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『アルドノア・ゼロ』における「通信」の意味

※ この記事はアニメ『アルドノア・ゼロ』第6話「記憶の島 —Steel Step Suite—」までのネタバレを含みます。閲覧にはご注意下さい。


 Twitterを見ていたら書いた方がイイ気がしたので書きます。
 『アルドノア・ゼロ』の第2話について「ジャミングされて通信できないとか言っているのに主人公が携帯電話で喋ってて。テキトーに作ってんだな」と言っているPOSTを見かけました(実際にはもっと口汚い言葉でしたが)。

 「そんなに分かりづらいシーンだったかな……」と最初は思ったんですけど、私は『アルドノア・ゼロ』の特に第2話は大好きで4~5回は繰り返し観ているから分かっているだけで。1回しか観ていない人&繰り返し視聴できる環境のない人には分かりづらかったのかも知れないので、そういう人達に向けて解説記事を書こうと思います。


 というのも……「ジャミング」とか「通信」とか「携帯電話」とかは、『アルドノア・ゼロ』というアニメの(少なくとも序盤では)最重要キーアイテムだと思われるのです。ここを「テキトーに作ってんだな」と観ていると、今後の展開で何を描いているのかさっぱり分からない可能性もありますんで、今の内に解説しておこうと。




 さて、その前に基本的な話を……
 『アルドノア・ゼロ』というアニメは「群像劇」です。
 界塚伊奈帆という主人公は一応設定されていますが、伊奈帆一人だけを描く物語ではなく、スレインだったりアセイラム姫だったり鞠戸大尉だったりといった多数のキャラクターを使って、一つの事件を中心にそれぞれが別々のことを考えてそれぞれの行動を取っている姿を描いている物語なのです。ここまでは恐らく多くの人が「なんとなく」でも分かって観ていると思います。

 そして、その「群像劇」なんですが……「群像劇」好きの私が「群像劇」を楽しむ際にどこを見ているのかというと……単にキャラクターがたくさんいて別々に動いているだけでは「ただゴチャゴチャした話」としか思えなくて、「別々の主人公達」で実は「共通するテーマ」を一貫して描いているかどうかが重要だと私は思っています。
 ウチのブログで取り上げてきた作品達で言うと……例えば『428』は、境遇も目的も違う5人の主人公を動かしながら、それぞれの物語で「父と子」という一貫したテーマを描いていましたし。『氷菓』の文化祭編(『クドリャフカの順番』)は、4人の主人公が文集の完売のために奔走する様子を描きつつ、「才能と期待」という一貫したテーマを4人の物語でそれぞれ描いていました。

 「父と子」という物語であっても、「才能と期待」という物語であっても、一人の主人公を使って描くだけだとどうしても“一面的”になってしまうところ。群像劇として多数のキャラクターを使って描くと“多面的”に描くことが出来る―――というのが、私が「群像劇」を好きな理由でもあるのです。

(関連記事:“ゲームとして”ちゃんと面白い。『428~封鎖された渋谷で~』紹介
(関連記事:『氷菓』の文化祭編が超面白かったという話



 では、『アルドノア・ゼロ』ではどうなのか――――
 伊奈帆やスレインやアセイラム姫や鞠戸大尉やその他にもたくさんいるキャラクター達を別々に動かして何を描いているのか、というのが冒頭の話に繋がってくるのです。それは……


「判断は臨機応変。イザとなれば自分を信じて決断する。
お姉ちゃん、いつも言って聞かせているでしょ」



 第2話で、伊奈帆が姉である界塚ユキと電話で話している内容―――これこそがこの作品が多数のキャラクターを別々に動かして描こうとしているものであり。
 詳しくは後述しますがこれ以後は主人公達は「携帯電話」で「通信」をすることが出来なくなるので、主人公が最後に「通信」をして受けた指示が「通信で指示を待つのではなく“自分の意志”で行動を決断しろ」という内容となっているのです。


 もちろんこの会話はユキ姉が伊奈帆にだけ言ったものなのですが……この作品のキャラクター達の行動を見れば、どのキャラクターも「通信を受けて指示された通りに動く」か「“自分の意志”で行動を決断するか」のどちらかに当てはまり(そりゃそうなんだけど……)。

 「自由に通信が出来る火星サイド」「通信が出来ずに“自分の意志”で行動を決断する地球サイド」が対比されて描かれていることが分かるのです。


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○ そもそも、何故「通信」が出来ないのか
 基本的な話ですが、例えば第2話を観ていなかったリという理由でここを見落としている人もいらっしゃると思うので……ここから説明します。

 第1話のラストで地球に降下した火星の揚陸城が、第2話の冒頭でまず行ったのは「海底ケーブルの破壊」「通信基地の破壊」「通信衛星の破壊」「ジャミングによる地球連邦軍の通信妨害」―――と、“地球サイドの通信網の破壊”から行っているのです。その結果、攻撃されている地域ではスマホやノートパソコンが通信できなくなったという描写がありますし、地球の軍隊も通信で指示を受けられなくなったという描写があります。

 この行動について、同じく2話の中盤で鞠戸大尉がしっかり説明をしてくれています。

「ジャミングだ。
強力な妨害電波でこっちの指揮系統を混乱させる。
15年前と同じ、ヤツらの手だ」



 火星軍は攻撃を仕掛ける前に、まず相手の通信網を破壊してから攻撃をする―――それが彼らの常套手段なのです。


 では、何故伊奈帆は携帯電話でユキ姉と喋れたのか?
 それは単純に、あの時点では伊奈帆達の住む新芦原市がまだ戦場になっていないからです。なので、フェリーに乗ろうとしている一般人もまだテレビのようなものを見ているし、カームと起助は「俺達も徴兵されたりしないよなぁ」なんてノンキな話をしているのです。彼らにとって戦争はまだ「面倒くさいことが起こっちゃったなぁ」くらいでしかなく、この後のカームがどんどんさやかちゃん化していることを考えると切ない会話でもあるのです。



 そして、トリルランが新芦原市に襲来してきます。
 クルーテオとトリルランの会話を振り返れば、この時点ではまだ新芦原市が戦場になっていないこと、トリルランの襲来によって新芦原市が戦場になってしまうことが分かると思います。


ト「クルーテオ卿、今すぐ新芦原に進軍すべきです。我らが姫の悲運の地に御旗を掲げば、ヴァースの大義はより確固たるものとなりましょう」
ク「うむ。元よりそのつもり。
 だが、まずは落着地制圧が急務」
ト「ならば、クルーテオ卿。
 是非このトリルランにお任せを。長らく食客に甘んじた御恩を果たすに、絶好の機会」
ク「うむ。貴公に委ねようトリルラン。
 当地の責任者を拘束し、姫の死にまつわる仔細を明らかにするのだ」
ト「はっ」



 「新芦原市は日本のどの辺りなのか?」というのを、自分は何故だかずっと東京の市なんだと思っていたのですが(モデルとなっているロケ地が東京だからですかねぇ)、東京が陥落してからトリルラン襲来までのタイムラグと、新芦原市への隕石爆撃にクルーテオが気付いていなかったことを考えると……
 新芦原市は東京から結構離れた場所と考えるのが妥当みたいですね。東京の通信基地が破壊されても新芦原市で携帯電話が使えたのも、そう考えれば納得です。
 

 もちろんトリルランの狙いは「姫の悲運の地に御旗を」なんてものではありません。アセイラム姫を暗殺した火星軍からのスパイ(ライエの父親等)を口封じのために抹殺しにやって来るのです。
 とにかくこれで新芦原市も戦場になり、これ以降は伊奈帆達も「通信」を封じられて、地球連邦軍から孤立してしまいます―――奇しくもユキ姉が“最後の電話”で伊奈帆に伝えた「通信で指示を待つのではなく“自分の意志”で行動を決断しろ」という事態に追い込まれてしまうのです。



 『アルドノア・ゼロ』という作品は、こうして「通信が途絶されて自分達以外に誰にも頼れない状況」にて「一人一人のキャラクターが自分を信じて決断する」様を描いている作品なんです。

 誰にも頼れない状況だからこそ、自分達で火星カタフラクトを撃退しようとした伊奈帆も。それに協力しようとしたアセイラム姫も、父の仇を討とうとしたライエも、伊奈帆達を助けようと揚陸艇で救助に向かった鞠戸大尉も、誰かに命令されたワケでもなく“自分の意志”で行動をしました。

 6話のスレインの行動なんかも、恐らくはそうですよね。
 誰にも頼れない状況に追い込まれ、自分の意志で決断した結果―――彼は「オレンジ色のカタフラクト」を追って種子島までやってきたのでしょうから。



○ 「通信が出来る火星サイド」と「通信が出来ない地球サイド」
 そして、対照的に……火星軍は巨大な揚陸城から長距離レーザー通信で連絡を取り合う様や、“謁見の間”にて火星にいる皇帝に直接通信を取る様が描かれています。地球サイドとは対照的に、彼らはいつでも通信で繋がれる状況にいるのです。

 しかし、彼らは“真の意味では”全く繋がれていません。

 ザーツバルムはクルーテオに覚られないように「アセイラム暗殺の秘密」を知るスレインを注視しているし、スレインは皇帝に「通信」で真実を伝えた気になったけれど逆に火星からの正式な宣戦布告を導いてしまうし、ザーツバルムとの「通信」で指示を受けていたトリルランは予想外の事態に反応できずに撃退されてしまうし。

 「通信」で繋がれているはずの火星軍は、ちっとも連携が取れずに伊奈帆達に各個撃破されている状況で―――




 再び、「通信」では繋がれていない地球サイドを比べてみると……
 第3話でニーナは「フェリーの乗客名簿に名前がなかったから」という理由で、いるかも分からない韻子達を助けるために揚陸艇に乗り込んで救助に来たし。第4話で不見咲副長はマグバレッジ艦長らが絶体絶命の大ピンチの瞬間に駆けつけていたし。先ほど書いた鞠戸大尉が揚陸艇で来た件も、貝塚ユキが生きて避難民を守って戦っていることを信じたからこその行動で。

 「通信」で繋がれていない地球サイドの方が、連絡の取れない友や仲間のことを想うことで、絶妙なチームワークで繋がれているんです。



 言ってしまえば、この『アルドノア・ゼロ』という作品――――
 どこでだって誰とだって「通信」で繋がれるこの時代に、それを超越した「人と人との心の繋がり」を描いているとも言えるのです。

 もちろんそれを「面白いと思うか」は人それぞれですし、今時こんな真っすぐなメッセージを込める作品なんてこっ恥ずかしいって思う人もいるでしょう(※1)けど、少なくともこの作品が「テキトーに作ってんだな」という作品ではないことが伝われば幸いです。

(※1:だからこそ分かりやすい台詞で説明したりはしないんですけどね。)

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○ 余談
 ……と、ここまで書いてきたことをまとめると。

 「地球サイドは、“通信”が出来なくても“自分の意志で決断”して、友や仲間のために行動する正しい連中」
 「火星サイドは、“通信”に頼り切って“自分の意志で考えることを放棄”して、仲間同士で騙しあったりする間違った連中」


 という勧善懲悪な作品に思えるかも知れません。
 実際、キャラクターの描き方も「地球サイドのキャラはみんないいひと」で「火星サイドのキャラはみんなイヤなヤツら」に見えるように描いているように思えます。でもきっとワザとですよね、これ。


 『アルドノア・ゼロ』は分割2クール作品だそうなので、全24~26話辺りなのでしょう。
 現在はまだ6話が放送されている時期ですから……このまま最後まで「この勢力図のまま」終わるとは思えません。何よりストーリー原案が虚淵さんですからね。
 虚淵さんが以前ラジオにゲスト出演された際に、虚淵さんの作品に「信じていたシステムに裏切られていたことに気付く」展開が多いのは信じていた○○主義が幻想でしかなかったという話を父から聞かされていたから―――という話をされていて。『アルドノア・ゼロ』がまさにそういう話になっていくのなら、ここから二転三転はしていくのだろうと。


 第6話でアセイラム姫がアルドノアの起動因子には皇族の遺伝子情報がうんぬんという話をしていたので……
 まさか!姫様の妊娠フラグですか!(*゚∀゚)=3 と、テンション上がりかけたのですが。アセイラムはエデルリッゾと擬似姉妹でイチャイチャし続けて欲しいし、百合百合するのならライエとがイイので、アルドノアの力でどうにかして女のコ同士で子作りできる奇跡を起こして欲しいです!

| アニメ雑記 | 17:49 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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