Write | Admin 

舞台は、さる温泉旅館の食堂座敷らしきところ。
広い畳の間に3人、①うちの番頭、②壁側に東海地方某県の教育長、③二人の間に僕が腰痛を理由に浴衣姿で寝転がっている。
過日、当社のコンテンツが某県教育委員会の広報誌に、巻頭10頁に亘って無断で使用されていたことが発覚し、印刷見本を2部要求したところ、教育長が自ら持ってこられた。
ただ、お持ちになった広報誌はどちらもひどく汚く、大便のような泥が付いていたので、番頭が堪りかねて質問した。
 
「あの~印刷見本なんですが、もうちょっと綺麗なものはなかったのでしょうか?」
それを手にして気づいた僕も、上体を起こして言う
 
「ほんまや、2冊とも泥だらけで擦り切れてますね。まるで汚いのを選って来たみたいに」
不肖の部下に恥をかかされた教育長は、ムッとして返す
 
「それは!そんなことありません。それしか残ってなかったのでしょう、入れた誰それの責任です私の責任ではない!」
まあ確かにそうだろうけど、そんな言い方も無いだろうと僕は
 
「ちょっと、あなた。謝罪にこられたんですか?反論しに来られたんですか?」
紅潮した教育長は、腰を浮かせ大きな声で
 
「どうして貴方は!そんな言い方で私を責めるのですか、まるで私の女房のように、そう、女房そっくりだ!」
売り言葉に買い言葉、僕も返す
 
「え?私は貴方の奥様にそっくりなんですか?じゃあこんど二人で「夫婦善哉」か「貫一お宮」でもやりましょうか?♪熱海~の~海岸~散歩~する~~♪」
と、僕は浴衣の袖をつまんでくねくねと踊りだす
教育長は和膳に肘を張って両手をつき必死に笑いをこらえている、次にその笑いをぐっと飲み込んで怒りのエネルギーに変換し、凄い形相で膝を立て僕を指差して叫んだ
 
「貫一お宮やるなら私がお宮です!!」
 
我慢できなくなった僕はその場で吹き出し、笑いながら目を覚ました。
 
そのまま布団で測ると血圧は150を超えていた。
忘れんうちにと思ってPCを起こす。 あの教育長なかなかいい人だなあ(^^) 
 
今年の初夢でした。
 





アートバンクの売れっ子イラストレーターのひとり岩崎みよこさんの作品をご愛用頂いている、「愛デイサービスセンター」さんのHPです。
 

安物のフリー素材が溢れている中で、敢えて写真エージェンシーの高価なプロ向けの素材を、そのクォリティを評価してHPにお使い頂いていることに感謝。
岩崎さんの人気キャラクターの持ち味と魅力を最大限に活かしたGIFアニメのアイデアも素晴らしい!
イラストレーターにとって作品は自分の子供のようなもの。その良さを理解し、大切に活用してくださるお客様は、ほんとうにありがたいものです。


 






藤本義一さんがお亡くなりになった。

7年前、紀伊勝浦「ホテル中之島」の、海に面した露天風呂で、石に刻まれた「紀州潮聞之湯・義一」という、味のある書を眼にし、帰宅後すぐに藤本さんの連絡先を探したが、マスコミ電話帳にもタレント名鑑にも掲載されていなかったため、出版社の友人に電話して教えてもらった。

アートバンク運営のサイト「筆文字なび」の新しい企画「あの人の書」のコーナーへ、藤本さんにも是非ご参加頂きたいと思ったからだ。
西宮にある藤本邸を訪問したのは2005年8月17日のこと。
雨に濡れ、少し遅れて着いた僕は、そのまま応接室に通された。応接室は昭和の雰囲気が残る、やや暗めのシックな部屋で、タバコの匂いがした。

しばらくして普段着(コシノ・ジュンコの黒い半袖シャツと黒いパンツ)で現れた藤本さんは、とても気さくな方で、テーブルの手許にショートピースと100円ライターを置き、いつもの大阪弁で話しかけてこられた。

「場所わからんかったか?」
「いえ少し前に着いたんですけど駐車場を探してまして。すみません」
「前に停めといたらええねん。ここ大丈夫やで」
(そう言われてもねえ・・・)

自然体の藤本さんと接し、緊張はすぐに解れた。
自己紹介にと持参したアートバンクの出版物、『日本のイラストレーター1000人と『日本デザイン書道名鑑』を差し出す。
二つの書籍には、約1,300頁に計1,282人が載っており、それを藤本さんは律儀に1頁づつめくりながらお尋ねになる。

「よう集めたなあ、どないして集めたんや?」
それについていろいろ説明。社員13人が1年余りかけて編集したことや、僕は体重が10キロ減ったことなど話す。 出版界で生きてこられた人物への自己紹介には、この本が一番のツールだと思った。
この『デザイン書道名鑑』が契機となって、その後「デザイン書道」という新語が出来、以後の出版をWebに代え「筆文字なび」が生まれたこと、そのプレミアムバージョンとして進めている「あの人の書」の企画・・・

ご提案申し上げた「あの人の書」へのご参加については、意外にすんなりOKを下さった。
紹介してくれた友人の信用もだいぶあったと思う。
それから同コーナーで紹介する作品の写真や「蔓筆」などの材料を頂き、「義一つァん」のファンである文筆家の友人にコピーを依頼することにした。

ほっとしたところで、藤本さんがさっきから旨そうに燻らせているそのショートピースが欲しくなり、
「先生、それちょっと・・一本頂けません?」 と、お願いし、小さい濃紺の箱の銀紙を開いて一本取り出すと、畏れ多くも藤本さんがライターを擦って火をつけてくれた。
ただ、僕はいつもフィルターを付けないと喫わないので、「ちょっとすみません」と、急いでポケットからミニパイプ「スーパー25」を取り出してねじ込むと、間を置いて、
「タバコは体に悪いと思て喫うたらあかん」
と指摘された。
そうか~、この言葉は深いなあ。いろんなことに言えるなあ、と、思いながら僕もしみじみと燻らせる。

僕は藤本義一さんにお会いするにあたり、氏が直木賞を受賞した作品の単行本『鬼の詩』(昭和49年講談社刊)の初版本を入手し、近刊2冊を併せて精読し、その日は『鬼の詩』を持参していた。
「先生、この本にサイン頂けないでしょうか」
と、取り出したそれを見て藤本さんはちょっと驚き、微笑んで、
「お~、よう有ったもんやなあ。神田の古本屋で3万円の値、付いとったで」
と、快く筆を取り出して見返しにすらすらと書いてくださった。
僕が買った本はヤフーオークションで、ライバルが無かったお蔭で5,000円で入手したものだったが、とても得をした気分になった。
「僕は、本は出来るだけ初版を買うことにしてるんです。初版本には何というか著者の何かが詰まっていて、じっくり読んでるとその人が傍にいるような気になります」 藤本さんは筆を運びながら頷いていた。

かれこれ1時間余りお邪魔しただろうか、帰りには門まで送って下さった。
こうして藤本義一さんとの初めての対面は、僕にとって忘れ得ぬひと時となった。


いつかまた、冥途でお会いできる日を楽しみにしています。








日経BP社さんから、『日経ビジネス』の印刷見本誌が届いた。
表紙は当社アートバンクの取扱いコンテンツで、ランドサット7号の解析データを三次元化した「スーパーランドスケープ:沖縄県」!
ご使用頂いた取扱い著作物の印刷見本を送って下さる会社が少ない中で、日経BP社さんは貴重な存在だ。
 
久しく忘れていたが、だいぶ以前から、アートバンク(京都)に限らず全国の同業写真エージェンシーの取扱い著作物が、そのサンプル用カタログからウェブサイトや印刷物に無断転載されたり、イラストなどが盗作されたりする被害が後を絶たず、これを防ぐため広告・印刷業界をどうやって啓蒙したものかと考えていた頃、たまたま日経BP社の編集部の方と話す機会があり、編集部のご厚意で、ウェブサイトの制作者がよく読んでいる同社の『日経ネットナビ』誌にタダで啓蒙広告を出していただくことになった。
 
その後も、グラフィックや工業デザイナー向けの『日経デザイン』誌上で、アートバンクが作家の側に立って、少なからず関係した損害賠償請求訴訟「武富士裁判(対電通)」や、「にいがた花物語裁判(対博報堂)」などの請求訴訟の事例も、取材・紹介された。
大手広告代理店に気兼ねしてヘイコラヘイコラしている出版社が多い中、著作権問題についての日経BP社さんの凛とした姿勢には、頭が下がる思いだ。
 

株式会社アートバンク関連記事
(左上:『日経ネットナビ(1998年11月号)』、 右下:『日経デザイン(2006年10月号)』)


こういった取り組みもあり、広告・印刷・デザインといったプロの業界の意識はずいぶんと改善されたが、最近は一般企業や地方自治体がウェブサイトの制作を専門家に外注せず、内部で作るようになって、著作権意識の乏しい新人担当者が、その辺の印刷物やグーグル、ヤフーといったサーチエンジンの画像検索で、イメージするイラストを検索してそのまま自分ちのホームページに無断で転載するという現象が生じている。
 
こういう新人担当者は、画像検索の際に「フリー」や「無料」といった単語をくっ付けて検索するだけで、そこで検出される画像(イラスト)は、「勝手に使っていいものだ」などと「勝手に」解釈している(ところが大抵の場合ウソで、本当は「フリー」や「無料」といったキーワードさえ打っていない)。また、画像にプロテクトが掛かっていないことを理由に「取れるようにしている方に責任がある」などとまるで商品管理に問題があるかのように、真顔で主張する者までいる始末だ。
 
笑える話だが、それじゃあ「新品・テレビ・無料」「冷蔵庫・無料」でヒットする商品は、みんなタダで持って帰っていいのか?。 印刷物からは画像の転載が簡単にできるが、だからと言って自由に転載して良いのか?。 田舎にある無人販売の野菜や果物は、盗れるからといって盗んでいいのか?と、逆に訊きたい。
 
ネットで流れる著作物には全て著作権があり、それらは著作権法という法律によって保護されているからこそ、画家、イラストレーター、写真家といった人々は、安心して自身のサイトでその作品を公開することが出来る。もし仮に「取れるから盗ってもいい」などという理屈が通るようなことがあれば世の中は闇だし、実際裁判でもそのような主張は通らない。

しかし、最近は本来「正義の味方、法律のプロ」であるはずの弁護士が、仕事がないためか、なんとか「商売にしてやろう」と盗人に猿知恵を授け、加害者の側に立って被害者に喧嘩を仕掛けてくるケースもある。全く困ったものだ。
 
イラストレーターに限らず、コツコツともの作りに励む作家は、食うや食わずの生活を強いられている人が多い。
こういう人々の唯一の商品で財産でもある作品を盗んでおいて、バレると弁護士に丸投げする経営者、それを待ち受ける悪徳弁護士・・・
こんな奴らは、いずれ束ねてバキュームカーの餌食にするしかないだろう。

 
 




こちらも15周年を迎えた、「~芸術の都・京都から著作権問題を考えるHP~ 『ソックリ広告博物館』 ↓


 

日本のド真ん中京都で、日本初(あるいは世界初)のイラストレーション専門のフォトエージェンシーを始め、知らん間に創業30年・法人成25周年を迎えていたm(_ _)m。
折角なのでロゴを作ってホームページの肩にアップ。
http://www.artbank.co.jp/stockillust/

今夜はこれを見ながら一杯呑も!





 
「筆文字なび」(当社運営)のデザイン書道家によるオンライン・オーダーメイドサービス「筆ロゴ.jp」が、昨日株式会社アマナイメージズさんのサイトでサービス開始となりました。
昨年暮れから準備期間まる1年、満を持してのリニューアルオープンです。

2000年9月発行の『デザイン書道名鑑2001』が端緒となって、「デザイン書道」が新語となり、2003年に「筆文字なび」を開設。 同サイト内にこのサービスの前身「筆文字クイックサービス」が誕生したのは2006年8月(2009年11月に「筆ロゴ.jp」に改名)。
筆文字なび登録作家さん200人の中から18人が参加し、筆文字によるロゴの制作を、用途別に料金を明示し、24時間注文を受け付け、2営業日以内の納品(プレゼン・データ)という仕組みを作り、安定的に5年余りご愛顧にお応えしてきました。
...
そしてこの度、より一層のサービスの拡充を目指し、デザイン業界に広く顧客を有するアマナイメージズさんとの提携に至ったわけです。
さすが「New筆ロゴ.jp」、サイトデザインも洗練され気持ちの良いこと! 早速お客さんの会員登録申し込みが入ってきているようです。
アマナさん、末永くどうぞ宜しく。
http://www.fudelogo.jp/fudelogoneo/index.php







「この秋、もっとも充実した『論壇』誌は、『通販生活秋冬号』ではないか。」
と、朝日新聞11月24日の「論壇時評」に書かれていたので、早速定期講読を申し込んだ。
見れば表紙のビジュアルは、当社の衛星画像だった。
光栄でございます。


『通販生活』の公式HPです。
ここで、先日TV各社から放送を拒否された素晴らしいCMを見ることができます。

http://www.cataloghouse.co.jp/?cid=google0166

まさにTVCMの芸術作品といえます。
頑張れ通販生活!
頑張れカタログハウス!
 





当社のサービス「筆文字なび」を通じて受注した仕事で、昨日の日経新聞の三井物産の広告を飾った荻野丹雪さんの書。

荻野さんはあのサントリーの「響」や「新撰組」などの大河ドラマのロゴを手掛けてこられた、デザイン書道の第一人者でもある。

プレゼンに3作書いて一発で決定した! 流石にプロ中のプロだ。







佐々木俊尚さんを、日曜夜のビジネス番組『デキビジ』でお見かけした。
元毎日新聞の記者で、今や日本を代表するITジャーナリスト。その直観力と分析力に裏打ちされたイデオロギーに囚われない鋭い指摘は、著作を読んでも話を聞いていても、「なるほど」と何度も頷いてしまう。

じつは僕は以前、ソフトバンク発行の単行本に載った時、佐々木さんの取材を受けたことがある。
僕の仕事部屋の木の机で向かい合った瞬間はどきどきしたが、「來田さんのHP、読ませて頂きましたよ」と大きい眼がにっこり笑ったとき、たちまち緊張がほぐれた。
僕のHP(その頃はブログはまだ開いておらず、「http://www.koroda.com」)の「仕事の話」を読まれ、とても好奇心をくすぐられたご様子で、取材は終始いいノリで進行した。
非常に存在感があり、タフですごく頭が切れ、周囲にエネルギーを与える人物というのが、僕が受けた佐々木俊尚さんの印象だった。
黒い鞄からノートパソコンを取り出して、補助資料として録音しながら、そのまま原稿を書いていくという無駄のない仕事スタイルも新鮮だった。

また、接点ができればぜひお会いしたい人物だ。



佐々木俊尚さんの公式サイト。
http://www.pressa.jp/





昨晩、JPAA(日本写真エージェンシー協会)の40周年記念パーティーが市ヶ谷であった。
僕のような退会した旧メンバーもわんさと来ていて、死んだと思っていた人まで見かけたので、まるで末期の宴会か、あるいは僕はもう死んでいてドアから出たら雲の上かというような不思議な気分だった。

互いに懐かしい顔をみて、これを機に再入会する仲間も何人かいて、僕にも用があるから入れと言ってくれたので、喜んでそうすることにした。

また、ちょくちょく江戸に来る。
 
[1] [2] [3] [4]
カレンダー
07 2014/08 09
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
バーコード
ブログ内検索