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特別番組 矢沢永吉 ALL TIME  HISTORY ?A DAY-

独占インタビュー全文

曲「IT’S UP TO YOU!」

横山健(以下、「横山」):そうですね、もう矢沢さんをミュージシャンとして知ったのはいつだか分からないくらいですね。中学生の時には「RISING SUN」というアルバム、LPをもうなぜか自分で持ってましたし、なんか友達と学校で「YAZAWA聴いた?」みたいな、そういう感じだったので、「いつから」というのは、もうはっきり覚えていないくらいです。

加藤ひさし(以下、「加藤」):彼を知ったきっかけというのが、1970年代に入るんですけど、確か僕は中学生で、ビートルズが大好きだったんですよ。で、日本のいわゆる歌謡曲と言われるようなものはほとんど聞いていなくて、でもまあ友達の家とかに遊びに行くと、もうお兄さんのレコード棚には必ずキャロルのレコードがあって、で、それがもうターンテーブルの上に乗せてあるんですね。「昨日も聴いたぜ」って感じで。

石坂敬一(以下「石坂」):矢沢永吉は、キャロルの時代とソロの時代の初期を通じて、日本のロックに原型を与えたのと、大衆性、人気を与えた。これは非常に重要なことで、日本のロックは観念論に流れるきらいがある。それに対して矢沢永吉は初めてヒットチャートに登る日本のロックを作った。これは大変なことですね。

加藤:ビートルズの初期にすごい似てる音楽だなと思って、ちょっと好きになったんですね。日本のそういうロックバンドでもしかしたら、気になって好きになって、それこそレコードを借りて家でも聴いてみようと思ったのは、キャロルが最初だったかもしれないですね。それが僕が矢沢永吉という人との出会いです。

大宮エリー(以下、「大宮」):「成りあがり」という本を読みました。ちょうど家のお風呂が壊れちゃって、冬だったんですよ。すごい寒くて、銭湯行こうと思って、朝3時でしたが、調べたら後楽園がやってると書いてあったんで、タクシー拾ってその時に「あ、そうだあの「成りあがり」を読もう」と思ってばってタクシーの中で読みながら行ったんですよ。後楽園まで。その時涙が直角に出ちゃってこうびゅーって。もうこうじゃなくって、びゅーというふうに。あんな経験初めてでした。

今井智子(以下、「今井」):きっかけはやはりキャロルですよね。キャロルが登場した頃に、仲間内ですごい評判で、話題になっていました。すごいバンドがいるよ、と。私はそんなに見たことがなかったのですが、知り合いの男の子たちが夢中になっていました。追っかけのようにライブに行ったりしていて。

横山:いや、もうそれは、小学生に毛が生えた程度だったので正直言って(音楽の良さ等は)分からなかったですけど、「これ聴いていたらワルだ」みたいな、そんな感じでした。

今井:一度何かのイベントに行ってみて、ちょっと怖いわ、と思ったんですけどね、正直。あの頃まだああいう革ジャンのバンドなんて見たことなかったんで。いやあでも、その強烈な印象というのは忘れがたいものがありますね。

横山:ところが、「RISING SUN」には、あの、「YOU」という曲も入っていたりしてけっこう洗練された曲ですよね。これのどこがワルなんだって正直思ってましたね。ただYAZAWAって口にすればかっこいいって思える自分がいました。

曲「YOU」

大宮:対談でお会いしたんですけども、まあその対談は女性誌の対談で、初回だけ自分の好きな人を、言ってもらってもいいですよって言われたんで、じゃあ矢沢永吉さんに会ってみたいって思ってですね。ムリだろうなって思って言ったら、ゲストに来てくださるということで。もう編集部全員がびっくりしちゃったという状況で。

今井:初めてインタビューをさせていただいたのは、ゴールドラッシュが出た時なんですけど、その時とても印象的だったのは、あの当時まだ日本人のアーティストの方で、ホテルでスイートルームを取って、そこでインタビューを受けるなんていうことをおやりになる方はほとんどいなかったんですね。それで取材をさせていただけることになり、スイートルームに伺ったんです。矢沢さんはもうお部屋に入っていらして、行くなり「よろしくお願いします」って言ったら、「何か飲みますか?」って優しく言ってくださって。「ルームサービスでも何でも取りますよ?」なんて、仰ってくださって。何て優しいんでしょうって思ったんですけどね。
ちょうど「成りあがり」も出た頃でしたし、あれは。ですから色んなパブリックイメージが彼についていた、つき始めた時期だと思うんですね。

大宮:もう、あれ教科書にしたほうがいいと思ったんですね、学校の。なんか知識とかそういうものを教えるだけでなくて、生き様を教えないといけないじゃないですか、学校って。だから、義務教育で「成りあがり」を皆に読ませたらいいのにって思ったんですよね、って話を矢沢さんにしたら、嬉しいねって言ってくれて。あ、(こういう話)大丈夫なんだって。それが、話のきっかけだったりして。

石坂:私は東芝EMIにいて、キャロルをやりたかった。でも結局環境によって、私、洋楽でしたからできなかった。けれど矢沢永吉をぜひ自分で担当したいと思って。1980年代の半ばに矢沢さんにOKをもらいに。説得というか説明に行って、OKを頂戴したと。それから東芝EMIをやめるまで矢沢永吉は東芝にいてくれた。すごいですよ。

横山:もう忘れもしないんですけど99年です。で、雑誌の対談でそれまでには僕、もう29か30になっていたんですけども、まだ29だったかな。やっぱり小学生に毛が生えた頃とは違って、もう生き方含めて全て好きになっていたので、こちらからすごくお願いして雑誌で対談を組んで頂いたのが、出会いのきっかけですね。
まあ、すごかったんですよ。撮影とかも全部見させてもらったんですけども、こっそり影から。もうものすごい自分のペースを持ってて自分のやりたいことがしっかり分かってて。で、対談の時になると今度は、僕のことをすごく聞くんですね。当時僕はレコード会社を独立したばっかだったので、そこがものすごく興味持ってもらったみたいで。どういうことなの、ねえ横山くんこれってどういうことなの、この走り方ってどうなの、とすごく質問されてほとんど僕の話で終わってしまったんですね。結構大きくなると自分語りする人が多いじゃないですか、そうじゃないんだなというのがすごくその時思いました。

加藤:まず僕が作詞の依頼を矢沢さんから受けたのが1999年で、その年の武道館のライブに招待してくださったんですよ。そこでレコード会社のディレクターが、挨拶してくれって話になって。

横山:それまでよくね、僕、人のオーラがとか、人の目に見えない歴史がとか、そういったことを人を語る時に使ってたんですね。その瞬間止めました。なんでかって言うと、矢沢さんはオーラとか、そりゃものすごいですよ。でも、そんなんでなくてあの人、生身がすごいんだって、その時に言語化できるくらいはっきり分かっちゃったんですね。

加藤:矢沢さんが向こうから歩いてきて、ディレクターが、「今回作詞してくださった加藤さんです」って紹介してくれて。そしたら開口一番、矢沢さんがいきなりがっちり固い握手を交わしてきて。「大きな方だね?」って。「君の詩、いいと思うよ」ってすごい第三者的に言われて。「今日ぼく、疲れてるから、このまま帰るから」ってそれで帰っちゃった。だから三言くらいしかしゃべって無いというか。

曲「ウイスキー・コーク」

石坂:それから、YAZAWAって自分のこと言うでしょ。あれは客体としての自分を見ている。客観性の表明であって、自信があるということと、あと魅力を作っているね。あれ似合う男はほとんどいない。

今井:自分に対して溺れないというか、非常に客観的にいつもご自分を見ているような気がするんですよ。ですから、矢沢さんの真似をするときはみなさんこう、「YAZAWAがね」って自分のことをYAZAWAって仰るのを真似しますけども、あれはその一つの表れではないかと。なんか矢沢永吉というそういう存在を彼自身が客観的に見ている。その表れが自称というか、YAZAWAでという言い方なんじゃないかと思うんですよね。

大宮:ミュージシャンでありアーティストなのに、何ですかね、そのきちんとした大人というか、ビジネスマンでもあるというか、切れますよね頭が。本当は頭はいい。

石坂:外観は派手で、内面は堅実。これがかっこいいんですね。矢沢永吉は非常に頭がいい。この使いこなしができるというのが、短期的にはやる人もいるでしょうが。外観が派手で内面が充実というのは、なかなか難しい。しかも、それを長期的に維持するのはね。

大宮:なんか、そういう時はこうするんだよとか、俺はこうしてきたみたいなことをばんばん言ってくれるんですけど、それがいちいち参考になるというか。

石坂:頭がいいっていっても、じゃあどこがどうというのは分かんない。けれど本当に素敵な男だ。

曲「Risky Love」

矢沢:あっという間だったですね。40周年を去年やって、でも年明けたでしょ。もう41年。いやあ、あっという間でしたよ、(ライブ)やりまくってましたからね。キャロルからデビューして、で、ソロになり。ソロになったらもう否が応でも全国的に、ライブ、ライブ、ライブってやることに。それこそね、津々浦々行きましたよ。もう大きな都市だけじゃなくて。それがやっぱりあれかな、今振り返ってみると、選挙じゃないけど、バンド、音楽の全国区じゃないですけど。うーん、ドサ回りというのかな。ドサってのは、なかなか渋い言葉だと思うんですけど、それを年間120(回)とか、毎年毎年やってた。それがやっぱり矢沢永吉って言ったらもう、全国的に見に行きたい(と思ってもらえるようになった)。最近、また誰か言ってたね。でかい都市だけ、しかもでかいホールだけでやってるってのは違うんじゃないかと。もっと大事なものってのは、言葉こそドサだけども、津々浦々を(回って)見せていくということがどれだけ大事なんだ、と。それがやっぱり、ひょっとしたら今41年目、まだスティル・ロックシンガーをやれるってことの源はそこにあるんじゃないかということを、言っている人いますよ。いや、僕もそれそうだなと思います。うん、あっという間にきたなーって感じしますね。それで、それをまた楽しみながら。まあそのかわり怒りながらね。ぶちぶち言いながら、でも止めなくやるんですよ、人は。なぜぶちぶち言うかって言ったら、やっぱりほら、なんで俺はおんなじことばっかりの繰り返しやってんだ、こんな明けても暮れてもライブ、ライブでって言いながら。実はそれが一番好きなんだよね。引き出しを引いてみたり出してみたり、やっぱり演出にしても打ち出し方にしても、もっとこういう風に変えたら面白いかな、ああいう風に変えたら面白いかなって。ニューアルバムが出て、何して、日産スタジアムで(ライブ)やって。で、そう思ったら今度は「ALL TIME BEST ALBUM」を今年ボーンと出してみて。ここで、何?ベスト盤がくるのか?という出し方。いやあそんなもんいたって、逆に普通だったかもしれない。
新作が早いだ、ベスト盤が遅いだという問題じゃなく、面白がってこう、やってやってやりまくってたらば、あっという間にこの41年経ったという感じですかね。

曲「PURE GOLD」

石坂:例えば、ロックンロールは、エルヴィス、あるいはビル・ヘイリー、ジェリー・リー・ルイスで始まったとして、その要素は書物では書かれるけど、なかなかそれを実現するロックンローラーっていないんですよ。キャロルはそれに近かった。要するに、エネルギーの燃焼というのはなかなかできない。だから矢沢永吉は、キャロルの時代を通じて、その莫大なエネルギーを発散し、消化した。

今井:割に矢沢さんはロックンロール、ロックというイメージが強くて、しかもキャロルというスタートがありますから、なんかスリーコードのロックンロールの人なのではないかみたいにみんな思いがちなんですけど、実は彼のメロディーってものすごくバラエティに富んでいて。しかも決してロックンロールのベースを外れていないし、加えて、いわゆるロックの王道の良さというものをすごくご存じだと思うんですね。70年代、80年代の非常にロックが豊かに実っていた時期の音楽というものを彼はすごくいっぱい聴いていらして、そこから吸収したものも自分の作品の中に反映させている。自分をそこにおいて、遜色ないものを作るというスタンスなんじゃないかなという気がしますね。

石坂:最初に聞いたのはキャロルのころだから、何とも言えない。初期のローリングストーンズを聞いたような、エネルギーを感じたけど、その後どんどん彼自身、同じグルーブだけど多少変わってきて。バラードも本当に歌手としていい声で、上手いなと思いますね。そういう風になっていくのが王道ですよ。

横山:すごいですよ。声量もすごいし、技術もすごいし。すごいです、本当に。で、努力もすごいし、きっとすごいケアしてると思うんですよ。歌うために、色んなもの犠牲にしていると思うんですね。僕そんなことしないですもん。僕、タバコ吸いますけど、タバコか歌かって言ったら歌辞めますってくらい。そんくらい軽くロックンロールしているんですけども、あの人は口ではロックンロールってのはさ、こう、シンプルに、て言うけど。ものすごく努力してる人だし、ちゃんと技術身に着けて。うん、もうアップテンポのものからスローバラードまで全部自分のタイム感で歌いこなす人ってなかなか、本当にロックンロール上がりの人でいないですよね。

大宮:私、父親が、アンディ・ウィリアムスが大好きで、レコードでいつもアンディ・ウィリアムスを聞いてたんですよ。だから、歌を歌うってああいう感じがしてたんですけど、初めて、日本のシンガーでああいう歌を歌うという感じの人だなあって思って。だからなんですかね、なんか永ちゃんに会った時もライブ行った時に、「どうだった?」って言われて、もう思わず歌うまいですね〜とか言っちゃって。もう、だめですよね。なんかすごいシンプルな感想になっちゃったけど。

今井:バラードというものにまた目を向けますと、代表曲の「時間よ止まれ」を始めとして、やっぱり1回聴いただけでみんなが惹きつけられるようないいメロディの曲も多いと思うんですね。それもやはり単に日本人好みの、なんていうんですか、ちょっと泣きメロとかいうんじゃなくて、もうちょっとこう、バタ臭い感じの、バラードだったりするので。やっぱりロックバラードから始まるいわゆる洋楽のバラードの、何ていうんですかスタイルというのも、矢沢さんはちゃんと研究して吸収して、自分の作品にも反映していらっしゃるんじゃないかという気がしますね。

曲「時間よ止まれ」

石坂:作曲は矢沢永吉で、歌詞をプロの作家に頼んでる。しかし、プロの作家は矢沢永吉のイメージで書いている。

今井:きっとその歌詞を頼まれた人が、YAZAWAという人に歌わせたいということが明快に生まれてくるんだと思うんですね。多分矢沢さんの曲はだいたいメロディが先にあって詩を発注されるんだと思うんですけど、そうするとその曲が持つイメージから、そして矢沢永吉が持つイメージを擦り合わせて、詩を書く人がこうYAZAWAになりきって書くというふうな構図があるのではないか、と私は想像しているんですね。

加藤:やっぱり、矢沢永吉というアイコンがすごいでっかいじゃないですか。だからもう僕の中だともうエルヴィス・プレスリーと、トム・ジョーンズがくっついたみたいになってるわけですよ。まあ、わかりやすいんです。ゴジラだったり、スーパーマンだったりみたいな。だから、そういうの任されると、もう彼になりきるしかないですよね。だから、自分の加藤ひさしが、もちろん持ってる世界なんだけど、とても僕じゃ歌いきれないなというそういう歌でも、永ちゃんが武道館とかでがっつり歌ってくれたら、もうそっちの方が俄然、説得力が出てくるんじゃないのかなというのがあったんですね。

今井:最新作ですと、「Last Song」という最近出たアルバムで、馬渕大成さんが書いてらっしゃるんですけど、彼は初めて起用されて詩を書いたんですね。ですけど、聞いたところによると、本当に矢沢さんのそれこそ「成りあがり」から何からいろんなものを読み漁って、もう矢沢さんになりきって書いたという風に言ってたと聞きまして。やっぱりみんなそういう風になって書くんだろうなーという風に(感じました)。矢沢さんに歌ってほしいがために、YAZAWAになり切って詩を書くということが、ああいう詩を生んでるんじゃないかなという気がしますね。

曲「鎖を引きちぎれ」

矢沢:ただ嬉しいのは、ああ60歳までこう歌い続けられて良かったなって思います。というのはね、たぶん60歳になっても、それこそ、スティルロックシンガー、いわゆる芸能界でも過去の名前で食ってますってんでなくて、本当にスティル・ロックですよ。スティル・ライブですよ、まだね。スティル・現役ですよね。これありがたいなと思うね。するとね、今まで思ってもいなかった見たことない景色が見えてくるの。例えばどういうことかって言ったら、さっき言ったことです。あれだけ上に行きたい、俺は絶対お金持ちになりたい、サクセスしたいって思ってて、表面的な単純的な分かりやすい言葉だけで自分をこうケツ叩いてた自分が、そうじゃねえんだと。歌えることとか、この俺のライブを見るためにチケット買ってくれる人がいっぱいこんなにいるんだと。俺幸せだな、という景色が見えてくるんですよ。俺こんなこと言ってなかったですよ、若い時。むしろぶうたれてましたもん。なんだよオメエ、明けても暮れてもライブ、ライブ、ライブって、俺は何これしかないのかと。だから、ものすごい酒飲んでましたよ。嫌だからじゃないですよ。街から街に行くとね、バスに揺られ、電車にホテルに、と行くとね、酒飲まないとやってられんないわけよ。
ライブ=酒みたいな。もうイコールにある。そんで、メンバー連れてバックメンバー連れて裏方連れて行ったらもう、飲み代だけで何百万になるわけ。僕だってピークのころね、ワンシーズンだけで800万とか飲んでましたもん。そしたら当然うちのね、会社がね、やっぱり言うわけですよ。「ボス、ちょっとこの飲み代なんとかなりませんか・・・」と。俺ブチ切れたもんね。お前ら机の上でモノ言ってるやつが何が分かるつって。これはお前、俺たちガソリンなんだよ、って言って飲んだの。で、街から街にライブやったの。今思ったら懐かしいね、あの頃。最高だったですよ。まあそういうことやって、あっという間に年間120回。120回を年間やるってったら、リハーサルだ、移動日だでなんちゃらかんちゃら入れたら200日は軽く行けますよ。365日のうち200〜250日。リハーサルも全部入れたら、あと残りちょっと。それにインタビュー受けたり、レコーディングで今度スタジオで、って言ったら文字通り音楽人生ですよね。ふと、なんだよ俺にはこれしかないのか、と思ったりする40代なんかがあったですよね。あったけど、30代、40代になったたら、自分を今度はクエスチョンしてみたり、この辺の側面から見つめたりする。やっぱりあるじゃない、40代ったらまだまだオッケー、分からないまだ。掴みどころがないから、あの、グチ言ってみたり、あがいてみたりする30代、40代でしょ。でも、それも超えて、ここに来ると先ほど言ったように、今まで見れなかったものが見えてきたね。景色が。だから、60代に入ってもこうやって現役でライブやれてる自分に、あーよかったって思いますね。これ俺もし50代の頭ぐらいで、シンガーやめてたら、ここの景色は見ずじまいで。いやあもう、ツアーばっかりで飽きたよってことで終わっちゃったかもしんない。今飽きたと思わないもん。だからさっき言ったじゃない。来年また俺本数増やすんですよって。なんかまたやりたいと思ってますもん。

加藤:矢沢永吉の武道館ライブやその他のスタジアムライブも行ったんですけど、永ちゃんもすごいんですけど、来ているファンの人がまたすごいんですよ。もう本当にほかのロックバンドのライブではお見かけしないような方ばっかりで、しかも熱くてそれがね。実は詩を書く上で一番重要だったかもしれない。ていうのは、僕はやっぱり自分の中で矢沢永吉というそういうアイコンを大きくしていってるんだけど、実は聞いてる連中というのがどこまでそれを楽しめるかという方が全然大事で。パーッと見渡した時に、この人達が来年もここに来るぞというような、なんかそういう言葉がステージの上からどんどん出てこないと、矢沢永吉の魅力が半減しちゃうんじゃないかなと思って。だからただ詩を書いただけではなくてやっぱりライブを見て、作られたCDも聞いて。その中でライブというのはすごい大きかったですね。

今井:やっぱり一言で言ってしまえばカリスマ性ということになるのかもしれないんですけれど、矢沢さんのこうお客さんを掴む力というのはなんというか、もう素晴らしいものがあると思うんですね。で、矢沢さんの音楽だけでなく、存在や生き方や全てを含んだところで熱心なファンになった方がいっぱいいらっしゃることもあると思うんです。やっぱり矢沢さんのあの一挙手一挙動にみなさん反応して一緒に歌ったりタオル投げたり、いろんなことをして一緒に盛り上がるじゃないですか。あのなんか一体感というものを矢沢さんはとても上手くこう引き出してらっしゃって、掌握して、それをまたお客さんに楽しませるという、やり取りを非常に上手くやられますよね。もうさすがに40年やってらっしゃると。その辺はもう素晴らしいパフォーマーだと思いますね。で、その歌やサウンドをじっくり聞かせるのももちろんですけども、見せるということもすごく考えてらして、だからセットもいつもとっても凝っていたりとか、時にはバイクが乗っかっていたりとか、それこそ隅から隅まで走り回ったりとか、タオルを振り回したり、あるいはこう得意のマイクスタンドを振り回したりとかって、ああいうなんか外連のあることもちゃんとツボを心得てやってらっしゃるという、やっぱりあの辺の見せ方というのはさすがだなと思いますね。

加藤:永ちゃんのライブというのは、みんなの中でお祭りになってるよね。だから年に一度、この日のために俺頑張ってきたし、来年もここに来れるように一年頑張るみたいな。特に武道館ライブですね。それはいいことだし他のアーティストではあんまり考えられないというか感じられない部分だから。そこはやっぱりYAZAWAオリジナルで。もう永ちゃんがライブやる限りそういうライブを続けていって欲しいなって。

今井:矢沢さんをずっと撮ってらっしゃるカメラマンの一人で三浦憲治さんという方がいらっしゃるんですけど、彼が昔言ってたことで、YAZAWAはどっから撮ってもフォトジェニックなんだよって。普通ステージを走り回ってる時にやっぱりアウトテイクって絶対カメラだったらあるじゃないですか。でもYAZAWAの場合はそれがないんだよって仰ってて、まぁそれはもちろんシャッターチャンスを上手いとこ狙ってらっしゃるところもあると思うんですけど、それに加えて矢沢さんのステージにおける、なんて言うんですかね、常に張り詰めてらっしゃる、どっから見られても大丈夫という姿勢が写真にも現れてるんじゃないかなぁ、とその時思いました。

石坂:そりゃぁ、作品がいいからですよ。ライブの演出、どこまでどういう風にやってるのか、私はわかりませんが。何度も見ましたけど、そういう意味では矢沢永吉は常に作品がいい。基本ですよ。あとみんなを魅了する作品が多いからコンサートは否が応でも盛り上がる。音楽家は音楽がよくないと。(矢沢永吉は)それができる。

曲「アリよさらば」

矢沢:「Last Song」もリリースし、40周年のライブ“BLUE SKY”もやり、もうやりまくって十分じゃない?いやいやいや、こうやってね、数年前から僕はちょうど夏フェスにも手を出し始めたんですよ。なぜ夏フェスに手を出したかというと、いろんなインタビューでも言ってんだけど、矢沢永吉の名前は知ってるけど本物のYAZAWAのライブを観たことがないという人がいっぱいいるんだよ。もちろん、僕と近いような年齢層の人は、そりゃもう永ちゃんのライブ知ってまんがなって奴はいっぱいいるけど、確かに、今の10代、20代の夏フェス専門で行ってる若い世代の人たちはE.YAZAWAって知らない人はいないですよ。でも、生のライブは見たこといってのがいっぱいいるじゃない。「あ!そうか、こういう人にも見せなきゃいかんな」というのが、夏フェスのスタートだったのよ。案の定、やればやった分だけ反響はすごかったですよ。なんで今まで自分は矢沢永吉を見なかったんだって、「今からでもおくればせながら観たいです」という手紙が来て、案の定やってよかったよね。そして、このベストアルバム「ALL TIME BEST ALBUM」が今年出たわけですけど、いいタイミングに出たんじゃないですか?やっぱり名前は知ってたけどYAZAWAのことは、まだまだ扉を開けたこともなかったんだけど、今はものすごい興味を持ってるんだよねという人たちから見たら、まずどれから入ってみようかという時にベスト盤が必要だよね。この「ALL TIME BEST ALBUM」が、ものすごい数で売れるじゃないですか、今。おかげさまでありがたいことですよね。たぶん、買ってんじゃないですか。ファンは、まぁこう言ったらおかしいけど買うでしょ。けどここ最近YAZAWAに、ものすごい興味を持ってるんだよねという、過去はファンじゃなかった人たち、若い今の20いくつの人たちとかはちょっとこれ聴いてみようって手を出してんじゃないですか?そうじゃなかったらあの枚数売れないですよ。今ものすごい枚数売れていますからね。

大宮:ライブに行きたいって(矢沢さんに)言ったら、いつだったかな、「アウェイのYAZAWAを観に来てくれ」って言われたんですよ。「え?」って。「ホームのYAZAWA」と「アウェイのYAZAWA」があるんですって。「ホーム」は日本武道館でやるということだったんですけど、そこよりも「アウェイのYAZAWA」を観て欲しいって。ROCK IN JAPANだったんですよね、で、「サプライズで出るから、シークレットだから」って。でもシークレットで出て、時間は朝9時だって言うんですよ。チャレンジャーすぎないかなと思って。なんで、永ちゃんって自分に刃(やいば)を向けるようにチャレンジしていくんだろうと思ったんですけど、「もう絶対に行きます」って言って、ROCK IN JAPANに行ったんですけど、そしたらまぁサプライズだからさ、永ちゃんファンなんかいないわけですよ。うん、しかも若者ですよ。「矢沢永吉?えーどんな感じ?」という感じでみんな来るじゃないですか。ちょっと観てやろうじゃないの、みたいな感じで。私はその奥の野原でハラハラして見てたんですけど、でも多分少しはいたんだよね、永ちゃんファンの人。もう年季はいった感じの。で、やっぱ歌うたびにタオル投げるんだけど、何本かだけよね、最初は。わぁー、どうするんだろって思ってたら、やっぱり永ちゃんがわぁーって凄いパフォーマンスするから、かっこいいんですよね。本物ってやっぱ強いなって思ったんですけど、でも初めて矢沢さんの音楽聞いた人もいると思う。10代、20代。その人たちが「わぁー」ってなっていく瞬間を見ちゃったの、私は。うわぁー、かっけぇーみたいな、だんだん人が増えていって、で、みんなとりあえず、「あ、投げんだな」って感じで、かばんとか投げ出して、ペットボトルとか、持ってる物みんなが投げて全員がぶぁーって最後に投げるわけ。そん時、もう泣きそうになりましたね。すごい持っていったなぁと思って。それで、「ありがとう!」って帰ってく。バァーって。その残された人たちは、うわぁーってなってて、その後永ちゃんのタオル売り場がもう長蛇の列。

曲「バイ・バイ・サンキュー・ガール」

矢沢:「実はあの、30年くらい前にですね、今の自分をだいたい計算してました」ってそんなのあり得ない。それは嘘だよ、いやいやいや、大昔なんて僕、キャロル解散してソロになった時なんか、自分がどこら辺に走ってんのかどこの位置に立ってるのかすらも分からなかったですからね。ただがむしゃら。街から街を、ライブやって酒飲んで、ライブやって酒飲んで、もうやりまくってたってことしか印象なかったし。それでまさか60歳になっても現役でやれてるなんて30歳のころ思ったこともなかったです。ただ理想として、30歳の頃ね、「50代になっても万単位のところね、野外の3万とか5万ぐらいのところでわぁーっとやる中で「アイ・ラヴ・ユー, OK」歌いてぇよなぁ」ってことは、実際僕、言いました。でも、それが実現するかどうかなんて思ってはいなかったですよ。ただ理想。そうなる男でいたいなぁとかね、そういう風になりたいとか言ってましたけど、まさかまさか50歳、60歳でやっているとは思わなかった。あの頃はね。今は、ただ「もうどうする?」って言ったら、いやいやいや、もう音楽やめるわけにはいかないでしょ、というところですね。止めて何にするんですか?多分これ、ミック・ジャガーなんかもみんな一緒だと思いますよ。エアロスミスも全部そうなんじゃないの?多分、彼らも同じこと言ってたはず。30代の頃に。「金稼ぐだけ稼いで飛ばすだけ飛ばして、ちょうどいいところで早くリタイヤして。老後は余裕でサンキューって言う風に俺は生きるために今走るんだ」と思ってたはずよ。20代後半とか30代とか。だけど60代になってきたら、あーもうやめることはできないんだ、なぜかと言うと、「だってこれが俺がやってきたことだから」という、つまり、答えがないんだよね。多分そういう風に、みんな止められないんじゃないですか?いや、やめることないし。歌えるんだったらね。やめるとしたらね、自分の意思じゃないところじゃないですか?例えば、声が出ない、あのひねりが出ない、クイックであのマイクターンができない、あのパワーが続かない、あーもうだめだ、やりたいんだけどさ、もう無理だよ、体がもうギブアップしてる、もうできないと言っている、だったら、渋々マイク置くしかないよね。だから答えがわかったのよ、あー、若い時には「お金持ちになりたい、金儲けてやるぞ」ってあそこに行ってやるんだって平気で僕は言ってたからね。そりゃもうビートルズとかもみんな言ってたはず。ジョン・レノンもみんな思ってたはずよ。でも本当に食べれるようになった時に「お金じゃねぇんだよな」ってところに行くんですよ。ちょっとかっこいいけどね。かっこいいけど行くんだよ。で、そこに辿り着かなければならない。で、辿り着いたら本望。幸せだよね。だから少ないなりにも結構そういうところにYAZAWAだって来たかもしんない。「あ!金じゃねぇよな」って。おっとっとっと銭、金じゃないよな、俺もちょっと生意気なこと言えるようになったなと。若い30歳くらいのとき、「銭、金じゃありません」って言ったら「お前、ふざけんなよと金だよ」って言ったもんですよね。

横山:そうですね。好きな曲がいっぱいあるんですけども、やっぱり「アイ・ラヴ・ユー, OK」が好きです。初めて自分で18歳の時に、スローバラードを僕も作ってみたんですよ。「アイ・ラヴ・ユー, OK」がすごく頭の中にあって、(その曲を作って)母親に聞かせたら、「あんた、100言ってもしつこいところ120言っちゃダメよ」と言われたんですよね。「アイ・ラヴ・ユー, OK」ってそんな手応えが自分の中にあって、でも僕は母親に聴かせて(そのスローバラードを世の中に出すのを)断念したけれども、世の中に出しちゃってそれでもうバァーンってこうね、いまだに僕も(「アイ・ラヴ・ユー, OK」は)ライブで歌いますし、だから歌詞がどうこう、メロディがどうこうというよりも、それをやった矢沢さんが好きですね。その曲が一番好きです。

大宮:一曲その中でもね、すごくいいなという曲があって、いいなというか新しいなぁって思う曲があって、「アイ・ラヴ・ユー, OK」という曲でした。「すごい新しいな」って思って、それで何年の曲かなって調べたら、なんと、キャロルが解散してソロの矢沢永吉になった初めの一発目ですよね。あの矢沢永吉ができた誕生の一発目をまだフレッシュに保たれているんだなって思ってすごいびっくりしたという話を(矢沢さんに)しましたね。

曲「アイ・ラヴ・ユー, OK」

矢沢:やっぱりねぇ、今「ALL TIME BEST ALBUM」って従来のファンじゃない人、相当買っていますよ。そうじゃないとあの枚数いかないから。やっぱ嬉しいよ。今年のライブはもう「ALL TIME BEST ALBUM」から9割は引っ張ってっくるみたいな、1割くらいはそうもいえない曲があるんだけど、もうほとんど9割は「ALL TIME BEST ALBUM」から演奏しようと思っていますよ。多分、初めて矢沢のライブを見るんだという人も来るんじゃないの?夏フェスで観てから、「何で今まで観なかったんだ」という手紙すごかったから。それで、多分日産スタジアムのライブとかに観に行ったんじゃないの?で、もうブチ飛んじゃったから、じゃぁもうCD「ALL TIME BEST ALBUM」買って、武道館ライブに絶対行くって、今年初めて来る人いるんじゃないかしら。だったら「ALL TIME BEST ALBUM」から選曲した方がいいじゃない?聴かれました?

インタビュアー:もちろんです。聴いてすごいなぁって思ったのは、曲順は年代順ではないですよね?
矢沢:はい、ないです。
インタビュアー:ないんですけど、すごく「流れ」があるんです。
矢沢:流れでしょ?曲順ってのはものすごく大事なんですよ。ライブでも、CDでも。だからあれはものすごく曲順計算しています。この曲がきたら次はこれ、これがきたら次はもう絶対これだろって曲順を描いていったら、年代がバラバラになっちゃったんですよね。聴き終えた時に、これが矢沢永吉なんだ?、名前はもちろん知ってたけど、YAZAWAの音楽聴くの今回初めてだよって。でもね、嬉しいよね。何が嬉しいかって、僕40年やってるんだよ。40年やってて初めてYAZAWAの音楽に触れるという人が今、いっぱいいるんだよ。20代くらいの人で。最高じゃん。世代もちろん違うよ。その人たちのお父さんとかお母さんがファンだったという人の息子さんとか娘さん、20いくつの子が今聞いて「何、「東京」?こんないいメロディ書いてたわけ?」とかさ。やっぱりレコードを作ってる仕事をしている、ってことは作品として残るわけですよね?名前は知ってたけど、「音楽聴くのは今回初めてです。このアルバムすげぇな。」って言ってくれたら、これは最高だよね。それこそ音楽のパワーですよ。ミュージックのパワーです。まぁ今レコード売れない時代に来たといっても、生のライブとかミュージックはうん、いくら売れない時代になったと言っても永遠ですよ。やり方はいっぱいありますよ。いっぱいあります。

曲「東京」

横山:もういま音楽シーンというものがものすごく、音楽シーン自体はまだあるんですけれどもロックンロールが少ないですよね。必要とされていないんですよ、やっぱり。僕、もうちょっと必要とされるかなって思ったんですけども、2011年に震災があって。で、原発の事故もあってその後に政権も変わって、色々問題があって。そういう時ってロックンロールって必要とされるのかなという、漠然とした、生っちょろいですけど希望みたいなものがあったんです。けども、やっぱり変わらない。昔のアメリカで50年代にロックンロールが発生して、70年代のヒッピー文化までものすごくロックンロールが世の中を蹴り上げてた時期があったんですけど、あれはあの時のマジックだったのかなぁという風に、今ちょっと諦めにも近い気持ちが僕の中にあるんですね。

石坂:だから今、どちらかと言うと世界的にロックが薄い。そういう時に矢沢永吉がいるのは励みになるといいますか、素敵なことですよ。

矢沢:いやぁもうね、まぁ時代が違うから色んな意味でちょっとね。システムも違うしテイストもチョビッチョッビっと違うのかもしれないけど、根本に流れているものは一緒だからね。是非ぜひ、もう応援するよ、僕は。いいか、掴めよというのを僕は言いたいね。でもね、最近思うんだけど、その個々夢の掴み方、目指し方って違うと思うの。夢を掴むって何?どこ?有名になりたいの?食えるようになりたい?がっぽり儲けたい?チョビっと食えたらいい?色々あると思うんだ。バンドやその人によってはね。あると思うけど、とにかく夢を手にして掴んで欲しいと思うし。まぁ僕らは僕らでYAZAWAぐらい年も取ってきて、まぁこうやってまだ現役でやれる。やらしてもらえるということはできるなら、そういう人たちそういう場を、声でも何でも含め応援したいですよ。

大宮:やっぱり、想いが強い、ハートが強い、愛がすごくあるから、こういうものを届けたい、みんなをハッピーにしたいという気持ちがすごくある。よく自分は自主レーベルでやってるからみんなも続いたらいい、YAZAWA流をやったらいいって思って、そういうミュージシャンがいるんだったら全然教えてあげたいし、って(矢沢さんが)すごく言ってるから。ミュージシャンの地位をもっと向上させて、もっとクリエイティブにしていきたいって、すごく思っている人なんじゃないかなって思うんですよ。それもやっぱり愛ですよね。愛が強いからその光に向かって走っていくから、ブレないまっすぐという感じがします。

曲「ウイスキー・コーク」

矢沢:体とのクエスチョンだからね。体と意思、気持ち。「お前どう?できそう?」、「いや、できそうもなにもやるよ。やるしかないだろ。」、「やるんだったらどうする?」、「かっこよく決めたいよ。」、「決めたいんだったら体力いるよね。」、「OKじゃ、自分の体力、絶対、シーズンそろそろ来たから上げなきゃね。」、「食べるもの最近どう?気を付けてる?」「気をつけてるよ、前から」、「あーもうちょっと睡眠とりたいな」とかね。そんな話ばっかり自分としてますよね。でね、こういう感じがね、悪くないんだよね。若い時はこんなこと考えたことなかった。だって「フンっ!」と(気合いを入れるだけ)いうのが普通だもん。スパーっとマイクも切れるしね。今、えーっとって(考えてから)バッて(マイクに手をかける)。バチっときまった時は「あ、決まったよ!」って嬉しい。

加藤:もう矢沢永吉自体が現象ですから。それはなんか続けれるだけ、続けて欲しいなという気持ちになりました。

今井:カテゴリーとしてのYAZAWAみたいなのが今はもう出来上がっていると思うので、そのジャンルYAZAWAってのをどういう風にどこまで、続けていかれるかというのを見届けたい、というのが私たち、少なくとも私のちょっと夢かなという気はしますね。

石坂:矢沢永吉さんに関して言えばロックに道をつけて「ロック道(ロックどう)」がありかなと、先駆的な開発者ですから。

横山:自由にやってって欲しいですね。僕らはもうそれに付いていくだけなんで。みんな。だってあの人のホント言うと音楽が好きで付いてってるんじゃないんですよ。矢沢さんが好きで付いてってるから。

大宮:ここから永ちゃんが何をやるのか、どんな音楽を奏でていくのかというのがすごい楽しみですね。これからがホント楽しみだし、永ちゃんに影響受けて音楽やり始めたというミュージシャンがどんどん出てきたりするんじゃないですかね?ここからまた。

曲「SOMEBODY’S NIGHT」

矢沢:これからのYAZAWAはもう64歳。まだキレがいいかなぁとかね。重い、重いはずよ。そりゃ、年と共にいくんだから。重いけどその重い中にかっこよさがちゃんと漂っているかなとかね、セクシーかなとかね、それ出せてんのかな、っていうそれを背負ながらやる。これから64歳、65歳、66歳やれたら、こりゃこれで若い時と違うし、意義があるかなと最近思いますね。

曲「SOMEBODY’S NIGHT」

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