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英国のフットボール専門誌『FourFourTwo』の創刊から既に20年の月日が流れたが、その中で最もインパクトの大きかった出来事はインターネットの登場だった。ネットの到来はフットボールのクラブ、ファン、メディア、そしてプレーヤーたちにどのような影響をもたらしてきたのだろうか? 彼らの世界に“ログイン”してフットボールとネットの未来を考えてみたい。
■英国国民の89%が利用 ネットの登場
「私が大統領に就任した当時『ワールド・ワイド・ウェブ』という言葉を聞いたことがあるのは物理学者だけだった。それが今は猫でも自分のウェブサイトを持っている……」(ビル・クリントン)
そんな世の中になったのも、すべてはティムという名のナイスガイの仕業だ。ロンドン生まれの列車オタクだった青年は、オックスフォード大学を卒業した後、相互に接続したコンピューター・ネットワークでハイパーテキストの結合を実現した。ネットの登場だ。
ワールド・ワイド・ウェブは文字通りクモの巣のように世界中に広がっていった。アーセナルがリーグ優勝を目指して躍起になっていた時代だ。アンフィールドでのアウェーゲームでマイケル・トーマスがゴールネットを揺らしていた1989年、欧州原子核研究機構(CERN)に勤務するティム・バーナーズ・リーは、地球初のウェブサイトと格闘していたのである。
リヴァプールのGKブルース・グロベラーは落胆のあまりゴールマウスの前で腰を下ろしていたが、それについて“つぶやく”ファンは誰もいなかった。この試合を、頻繁に画面が固まるネット経由で見ていた人もいなかった。アーセナルのサポーターがフェイスブックに喜びを書き込むこともなければ、リヴァプールファンのフォーラムが“炎上”することもなかった。翌朝、職場や学校で盛り上がるのが日常。しかし、将来に向けた通信革命の種は確実に撒(ま)かれていたのである。
それから5年の月日が流れた1994年。『FourFourTwo』が創刊された年に大きな変化があった。ティムが非営利団体『W3C』を設立したのだ。自己の考案物を広く適用するための機関だ。世界の人々を結びつける「IBox」(インターネット接続ソフトウェアパッケージ)が始まったのもこの頃である。グラフィック・ブラウザの「モザイク」も考案された。これは今日、我々が目にするユーザーフレンドリーなページでの表示が可能となったことを意味する。その年、世界で5億人の人々が、ロベルト・バッジョがPKを失敗するシーンを目の当たりにしたのだが、ウェブ経由でそれを見たのは全人口のわずか0.4パーセントに過ぎず、そのほとんどはその道の専門家だった。
それからの20年というもの、ネットは急速な発展を遂げた。『FourFourTwo』創刊から1年後、オンライン体験者は1600万人に増え、10周年を迎えた2004年に、その数は8億1700万人へと爆発的に増加している。今日では、世界の人口の40.7パーセントにあたる29億3700万人がネットでつながっている。イギリスでは、実に国民の89パーセントがネットを利用。この「革命」は明らかに人々の生活を変えた。想像もできないほどにだ。ここで考えてみたい。フットボールの世界にネットは何らかの恩恵をもたらしたのだろうか? その最大の影響とは何なのだろうか?