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■ドワンゴ社内の様子
1Fに米屋のあるビルの4Fと6Fにドワンゴはオフィスを構え、
社員数は約30人だった。自分の社員番号は34番
(社員番号制度が出来るより以前に居た社員も存在するため正確な入社順ではないらしい)
4Fオフィスの奥のスペースには二段ベッドがあり、しょっちゅう社員が仮眠を取っていたが、
とある早朝、誰もいないオフィスに自分が1番乗りで出社した!と思ったら、
突如、デスクの下から人が這い出してきて驚愕させられた!?
どうやら机と机が背向かいになった隙間の床スペースで寝ていたそうで、確かネットワークRPGツクールを作っていたはむぞーさんだ。
自分も試しにそのスペースに入ってみると、外の騒音から隔絶され、かつ周囲の目線が一切気にならない実に快適なスペースだった。
会議室には何故か楽器がたくさん転がっていて、謎の動画が撮影されたりしていた
※1999年頃にドワンゴの会議室で撮影された動画
週末になると怪傑ズバットの LD 上映会が怪しい儀式のように行われ、
ゲームコーナーにはドラムマニアがありオフィスである事をいいことに社員が遠慮無く暴れ叩いた
電源が入ると掃除機のようなけたましい騒音を立てるサーバが会議室の入り口に鎮座していたのも覚えている。( DWANGO システムの Radius サーバ?)
6Fには2段ベッドがなく、床に平置きで布団が敷き詰められている光景はまるで修学旅行の夜みたいで
ときに社員同士による"枕投げ"ならぬ"枕叩き"が勃発していた。
まったくもってガキである。
誰かが「学校にまともに行ってなかったから、こういう学生みたいなことが大人になってから出来るのが嬉しい」と言っていたような気がした。
みんなでお金を出し合って買ったアーケード筐体(AstroCity)が置かれると、ぷよぷよ通、パズルボブル、ティンクルスタースプライツといった対戦ゲームが人気を博した。
こんなのが社内にあった
■自分にとってドワンゴとは
この章がこの退職エントリを書くにあたって中核となる3つのうちの1つだ。
当時の社員は毎晩遅くまで残っている人が多かった。
入ったばかりの自分は、あまりにもみんなが帰らないため、いつ帰っていいのか判断がつかず誰かが帰るのを見計らって続いて帰るようにしてた。
※今では23時に残っている社員はあまり見かけなくなったのが逆に寂しい
会社の近くに住むと住宅手当が貰えるため、みんな終電を気にしなかった。
仕事中は一緒にいるのは当然だが、
仕事が終わった深夜も会社に残ってみんなで遊び、腹が減ったらみんなでラーメンを食べに行く
そして土日は一緒にどこかにでかける。レイトショーの映画を観に行く。
クリスマスはみんなで会社に集まってパーティーする。
※2000年12月のクリスマスパーティー
年末年始は会社に寝泊まりして正月番組を見ながらおせちを食べる。
9.11事件が起きるとすぐ会社に集まってニュースを見守る。
どう考えても会社に居る時間のほうが家に居る時間より長かった。
僕にとってのドワンゴは例えるなら "土地" だった。
そこには色んな人が住んでいて、新しい人がやって来ては、去っていく人もいる
僕は居心地が良かったのでずっとそこに住み続けた
四六時中一緒の時間を過ごし、同じご飯を食べる
ドワンゴのコミュニティは自分にとってそれはもう家族といってもいいような仲間関係だった。
損得勘定を越えた信頼関係と仲間意識が僕らの中にあった。
本当に仲良しで、あの頃の仲は何年経っても変わらず続いている。
※写真は 2009年10月
そして先輩から与えられたその文化を、今度は僕らが下の世代へ伝えられるように愛情を持って接していったつもりだ。
いつしか同期(1999年組)はみんなドワンゴを退職してゆき、自分が残された最後の1人になっていた。
社内では自分の事を "生き字引"、"歴史の観測者"といつしか呼ばれるようになっていた。
入社時の勤務時間は14-23時がメインで、
みんなが家に帰ってインターネットが混雑する時間にサービスでトラブルが発生しやすいので、
そのくらいの時間に対応できるように会社に居て欲しいという当時のポリシーである。
サービスにトラブルが発生しても、終電を気にせず対応できる、終電後も会社に呼び出せるので便利という理由から
会社から徒歩圏内(5km以内)に住むと住宅手当が3万円もらえる仕組みがドワンゴにはあった。
ただまあ、当時は深夜労働手当も休日勤務手当もなかったので、通勤に電車を使わないで済むというメリットと引き換えの手当だった。
※今はちゃんと手当が出ます。
そんなわけで、みんな終電を気にしないものだから、
業務が終わったあとの深夜、みんなで一緒に遊び始める。土日も会社にきて遊ぶ。
みんなゲームが大好きだったし、会社の共有マシン(VAIO-CDR)には
ギガ連射のゲームが入ってて、みんなでハイスコアを競い合ってランキングネームエントリーを賑わせていた。
そしてそのランキング上位を塗り替えていったのが同期の"しおっくす"である。
後に彼は、弊社リリースのシューティングゲームのテストプレーヤーとして積極的に参加してしまったが為、ゲームバランスが彼に合わせて難易度調整されてしまい、一般の人がまったくクリアできない難易度でリリースされるという事態を招いてしまったエピソードを持つ。
とにかくドワンゴには尖った変な人間が多かった。
そうだこれは割愛したくないエピソードがあった
ある日、唐突に仕事中に停電が起きた。
ビルの電気施設がトラブルらしく2時間くらい真っ暗闇の停電が続いた。
いつ復旧するのか分からない。
誰かが持っていた懐中電灯とロウソクを持ち寄り、みんながその周囲に集まりだす。
ぼんやりとした暗がりでボソボソと話すが、原因は何なのか、いつ復旧するのか誰も知り得ない不安に陥っていた。
そんな時である
ジャラン♪
唐突にギターをかき鳴らす音が響き渡った
"モーレツ"さんである。
普段からプログラムを書きつつも、自席でギターを弾いたりしてる人だ。その時はまだ話した事がなく掴みきれない先輩だった。
暗闇の中、誰もが不安になり心細くなっている時に、
音楽が鳴ることでみんなに安堵が広がっていくのをまじまじと感じた。
どうせ電気がなければ仕事ができないのだ。
その夜は電気復旧までギターと歌に酔いしれた。途中、誰かの絶対に滑らない話を交えたりしながら。
●割愛した話
・サジャが唐突に立ち上がり KB をバンバン叩く話
・給湯器でゆで卵を作って、お湯が卵臭くなり事務の佐々江さんを困らせた話。
・火気厳禁だけど電子調理プレートならOKじゃね?と言って社内でキノコ鍋を作った話
・携帯の着メロに ZIGGY の GLORIA を設定していたら、森さんに曲名を言い当てられた話
・ギガウイングスの全国ネットスコアランキング1位になるまで関さんとやりこんだ話
長くなってしまったのでここらへんにして
次回こそは川上さんの下でようやく仕事らしい話、バーチャロンの話をしたい
エロゲ四天王は3人しかいない。
1Fに米屋のあるビルの4Fと6Fにドワンゴはオフィスを構え、
社員数は約30人だった。自分の社員番号は34番
(社員番号制度が出来るより以前に居た社員も存在するため正確な入社順ではないらしい)
4Fオフィスの奥のスペースには二段ベッドがあり、しょっちゅう社員が仮眠を取っていたが、
とある早朝、誰もいないオフィスに自分が1番乗りで出社した!と思ったら、
突如、デスクの下から人が這い出してきて驚愕させられた!?
どうやら机と机が背向かいになった隙間の床スペースで寝ていたそうで、確かネットワークRPGツクールを作っていたはむぞーさんだ。
自分も試しにそのスペースに入ってみると、外の騒音から隔絶され、かつ周囲の目線が一切気にならない実に快適なスペースだった。
会議室には何故か楽器がたくさん転がっていて、謎の動画が撮影されたりしていた
※1999年頃にドワンゴの会議室で撮影された動画
週末になると怪傑ズバットの LD 上映会が怪しい儀式のように行われ、
ゲームコーナーにはドラムマニアがありオフィスである事をいいことに社員が遠慮無く暴れ叩いた
電源が入ると掃除機のようなけたましい騒音を立てるサーバが会議室の入り口に鎮座していたのも覚えている。( DWANGO システムの Radius サーバ?)
6Fには2段ベッドがなく、床に平置きで布団が敷き詰められている光景はまるで修学旅行の夜みたいで
ときに社員同士による"枕投げ"ならぬ"枕叩き"が勃発していた。
まったくもってガキである。
誰かが「学校にまともに行ってなかったから、こういう学生みたいなことが大人になってから出来るのが嬉しい」と言っていたような気がした。
みんなでお金を出し合って買ったアーケード筐体(AstroCity)が置かれると、ぷよぷよ通、パズルボブル、ティンクルスタースプライツといった対戦ゲームが人気を博した。
こんなのが社内にあった
■自分にとってドワンゴとは
この章がこの退職エントリを書くにあたって中核となる3つのうちの1つだ。
当時の社員は毎晩遅くまで残っている人が多かった。
入ったばかりの自分は、あまりにもみんなが帰らないため、いつ帰っていいのか判断がつかず誰かが帰るのを見計らって続いて帰るようにしてた。
※今では23時に残っている社員はあまり見かけなくなったのが逆に寂しい
会社の近くに住むと住宅手当が貰えるため、みんな終電を気にしなかった。
仕事中は一緒にいるのは当然だが、
仕事が終わった深夜も会社に残ってみんなで遊び、腹が減ったらみんなでラーメンを食べに行く
そして土日は一緒にどこかにでかける。レイトショーの映画を観に行く。
クリスマスはみんなで会社に集まってパーティーする。
※2000年12月のクリスマスパーティー
年末年始は会社に寝泊まりして正月番組を見ながらおせちを食べる。
9.11事件が起きるとすぐ会社に集まってニュースを見守る。
どう考えても会社に居る時間のほうが家に居る時間より長かった。
僕にとってのドワンゴは例えるなら "土地" だった。
そこには色んな人が住んでいて、新しい人がやって来ては、去っていく人もいる
僕は居心地が良かったのでずっとそこに住み続けた
四六時中一緒の時間を過ごし、同じご飯を食べる
ドワンゴのコミュニティは自分にとってそれはもう家族といってもいいような仲間関係だった。
損得勘定を越えた信頼関係と仲間意識が僕らの中にあった。
本当に仲良しで、あの頃の仲は何年経っても変わらず続いている。
※写真は 2009年10月
そして先輩から与えられたその文化を、今度は僕らが下の世代へ伝えられるように愛情を持って接していったつもりだ。
いつしか同期(1999年組)はみんなドワンゴを退職してゆき、自分が残された最後の1人になっていた。
社内では自分の事を "生き字引"、"歴史の観測者"といつしか呼ばれるようになっていた。
入社時の勤務時間は14-23時がメインで、
みんなが家に帰ってインターネットが混雑する時間にサービスでトラブルが発生しやすいので、
そのくらいの時間に対応できるように会社に居て欲しいという当時のポリシーである。
サービスにトラブルが発生しても、終電を気にせず対応できる、終電後も会社に呼び出せるので便利という理由から
会社から徒歩圏内(5km以内)に住むと住宅手当が3万円もらえる仕組みがドワンゴにはあった。
ただまあ、当時は深夜労働手当も休日勤務手当もなかったので、通勤に電車を使わないで済むというメリットと引き換えの手当だった。
※今はちゃんと手当が出ます。
そんなわけで、みんな終電を気にしないものだから、
業務が終わったあとの深夜、みんなで一緒に遊び始める。土日も会社にきて遊ぶ。
みんなゲームが大好きだったし、会社の共有マシン(VAIO-CDR)には
ギガ連射のゲームが入ってて、みんなでハイスコアを競い合ってランキングネームエントリーを賑わせていた。
そしてそのランキング上位を塗り替えていったのが同期の"しおっくす"である。
後に彼は、弊社リリースのシューティングゲームのテストプレーヤーとして積極的に参加してしまったが為、ゲームバランスが彼に合わせて難易度調整されてしまい、一般の人がまったくクリアできない難易度でリリースされるという事態を招いてしまったエピソードを持つ。
とにかくドワンゴには尖った変な人間が多かった。
そうだこれは割愛したくないエピソードがあった
ある日、唐突に仕事中に停電が起きた。
ビルの電気施設がトラブルらしく2時間くらい真っ暗闇の停電が続いた。
いつ復旧するのか分からない。
誰かが持っていた懐中電灯とロウソクを持ち寄り、みんながその周囲に集まりだす。
ぼんやりとした暗がりでボソボソと話すが、原因は何なのか、いつ復旧するのか誰も知り得ない不安に陥っていた。
そんな時である
ジャラン♪
唐突にギターをかき鳴らす音が響き渡った
"モーレツ"さんである。
普段からプログラムを書きつつも、自席でギターを弾いたりしてる人だ。その時はまだ話した事がなく掴みきれない先輩だった。
暗闇の中、誰もが不安になり心細くなっている時に、
音楽が鳴ることでみんなに安堵が広がっていくのをまじまじと感じた。
どうせ電気がなければ仕事ができないのだ。
その夜は電気復旧までギターと歌に酔いしれた。途中、誰かの絶対に滑らない話を交えたりしながら。
●割愛した話
・サジャが唐突に立ち上がり KB をバンバン叩く話
・給湯器でゆで卵を作って、お湯が卵臭くなり事務の佐々江さんを困らせた話。
・火気厳禁だけど電子調理プレートならOKじゃね?と言って社内でキノコ鍋を作った話
・携帯の着メロに ZIGGY の GLORIA を設定していたら、森さんに曲名を言い当てられた話
・ギガウイングスの全国ネットスコアランキング1位になるまで関さんとやりこんだ話
長くなってしまったのでここらへんにして
次回こそは川上さんの下でようやく仕事らしい話、バーチャロンの話をしたい
エロゲ四天王は3人しかいない。
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