(2014年8月11日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
米国人自身が認めていることだが、ちょうど100年前の今月に始まった第1次大戦の回顧において、米国は当時の同盟国に後れを取っている。
その理由の一端は、米国から見れば開戦からまだ100年経っていないことにある。確かに、宣戦布告がなされたのは1914年8月のことだったが、ジョン・パーシング将軍率いる米国海外派遣軍(AEF)が戦闘に加わるのは――ジョージ・M・コーハンが当時作った歌の表現を借りれば「向こう側(over there)」に渡るのは――その3年後のことだった。
また、回顧の段取りもお粗末だ。米連邦議会は10年前に、カンザスシティーの博物館を米国公認の第1次大戦博物館に指定したが、ワシントンのパーシング公園を国立の戦没者記念公園に「再指定」する法案にかかわる作業はまだ完了していない。
とはいえ、第1次大戦に対する米国の関心が盛り上がらない最も重要な理由は恐らく、この大戦が終わった後にあまりにもいろいろなことが起こっているからだろう。
世界の激変で概ね忘れられてしまった大戦
第1次大戦後の数十年間で米国の外交問題は非常に複雑なものになったため、当時のウッドロー・ウィルソン大統領が言ったように世界を「民主主義の国々にとって安全なものにする」ことを願って前線の塹壕に向かった比較的少数の兵士たちのことを、今日の米国人はほとんど認識していないのだ。
連邦議会により設置された第1次大戦百周年委員会のロバート・ダレッサンドロ委員長はこう語る。「難しいのは、第1次大戦はかなり忘れられていることだ。明らかに、米国がはるかに大きな役目を担った第2次大戦の陰に隠れてしまっている」
そのためこの委員会は、第1次大戦が今日の米国をいかに形作ったかを伝えるキャンペーンを、いろいろなメディアを通じて数年がかりで展開していくという。ケーブルテレビの「ヒストリー・チャンネル」と番組を共同制作するなど、学生・生徒向けの教材を作ることが主たる事業になるそうだ。
「追悼の期間は始まったばかりだ」。大佐として退役し、現在はワシントンにある米国陸軍軍史編纂所の所長も務めるダレッサンドロ氏はそう話す。「この戦争は米国の世紀の土台を作ったというのが、我々の最重要テーマだ」