指摘が市にあったというが、市は設置継続を認めた。
戦時中の朝鮮人の「強制連行」と呼ばれるものについて、東大准教授の外村大氏(日本近現代史、在日朝鮮人史)は、国家総動員法に基づく「募集」「官斡旋」「徴用」など13の形態に分類し、用語自体が「しばしば多様な使われ方をしている」とした上で、以下のように指摘している。
動員される側から見て、国民徴用令の適用による動員とそれ以外の戦時動員が区別されるような質のものであったかどうか、という問題を考える必要がある。つまり、制度を規定した文書や法の文言ではなく、動員の実態はどうであったか、である。動員する側が募集だ、官斡旋だ、徴用だ、といろいろ名称を変えたにせよ当時の朝鮮人にとっては、自分の意思に反して連れて行かれ労働を強いられたという点では同じだったのではなかろうか?(中略)
実際に同時代の史料から見て、割当募集や官斡旋段階においても、公権力を背景とした強制力によって労働者の充当がなされていた。したがって、労働者送出段階の実態、そこにおける国家権力が介在した暴力性の有無について、国民徴用令の適用による動員とそれ以外の動員を区別することは意味がない。あえてそれを区別し強調する論者に対しては、日本国家が朝鮮人に対して行った人権侵害を隠蔽しようという意図を持っているのではないかという疑いを抱かざるを得ない。
(外村大研究室「朝鮮人強制連行―その概念と史料から見た実態をめぐって―」より)
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