従軍慰安婦問題に関して、朝日新聞が一部の記事を取り消した。私は「朝日」の2文字を目にするだけでも血圧が上がるのだが、気になったのは、某政党の幹部の「事実と違う報道がなされたら、きちんと是正することが必要だが、国会での検証については、報道の自由と重ね合わせると慎重に判断すべきだと思う」という発言だ。
正しい事実を報道する自由を守るべきであるとは思うが、虚偽や事実をゆがめた報道をして、その対象者の名誉を傷つけていい自由など認める必要はない。ましてや、傷ついたのは日本人であり、日本という国家である。国と国民が傷ついたにも関わらず、国会で検証するのに何の問題があるというのか?
「事実と異なる報道がされれば、是正されるべきである」と簡単に言うが、個人的な経験から「事実でないこと」、「記事を書いた記者に悪意があったこと」を証明するのは極めて難しい。特に文章に巧みな記者が行間に隠した悪意など、証明不可能である。メディアを通して傷つけられた名誉など簡単には回復できないし、記事を信じた読者一人一人に対して、心の中でいくら叫んでも、その思いなど届くはずがない。
「報道の自由」という錦の御旗が、「虚偽の報道」に対してでも通用していいはずがない。名誉を傷つけられた人間、組織、国家は、多くの場合、取り返しのないダメージを受ける。冤罪が明らかとなっても、その人の名誉は簡単には回復しないし、失った時間は決して取り戻せない。その冤罪に対して、警察や検察の責任を容赦なく攻め立てるメディアではあるが、「報道」という名のペンの暴力が人を傷つけても、自らにはきわめて寛容である。
「過ちて改めざる。これを過ちと謂う」(孔子)。この言葉を報道する側が理解してこその「報道の自由」はないのか?この際、国会で正々堂々と「報道の自由」と「虚偽報道の自由」を論じてほしいものだ。