「名門校から大手電機」の私が生活保護を受けるまで


(更新 2014/7/22 15:57)

週刊 東洋経済 2014年 7/26号

東洋経済新報社
定価:690円(税込)

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有名大学の大学院を修了した大企業のエリート技術者。誰もがうらやむその地位は心の病であっけなく崩れ去った。企業社会の住人であれば、彼の悲劇は決してひとごとではないはずだ。

 日本人の誰もが知る大手電機メーカーに勤務していた藤野二郎さん(仮名)は現在、生活保護を受けながら適応障害を治療中だ。有名私立大学の大学院でコンピュータサイエンスを学んだエリート技術者が、そこまで追い込まれるまでには何があったのか。

 私が社会人になったのは1990年代の初め。まだ日本の電機メーカーが隆々としていた時代です。

 大学には系列高校から内部進学しました。理系科目が得意だったので理工学部を選び、大学院にも進学。父もエンジニアだったため、子どもの頃から自然とそれが進むべき道だと思っていました。

 配属先はソフトウエア開発系の部署で、内容はマルチメディア関連の先行研究です。この会社は成果主義の導入に先鞭をつけ、平社員にも裁量労働的な制度を適用しようとしていました。でも、当時は上司も人事の要求から現場を守っていました。

 残念ながら、実用化が進まない研究への上層部からの圧力は強まるばかり。入社3年目の終わりにはこの部署はお取り潰しになりました。

 異動先では官公庁向けのシステム開発に従事しました。実際にプログラムを書くのは子会社のエンジニアで、その管理に当たるのが仕事です。メンタルな要因で休む人も多く、その穴埋めに追われる日々でした。

 畑違いの仕事と並行して、前の部署の後始末も押し付けられました。膨大な数のパソコンの処分など手間がかかる業務だったのですが、新しい上司からは「まだそんなことをやっているのか」と毎日のように嫌みを言われました。


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