私が最初に「子供は欲しくない」と思ったのは、いつ頃だったかなぁと思い返してみたら、だいたい高校生くらいの頃だったような気がする。
その頃も、私は精神科に通っていて、今より情緒不安定で、今よりも色んなことを悲観していた。だから子供なんて育てられないと思っていたし、絶対に虐待して最悪殺してしまう、とも思っていた。その気持ちは、精神的に安定してきた現在でも進行形で、きっと子供を育てることになったら、私は高確率でノイローゼになって、殺しはしないかもしれないけれど、その子の心身に深い痛手を負わせてしまうような気がしている。
数年前、精神科に入院したときのこと。そのころは結婚したばかりで、急激な環境の変化についていけず、一時避難という形で入院をしたのだが、そのとき担当看護師さんと、子供のことについて話し合ったことがある。私はそのとき「結婚したし、子供を作ったほうがいいのかなぁ」という気持ちでいた。夫もそのときは「子供が欲しい」と言っていた。具体的な行動に出ていたわけではないけれど、そのうち落ち着いたら作ろうか、とは話し合っていた。でもそこで私が入院した。私は発達障害を持っていて、急激な環境の変化についていけなくなっていた。
看護師さんは言った。「作らないほうがいいと思うよ」と。「夫婦二人で過ごすっていう方法もあるんだよ」と。それは、色んな実感がこもっている声だった。
同じ病棟に、シングルマザーの人がいた。夫と離婚したあと、実の両親と同居して子供を育てているらしいが、親との関係があまり良好でないらしく、精神的に追い詰められて入院してきたらしい。その人は私より年上だったが、見た目はすごく幼くて、頼りなさげだった。過食と買い物依存が止まず、幻聴に怯えていた。
他にも、夢の中に住んでいるような年配の女性がいた。その女性の子供らしき人が、その女性の入院の手続きをしていた。女性はふわふわした目つきで、ふわふわした言動を取っていた。何度か話しかけられ、言葉を交わしたが、意思の疎通は難しそうな感じだった。
私は自分の母を思った。私の母は、何度も精神科病棟に入院し、なかなか治らないうつ病を抱え、買い物依存になり、私に甘え、すがりついてきた。そういう母を持つということは、消耗する出来事だ。もし私が親になったら、どうなるだろう?と想像した。きっと、自分の母のように、あのシングルマザーのように、夢の中に住んでいる女性のように、なるだろうと思った。そして私の子供は、消耗し、疲弊し、憎み、悲しみ、行き場のない怒りを抱えて苦しむだろう、とも思った。
看護師さんの言葉には実感がこもっていた。きっと同じようなことが、何度もあったのだろうし、こんなに追い詰められるのだったら産まなければいいのに、と思ったこともあるのだろうと想像する。子供を産み育てるのに向いていない人、というのは確かに存在していて、精神科に入院するほど精神症状が強く出るような人は、やはり向いていないのだと、私は思う。それは体が弱くて入退院を繰り返す人がスポーツ選手に向いていないのと同じだ。子育てには精神的エネルギーがいる。普通に暮らしているだけで消耗し精神的に追い詰められがちな人は、子育てに必要なだけの精神的エネルギーを持っていないことが多いだろう。
私は退院して、夫とよく話をした。機能不全家族についての本を一緒に読み、私たち二人に機能家族が作れるか、と話し合った。結果、答えはNOで、私たちは子供を作らない選択をすることにした。
高校時代の私の直感的判断は、正しかった。その直感的判断を蔑ろにして「世間ではこれが普通だから」「結婚したら子供を作るものだから」と子供を作る決断をしていたら、今頃どうなっていただろうと、寒気のする思いだ。子供を育てている人をみて、ときどき、一瞬だけ、羨ましくなることもあるが(それが子供を育てていることに対してというより、世間の中で根をはって生きていることに対しての羨望なのだと思う)、それでも私が私の人生に対して下した判断は正しいのだと自信を持って言える。
子供は、作るばかりが、正しいとは限らない。作って当たり前だとされる価値観は、これからどんどん廃れていくと思うし、そうなったらいいと思う。
よもちかでした。